037.昼休み①
「リンタロー!」
昼休みのガヤガヤとした喧騒の中、凛としたテトラの声が響く。俺だけでなく、周囲にいた生徒たちもテトラの方――中庭を振り返る。
まだ昼休みが始まって間もない時間のためか、中庭は校舎と比べて生徒の姿は疎らで、テトラの姿がハッキリと見える。
彼女は学園の制服――白いブラウスと、チェック柄のスカート、黒いハイソックス――の上から、シノさんから貰った浅葱色のローブを着ていた。
駆け寄る彼女の動きに合わせて、スカートの裾が舞い、露になる健康的な脚が目に眩しい。
普段のメイド服と違う、テトラの姿は新鮮で、気づけば俺はドキマギしていた。
俺の隣に立つクォートは、腕を組み、眩しそうに目を細めながら、ウンウンと嬉しそうに頷いていた。
なんか孫の姿にうっとりする好々爺という雰囲気が漂っているだけど。
「リンタロー、大丈夫? 変なことされてない?」
駆け寄ってきたテトラは、俺を頭の天辺から足の爪先まで確認しながら訊ねる。
変なこととは、なんだろう、と俺は苦笑してしまう。
「特に何もないよ。ホームルームで自己紹介したあとは、ルドルフさんの研究室で、色々と教えて貰っただけだから」
「色々? よく聞いて、リンタロー。教わったことの大半は役に立たないか嘘よ」
「おいおい妹よ、ひどい物言いだな。兄は悲しいぞ!」
空を仰ぐような大袈裟な素振りをしながら、抗議するクォート。
そこで初めてテトラは、視線を彼に向ける。鋭く射貫くような視線は、友好的とは程遠い。
クォートは、口の端を持ち上げ、好戦的な笑みで、テトラの視線を受け止める。
周囲の喧騒がスーッと、遠退いていくような感覚。
まさか、いきなり剣を取り出して、切り合うとかないよな。原則、武器の携帯は規則で禁止され――
「せぃ!」
テトラが鋭く短い発声を残して、疾風に変わる。
パァァァン! と一際大きな破砕音が響き渡る。
俺は、破砕音が収まり、周囲のざわめきが戻ってきたころに、ようやくテトラがクォートの顔面に右拳を打ち込んでいることを認識した。
彼はテトラの拳を顔面スレスレで、受け止めていた。
それでも彼の好戦的な笑みは崩れず、更に愉しそうに笑う。
「――ッ、ハーッハッハ! 久々というのに、なかなかどうして、素晴らしい一撃ではないか! 昔に比べてキレが良い! 錬金術師になったと話を聞いて、心配していたが杞憂だったな!」
「……チッ」
「おいおい、女の子が汚い言葉を使うものではないぞ」
テトラは無言で拳を引き戻し、クォートを睨む。彼女の表情から、もう一撃くらい打ち込みたそうだけど、周りの視線もあるので、諦めたようだ。
パンパン、とわざとらしく衣服を叩き、身なりを整えるテトラ。
一呼吸置いてから、クォートに対して軽く頭を垂れる。
「お久しぶりです、お兄様。本日は、どのようなご用件で学園に参られたのですか?」
「ずいぶんと他人行儀だな。昔のように『兄上、兄上』と慕ってくれて良いのだぞ!」
「……私の質問にお答えください」
ギリッと奥歯を噛み締めながら、訊ねるテトラ。
テトラは事情を知っていたはずだよな。ということは、茶番劇ってやつなのかな。
俺は考えを顔に出さないように気を付けながら、二人のやり取りを見守る。
「休暇だ、休暇。身も心も仕事から離れて、休めと仰せつかったのだ。だから、学園に通うことにしたのだ」
「……百歩譲って、休暇で学園に通うは理解しました。でも何故リンタローと一緒にいるのですか?」
ニヤリ、と笑いながら、クォートは俺の肩に腕を回して引き寄せる。
あまりの力強さに、俺は蹴躓きかけて、たたらを踏む。
「学友だ! 一緒にいることは、極々自然なことだろ!」
「なっ! リンタロー、嘘でしょ?」
勝ち誇ったように宣言するクォート。その姿を驚愕した表情で見つめるテトラ。
同じクラスに割り振られたので、学友になって当然。なんの自慢にもならないと俺は思うのだけど。
それよりも俺をダシにしてテトラを揶揄うのは、本気でやめて欲しい。拗ねたテトラが何するかわからないから。
俺は呆然としているテトラに声をかける。
「えーっと、嘘じゃないよ。今日、同じクラスになったんだよ」
「なんで! お兄様とリンタローでは、立場が違うでしょ! 同じクラスになるなんて、あり得ない!」
「残念だが、あり得るんだよ、妹よ」
「お兄様は、黙ってて!」
茶化すクォートを即牽制するテトラ。彼は肩を竦めてため息をつく。
テトラは、俺の肩からクォートの腕を乱暴に引き剥がし、ガシッと俺の肩を掴む。
「お兄様の頭はアレですが、肩書きだけは立派です。そんなアレなお兄様と一般人のリンタローが同じクラスになるわけないじゃない。脅されたの? 何か取引があったの?」
「ちょ、落ち着け……」
ガクガクと俺を揺らすテトラ。
あまりの激しさに気持ち悪くなってくる。パンパン、とテトラの腕を叩いて、落ち着かせる。
数秒経過し、ようやくテトラのシェイクが収まる。
俺は数回、深呼吸して新鮮な空気を肺に取り込んで、気を鎮める。
「ご、ごめん、リンタロー……」
「大丈夫だ。俺がクォートと同じクラスになった原因は、シノさんだ。シノさんの関係者って一点だけで、下手な肩書きより要注意になるらしいぞ」
「ああ、なるほど……」
俺の言葉に、テトラは少し表情を曇らせ、疲れた声をこぼす。
口から出任せを言ったのだけど、シノさんの関係者ってのは、恐ろしいまでの説得力があるようだ。
「あと、彼が、私のそばに控えているのは何故ですか?」
テトラが半身になりながら、背後に視線を向ける。すると執事ぽい格好をした青年がテトラの影から姿を現す。
青年が自然体で佇んでいるためか、俺はまったく気配を感じ取れなかった。
リズもだったけど、この世界ではメイドや執事になるためには、気配を消す技能が必須なのか?
俺は青年の姿を確認する。
身長は俺より少し高くて痩躯。亜麻色のさらさら髪を、うなじで束ねている。
どこかで見たことあるような、幼さが残る整った顔立ち。たぶん俺より五つくらいは年上だと思う。
青年の服装は、黒のジャケットとスラックス。皺のない白いシャツ。それと赤い飾り石のついたループタイ。一目で執事を彷彿させる装いだ。
クォートは、テトラの問いに首を傾げる。
「ん? ラズについて、我輩は何も言っていないぞ」
「……なら、何故お兄様のそばに控えていないんですか?」
「ふむ。ラズ、話せ。妹の機嫌を損なうと面倒だ」
クォートの言葉で、青年――ラズは一歩前に出る。
「僕はテトラ様に仕えるように、仰せつかっております」
「……それは子どもの頃の話でしょ」
「関係ありません。僕は任を解かれておりませんから」
微笑を称えたまま、ラズは恭しく頭を垂れる。
テトラの柳眉がピクリと動く。
周囲の視線があるからだろうが、テトラは表情を変えないように必死だ。たぶん物凄く面倒くさいと思ってる。
「私は、もうリリーシェル家と無縁の人間です。私ではなく、お兄様に仕えなさい」
「嫌です」
冷たいテトラの言葉に、動じた様子を見せないどころか、ラズは女性が一瞬で心を奪われそうな笑顔で即答する。
テトラの眉がピクピクと動く。
テトラの苛立ちを物凄く感じる。
俺が横目でクォートを確認すると、彼は愉しそうに「クックック」と笑っていた。テトラに見えないように、俺の陰に隠れながら。
クォートにとって、ラズの反応は予想通りなのだろう。
「妹よ、慕ってくれている者を邪険にするものでない。学園の中だけでも、仕えることを認めてやれ」
「テトラ様、お願いいたします」
深々と頭を垂れるラズ。
それだけなのに、周囲の視線を集めているのが分かる。
テトラは眉間に縦ジワを作りながらも、諦めたような、ため息をつく。
「……授業時間のみ。学園寮は近づくことは許しません」
「ありがたき幸せ」
全身から不機嫌そうな空気を漂わせるテトラに対して、ラズは嬉しそうに微笑んでいた。
ニコニコ顔のまま、ラズが俺の方に向き直る。
「クォート様、こちらの方は?」
「我輩の学友だ。挨拶せよ」
ラズは右手を胸にあて、左手を腰の後ろに回してお辞儀をする。
「僕は、クォート様の身の回りの世話と、テトラ様に仕えているラズと申します。リズの双子の弟となります」
「あ、俺は相馬凛太郎です。ソーマ、もしくはリンタローと読んでください」
「承知しました。では、リンタロー様と呼ばせていただきます。リンタロー様は、アキツシマ師の関係者だそうですね」
その瞬間、ぞわりとした何かが俺の背筋を這い登る。反射的に俺は後退りかけたが、なんとか耐える。冷たい汗が頬を伝っていく。
ラズの顔から表情が消えたような気がしたが、今の彼は先程と変わらず微笑んだままだった。
ラズは周囲を見渡してから、訝しげな顔をする。
「クォート様、姉の姿が見えませんが……」
「リズは、我輩が学園で長く過ごすであろう部屋の掃除を命じている。なかなか手こずっておるようだ」
「……姉が手こずるとは、凄まじい汚部屋なのでしょうね」
クォートの言葉に慄くラズ。
少し芝居じみた感じはするが、特に気になるような動きではなかった。
「うむ! さて、当初の目的であった学食とやらに行くぞ! ここで話し込んでは、昼飯が抜きになってしまう!」
「……そうね。行きましょう、リンタロー」
腑に落ちないところがあるけれど、俺たちは昼食のため、学食に向かうことにした。




