036.研究室①
「ここ最近は腐った連中が多いと父上が申されていたが、まさにその通りだったな!」
「わざわざクォート様が動かなくとも、リズが不敬な輩など、コキッと一捻りでお掃除しましたのに」
大笑いするクォートと、笑顔を崩さずに顔の高さまで持ち上げた右手を動かし、ゴキゴキと鳴らすリズ。
「ハッハッハ、リズよ、馬鹿なことを言うものでない。それでは学園の生徒としての行いを逸脱してしまうぞ。生徒ならば、手勢を揃えて嫌がらせをし、徐々に弱らせていき、最後に一気に攻め立てて居場所を潰すべきだろ!」
「クォート様、それは普段からやっていること――貴族社会の権力争い――と変わらないです。同じことをするのであれば、クォート様自ら学園に通われる必要性が無いと、リズは思うのです。もっと分かりやすく、権力をチラつかせて脅すくらいで十分だとリズは考えるわけです
「おっと、流石はリズ、聡明だな! そうだな! わざわざ学舎に貴族社会の、腐りきった部分を持ち出すものじゃないな!」
うんうんと頷いて、クォートとリズは笑い始める。
ちょっとした雑談で笑い合う二人に見えなくもないが、その姿に俺は悪寒を感じ、ブルッと身が震える。
爆笑要素がどこにあったのか、俺には理解できていないんだけど。でも、二人の言い分を意訳すると、敵は完全排除ってことだろ。貴族って、怖い。
内心、ビクビクしながら二人の後ろをついていく俺。
周囲の風景は、どんどん薄暗く、湿っぽくなっていく。気のせいか空気もカビ臭い。
襲撃されそうな雰囲気に、俺は身構えながら、周囲をキョロキョロ警戒する。
「ここでございます」
「うむ、ご苦労。リンタロー、入るぞ」
「――ッ!」
不意に声をかけられて、俺は思わずビクついてしまう。
仕方ないだろ、小心者なんだよ。
「どうした、リンタロー」
「な、なんでもないです」
「ふむ、そうは見えないが、了解だ! さて、入るぞ!」
少し首を傾げたクォートだったが、すぐに身なりを正す。
そして、リズがノックもせずに、目の前のドアを開けると、クォートがズカズカと部屋に入っていく。
俺は、恐る恐るという感じで、クォートの後に続く。
部屋の中は、埃っぽいだけでなく、書類や書籍、錬金術の素材ぽい物が散らかっていた。
それは、俺にとっては見慣れた光景で、反射的に安堵のため息がこぼれてしまう。
具体的にどう見慣れているのかというと、テトラが取り扱えない危険物がか転がっているため、テトラが掃除することが出来ないアキツシマ工房の一室――シノさんのガラクタ置き場――が、この部屋とよく似ているからだ。
「邪魔するぞ!」
「失礼します」
部屋の奥の机で、何やら作業をしている男性に声をかける二人。勝手に入ったのに悪びれた様子はない。
「お、お邪魔してます」
前の二人と俺も同罪だけど、挨拶しないわけにもいかず、俺は男性に声をかける。
男性は俺たちの存在に気づいていないのか、カリカリと何かを書き続けていた。
数分が過ぎたところで、男性の動きが止まる。彼は顔を上げで俺たちの方を見る。
ボサボサの金髪に、分厚いメガネ。たぶん、碧眼。少し病的な印象を受ける青白い顔はインクで薄汚れ、上着の白いシャツもヨレヨレな上にインクで薄汚れている。
梲が上がらない赤貧小説家、そんな表現がしっくりくる姿だった。
男性は眉間にシワを寄せながら、俺たちの方を確認するような素ぶりをみせる。男性が反応を返す前に、リズがせっせと物を動かしてスペースを確保したソファーに、クォートがドカリと座る。
舞い上がる埃に俺は咳き込む。
「おっと、空気が悪いな」
――パチン!
男性が呟きながら指を鳴らす。
同時に風が吹き抜け、宙を舞っていた埃を全て運び去っていく。
「うむ、見事な術だ! リズ、真似できるか?」
「リズも魔術で同じようなことは出来ますけど、一工程で、実行は無理です。先程は魔力の動きはなかったので、魔導具を起動させたとリズは推察いたします。が、これほど完璧に事象を制御する魔導具は、なかなかお目にかかれないとリズは思います」
「我輩も普段から魔導具に触れる機会が多いが、ここまで見事に動作する魔導具は、なかなか見かけないな。うむ、流石だな、ルドルフ!」
「へ? ルドルフさん?」
俺は思わず間抜けな声を洩らしてしまう。
ルドルフって、学園長のルドルフさんだよね。同名の別人ってオチ?
「その声は……クォート殿。どうしてここに? ホームルームが始まっていると思うのですが」
「たわけ。貴殿はスケジュールを把握していないのか? リズ、リンタローも言ってやれ」
「ルドルフ様、すでにホームルームの時間は過ぎております。リズの時計をご覧になりますか?」
トトトッと足の踏み場のない床を、踊るようなステップで、ルドルフさんの机にリズは歩み寄る。
リズは自分の胸の谷間に無造作に手を突っ込む。ポヨンと震える双丘に、俺は思わず視線を奪われてしまう。慌てて視線をそらすと、クォートがウンウンと満足そうに頷いている姿が目に入る。
俺の視線に気づいたクォートが、ニヤリと笑う。
「どうだ、リズは良いモノを持っているだろ。一級品、いや特級品と言っても差し支えないぞ」
「……確かに。リズのアレは滅多にお目にかかれない代物だと思う」
俺の回答に、クォートがスッと手を差し出してきた。俺は無言で躊躇なく、握手をかわす
そんな俺たちのやり取りの傍ら、リズは懐中時計を取り出し、ルドルフさんに時間を確認させていた。
最初は懐中時計を睨んでいたルドルフさんだったが、途中で分厚い眼鏡を外す。それでようやく時間が確認できたらしく、いささかバツが悪そうな顔で、ボリボリと頭を掻く。
ボサボサ頭だがフケが落ちることはなく、見た目に反して清潔なようだ。
当たり前だよな、学園長室では、きちんとした格好をしていたんだから。
あと、あの分厚い眼鏡は、視力矯正用ではなさそうだな。魔導具なのかな。
「もうこんな時間か。すまない、没頭するつもりはなかったのだが……」
深々と頭を垂れるルドルフさん。彼が顔を上げてから、俺は疑問を口にする。
「えーっと、ルドルフさんは、学園長やっているルドルフさんですよね?」
「その通りだ。私以外にルドルフという名前で登録している教職員は存在しない」
「朝、お会いしたときと格好がだいぶ違うと思うんですけど……。それこそ別人に見えるほどに……」
俺の言葉にルドルフさんは、自分の姿を見下ろして、納得したように頷く。
「ソーマ君、理解してもらえないかもしれないが、学園長室にいる私は、貴族の私だ。そして、この研究室にいる私が錬金術師の私だ。どちらの私の私も私だが、もし望む姿が選べるのであれば、偉大な師を目指して研磨する錬金術師である今の私が素の姿だ」
「貴族社会の大変さは、正直分からないのですが、ルドルフさんがシノさんの弟子ということが良くわかりました。この部屋の汚し方は、シノさんそっくりです。テトラが見ても同じことを言うと思いますよ」
「む、師と同じと言われて嬉しいが、喜ぶべきではないな……」
ボリボリと頭を搔いて、反応に困るルドルフさん。学園長室の威厳のあるオーラが影を潜めているため、だいぶ親しみが沸いてくる。
「ハッハッハ、ルドルフの困り顔など、面白いものを見せてくれる。流石はリンタローだな! リズ、このままでは我輩たちが寛ぐスペースがない。掃除をしてやれ」
「御意に」
リズは再び懐に手を突っ込むと短いステッキを取り出す。
一礼して、少し離れた位置に移動すると、ステッキを振るう。ステッキの先から燐光が迸り、宙に幾何学模様の軌跡を残す。
元の世界のイルミネーションなどとは違うと不可思議な光景に、俺は思わず息を飲んでしまう。
リズはステッキを振るいながら、くるりと一回転。始点と終点を繋げる。
(空間走査)
パン、と光が弾けて、体を通過していく。数秒後、光がリズに向かって戻っていく。
ふぅ、と息を吐くリズの額に、わずかに汗が滲む。
「ルドルフ様、書籍については、著者、タイトル、内容で分類が可能ですが、著者で分類しても構いませんか? 不明な場合は、著者不明で一括りになります」
「ああ、構わない」
「ありがとうございます。内容で分類になったら、リズではクォート様のご命令を達成することが出来なくなるところでした。まさかダンジョンより、情報濃度が高いとは思いませんでした。流石は国を代表する術師の一人とリズは感心を禁じ得ません」
「ほう、リズがそこまで言うとは流石だな!」
ホッと胸を撫で下ろすリズと楽しそうに笑うクォート、苦笑するルドルフさん。
状況を掴めていない俺だけが取り残されている感がハンパない。
何となく分かるのはリズが魔術で部屋に存在する物をチェックしたということだろうか。
俺は疎外感を覚えながら、話の本題に入るのを静かに待つことしか出来なかった。
ちくしょう。




