035.ホームルーム①
ルドルフさんは、紛れもなく、シノさんの弟子だと思う。
そう俺が実感したのは、学園長でルドルフさんと面会した十数時間後――翌朝のことだった。
「彼は、リンタロー=ソーマ。見た目は扶桑の出身に見えるが、祖先が扶桑出身というだけだそうだ。諸事情と稀有な巡り合わせで、この学園にしばらく通うことになったと聞いている。仲良くしろとは言わないが、問題だけは起こさないようにしてくれ。研究室の予算に関わるからな」
担任教師――神経質そうな痩身痩躯の若い男性、メガネ――が教壇で言い放つ。
俺は、そのすぐ横に立っている。
そこそこ広い教室は、三十名くらいの生徒の姿があり、その視線が俺に向けられている。
緊張しすぎて、俺はビッシリと脂汗を額に滲ませている。そればかりか自分の意思に反して、全身が小刻みに震えている。
血の気が引いて青い顔で立ち尽くす俺は、さぞかし不審者に見えているだろう。
必死に意識を保っている俺をよそに、担任はそれ以上、話すことはないと、一歩後ろに下がり、胡散臭いものも見るような視線を俺に向ける。
反応のない俺に、担任は面倒そうに顎を軽く動かし、俺に合図を送ってきた。
何かしら自己紹介をしろ、と言うことだろう。
色々と限界な俺に自己紹介をしろと丸投げしてよいのか? よいはずはない。
過呼吸になる一歩手前で、耐える俺の脳裏に走馬灯のごとく流れる映像は、今朝からここまでの出来事。
朝一にアキツシマ工房に駆け込む馬車。馬車に乗っていた執事とメイドに揉みくちゃにされて連行。
学園長室で優雅に豆茶を飲むルドルフさんの前に立たされて「異国交流学生制度を流用して編入させた。担任教師に教室に連れていってもらうとよい」と告げられて、今に至る。
当然、俺の理解は追い付かない。
ごくり、と生唾を飲み込み、俺は改めて教室を見渡す。
俺に向けられる視線と雰囲気から、三割は好意的、五割は無関心、二割は蔑みといったところだろうか。
元の世界で転校経験はなく、端から眺めていた感じだけど、転校初日は人気者で、注目されている間の立ち振舞いなどで、その後のスクールカーストが決まる。
立ち振る舞いを間違えば、楽しい学生生活なんて不可能になってしまう。
スクールカーストのトップ層になりたいとは思わないが、モブとして教室の風景の一部に溶け込み、イジメとは無縁なポジションは確保したい。
ここでお約束な展開として、顔見知りの女の子が自己紹介を見守ってくれる、とかあれば、俺の緊張は和らいでいたかもしれない。
教室を見回してもテトラの姿はない。
ルドルフさん、優秀なんだから、俺の精神的な負荷を抑えるために、テトラがいる教室に俺を送り込んでくれよ。
俺は、ルドルフさんに怨み節を心の中で一通り吐いてから、深呼吸し、腹を決める。
握りしめた拳にじっとりと汗が滲む。
「は、初めまして。俺は、相馬凛太郎と言います。あ、大陸では、リンタロー=ソーマになります。急に学園に通うことになったので、無知と準備不足で、ご迷惑をおかけ――」
――ガラガラガラ
突然、ドアが開く音が響き渡り、俺は挨拶を中断して、そちらを見る。
俺だけでなく、担任教師を含め、教室にいた全員の視線が集まった先には、生徒の姿があった。
彼は身長百八十センチくらいで、金髪碧眼。少し幼さが残る鼻筋のスッキリとした顔立ち。王子と紹介されれば、疑うことなく納得してしまう。そんな姿をしていた。
「おっと、タイミングが悪かったか。少年、すまんな!」
「え、あ、はい、ご丁寧に」
俺は反射的に彼に言葉を返す。
ホームルーム中に、教壇側の入り口から乱入なんて、胃に穴が空きそうな行為をしたにも関わらず、彼の表情は穏やか。
そのまま、気にした素振りもなく、俺の横に立つ。そして、肩越しに担任を見る。
「申し訳ない、担任殿。物見遊山で校舎を歩いていたら、道に迷ってしまった。我輩もここに立てばよかろう?」
「は、はい。お願いします」
「うむ、任せろ。おっと、そう言えば、少年の話の途中だったな。続けてくれ!」
うむ言わせぬ迫力――カリスマだろうか、彼は担当を差し置いて、場を仕切る。
でも、もう一度、挨拶のやり直しは酷ではないだろうか。
俺は少し悩んだ結果、ささっと終わらせることを決める。
今なら俺の挨拶より、彼の方にクラスメイトの興味は移っているし。
「えーっと、リンタロー=ソーマです。人里離れた偏屈な場所で過ごしていたので、常識とかに疎いですが、よろしくお願いします」
「うむうむ、実直な自己紹介だな、少年……いや、リンタロー! 実に好感がもてたぞ!」
「あ、ありがとうございます」
彼は、バシバシと俺の肩を叩いて褒める。なんか嬉しいが、叩かれる痛みと教壇という場所に、素直に喜びを表すことは憚られる。
俺は曖昧な笑顔で、彼が満足するまでサンドバッグに徹する。
「おっと、時間は有限であったな。我輩も名のりをしなければいけぬな。リンタロー、場を譲ってくれぬか?」
「あ、はい……」
俺は教壇の中央から、隅の方に素早く移動する。それだけで、心にのし掛かっていた重圧がフッと軽くなる。
やっぱり俺は庶民だと改めて実感してしまう。
彼は、俺が先ほどまで立っていた場所に移動すると、声を張り上げる。
「我輩のことを知っている者もいると思うが、名乗らせてもらう! 我輩はクォート=リリーシェル、王国騎士団、近衛隊の副団長を務めている!」
一瞬で教室中がザワザワと騒がしくなる。
近衛隊とか響きだけでエリート中のエリートだと分かる。さらに副団長といえば、誰でも知っている存在だろう。騒がれて当然だ。
それよりも俺が驚いたのは、リリーシェルという家名。テトラが元貴族であることを考えれば、同じ家名など、早々にいるはずがない。
先日テトラが話した兄というのは彼のことだろう。
よく見なくとも、顔立ちやらなんやらと彼――クォートとテトラはよく似ていた。
周囲のざわめきなど気にせず、クォートは言葉を続ける。
「ここに来たのは、軍医から任務と訓練にしか興味のない仕事中毒に健全な精神は宿らない、と言われたからだ! そして、立場を離れ、現場を離れ、任務と訓練から離れ、精神を癒せと特命を拝命した! それゆえ全力で学園生として過ごす所存だ!」
クォートが自己紹介を終えると、どこからともなく拍手が聞こえ始め、直ぐに大喝采に変わる。
俺も気づけば拍手していた。さすがは近衛隊の副団長、カリスマ性がハンパない。
クォートは右手をあげると、拍手がピタリと止む。彼は、つかつかと俺に歩み寄る。
「同じ日に学園に通うことになった誼みだ、よろしく頼む」
そう言って屈託のない笑顔で右手を差し出すクォート。一瞬で教室の体感温度が下がり、クラスメイトたちの視線が突き刺さってくる。
国のエリートと繋がりを持つことは大きなメリットで、一番最初に挨拶に行けば覚えも良くなる。
挨拶一番目を狙っていたクラスメイトたちからすると、俺は邪魔者以外の何者でもないだろうな、
クラスメイト全員から総無視とか、苛められたりしそうで怖い。
でも、差し出された右手を無視することは出来ず、俺は必死に笑顔を作る。
「こ、こちらこそ」
なんとか言葉を捻り出して、俺はクォートと握手を交わすのだった。




