035.ホームルーム②
「ハッハッハ、学舎というのは、なかなか退屈しなくてすみそうだな、リンタロー!」
「そ、そーですね……」
席は自由に座って良さそうなのに、クォートは俺と同じ長机に座り、俺に話しかけてくる。
他のクラスメイトが側に座ると面倒だから、という意図があるかもしれないが、クォートの態度から伺うことは出来ない。
それより俺には気になることがある。
長机は三人座れるのだが、俺を挟んでクォートとは反対側の席に座らず、直立不動の体勢で立つメイドが、俺を睨んでいる。
親の仇と言わんばかりに睨んでいる。
接点は一切ないはずと確信はあるものの、俺はビビりながら、ちらりとメイドを見る。
身長はテトラと同じくらい。亜麻色のショートカット。睨んでいるけど、タレ目気味の大きな目。小動物的な可愛さのある顔立ちで、幼く見えるけど、たぶん俺よりは年上。そして、シノさんを上回るふくよかな双丘――
「何かご用ですか?」
「な、なにもないです……」
ニコリと微笑みながら尋ねられ、俺は慌てて返事をしながら視線を戻す。
テトラの凛とした雰囲気とは違う。事務的対応で、薄ら寒いものがまとわりついてくる。
「リズ、リンタローが怖がっているではないか! それにそんな顔をしては、可愛い顔が台無しだぞ!」
「――ッ! クォート様! このような場で、そのようなお言葉を!」
クォートの言葉に、メイド――リズは、頬を高揚させて、まさに昇天状態。自分自身を自分で抱きしめるようにして、クネクネと体をくねらせる。
先ほどまで感じていた殺気は一切なく、その切り替わりの早さに、逆に恐怖を覚えてしまう。
襲ってきた不届き者をサクッと処分して、人目につかない場所に埋めていそうだ。
「ハッハッハ、リズはいつも楽しそうで何よりだ! リンタロー、リズの無礼は我輩の顔に免じて、許してくれ!」
「そ、そんな畏れ多いです! 自分の不始末は自分で片せと仰せつかっております。ここはリズが首を斬って、お詫びを――」
「いらない、いらない。気持ちすら、いらないから!」
どこから取り出したのか、大鎌を手にしたリズが自分の首に刃をあてがう。俺は慌てて彼女を止める。
クォートは、そんな姿をして見て、さらに快活に笑う。
いや、笑うより、リズを止めて欲しいんだけど。
「リズ、茶番はそれ程にしておけ。ほれ、リンタローに挨拶せよ」
「ハッ、御意に」
クォートの声に、リズは一礼してから、スカートの裾を摘まんで広げ、左足を後ろに引く、そして、頭を垂れる。
「リズは、クォート様の身の回りの世話を任せられているリズと申します。非常に遺憾なことですが、どうぞリズとお呼びください」
「えっと、俺は相馬凛太郎です。ただの小庶民なので、様付け不要です。ソーマと呼んでください」
「それは出来ません。例えソーマ様が小庶民であられたとしても、リズの主であるクォート様のご学友であられます。ご学友を蔑むことは、クォート様を蔑むことに繋がります。それ故ご勘弁ください」
粛々と俺の提案は断られた。
主と同じ立場の人間を蔑むと、間接的に主を侮辱するということだろうか。テトラと違う、本物の職業メイドという感じがする。
俺がリズの主張に納得して頷いていると、ドタバタと足音か近づいてくる。
「クォート様ッ! お初にお目にかかります、ダンブル家の次男、アレフでございます」
「てめ、邪魔だ! クォート様、私はミラド家の嫡子、ライナでございます!」
わらわらと群がってくるクラスメイトの約二割。たぶん貴族の子息たちなのだろう。
妙な熱気を帯びた彼らは、クォートに自分を売り込もうと我先に押し掛けてくる。
憶測だけど、クォートとの身分の差があり、様子見をしていたクラスメイトが約二割。リズが先ほど俺をご学友と表現したのを聞いて、自分たちもご学友に含まれるはず、と判断して一気に行動に移ったのだろう。
いや、どこぞの馬の骨ともわからないやつがご学友だから、貴族である自分たちは、もっと優遇されるとか思ったに違いない。
そんな彼らにとって、俺の存在は、塵芥と変わらないようで、視界にも入ってなさそうだった。
このままでは、押し倒されて踏みつけられそうだったので、俺は避難するため席を離れようと、ソッと椅子から立ち上が――
――バシッ!
突然聞こえてきた叩く音と肩が外れそうな衝撃。顔をしかめながら、確認するとクォートの手が俺の肩を掴んでいた。
涼しい顔を少しも変化させることなく、俺の肩を掴んだクォートの手がグイグイと俺を押さえ込む。
俺の尻は椅子に押し付けられ、椅子ごと床に沈められてしまうような圧力がかかる。
「ハッハッハ、皆の衆、いきなりどうした! ここは学舎で、舞踏会ではないぞ!」
「クォート様、学舎は社交の場であります」
「同じ場に立てる喜びを、お伝えしたく存じます」
ギリギリと、クォートの手に込められる力が強まっていく。
痛い! と叫びたいところだが、そういう空気じゃない。
俺は下唇を噛んで、痛みに耐える。
ミシミシと軋む嫌な音が尻から伝わってくる。このままでは、椅子の方が先に耐えれなくなりそうだ。
それよりも気になるのは、すぐ側に立つリズだ。平和ボケした世界から転移してきた俺でさえ感じとることが出来る、ひんやりとした空気――殺気。肌がヒリつき、体感温度が二、三度は下がったと錯覚する濃密さ。
クォートに押し掛けている連中は、リズから放たれている殺気に気づいてないのか?
「静まれ!」
教室中に響くクォートの一声。
押し掛けていたクラスメートたちの動きが、射貫かれた様にピタリと止まる。そして、慄いた表情でクォートを見つめる。
「其の方らの主張はわかった。だか、其の方らは我輩の自己紹介を聞いていなかったのか? 我輩は学ぶために、学園の一生徒となった。リリーシェル家の威光にすがりたい輩は、疾く疾くと去れ!」
クォートの表情からは、人好きそうな笑みは消え去っていた。鋭い眼光で、硬直しているクラスメイトを見据える。
空気が固まるというのだろうか、息をするのも難しいほどの重い沈黙が教室を支配する。
「……クォート様、次は配属された研究室で、個別講義のようです。朝のように時間を遅刻してしまっては、リリーシェル家の名折れです。場所はリズが調べておりますので、急いで参りましょう」
「うむ、そうだな! 先に研究室の場所を調べているとは、流石リズだな!」
クォートの言葉に、リズは一礼する。
俺は彼に首根っこを掴まれるようにして、引っ張られて教室を後にする。
呆然としていたクラスメイトの二割が、俺でもわかる、怨嗟と憤怒の混じったような顔で、俺を睨んでいた。
この瞬間、俺の平々凡々な学園生活は消滅したと、俺は悟った。




