034.学園長
シノさんが俺をレヴァール王立学園に通わせると言い放ってから数日後。
陽気な昼下がりで、いつもはウトウトと船を漕いでいる時間帯。
なのに俺は極度の緊張でキリキリ痛む胃を手で押さえながら、フカフカのソファーに縮こまるようにして座っている。
全身から滲み出してくる脂汗で、服がベタつき、高そうなソファーに汗染みが出来ないか心配になり、更に胃が痛い。
「師よ、突然現れて無茶を言わんでくださいよ」
目の前に座る四十代くらいの男性が、静かに告げる。その声音は低く厳かで、体の芯に響くような迫力があった。
そもそも男性自身が威厳の塊のように、俺には見えた。
金髪をきっちりオールバックにして、堀の深い顔に、刃物を思わせる鋭い眼光。身に付けている衣服は金糸をふんだんに使っている上に、布地自体が光沢があり、一般人の俺の目にも高級品というのがわかる。
そんな人物がいる室内なので、調度品も全てが煌びやか。高級品のオーラで室内が満たされている。
庶民の俺が、そんな空間に放り込まれれば、当然まともな精神状態を保てるわけがない。
今すぐにでも、この空間から逃げ出したい衝動をギリギリのところで耐えている。
「ハー、久々に顔を出してみれば、お堅いことを言い出す始末。ハー、つまらん男になったのー」
「し、シノさん……」
ぞんざいな口ぶりのシノさんに、俺の方が恐縮してしまう。
彼女はソファーにふんぞり返りながら、湯気立つカップを摘まむ。
花の香りを漂わせるお茶は、間違いなく高級品だろうが、彼女はそのままズズッと音を立てて、お茶を啜る。
そして、お茶請けの焼き菓子をポイポイと口に放り込む。
借金取りのような、感じの悪いシノさんの態度。男性を挑発するために、わざとやっていると信じているが、妙に様になっているのは何故だろう。
「心外です、師よ。リリーシェルのご令嬢を預かる際、私がどれほど心労を重ねたことか……」
「そんな昔のことは忘れたのじゃ、ヒトは今に生きるべきだと思わぬか、ルドルフよ」
シノさんは口の端を持ち上げ、愉しそうにケラケラと笑う。
その顔は、悪役が悪巧みするときにするやつですよ、シノさん。
心の中でツッコミをいれてから、俺は改めて目の前の男性を確認する。
ルドルフって、確か夜中に叩き起こされて、テトラの復学手続きをさせられた人だよな。
シノさんのことを師と呼んでいたから、弟子なのかな。苦労させられていそうだ。
「……もう既にご存じとは思いますが、王族が当学園に通われることになるのです。そんな時期に、どこの馬の骨ともわからぬ扶桑の者が、学園に通い始めれば、どうなるのか。聡明な師なら、お分かりになっていますよね?」
「わからぬ」
「ちょ、シノさん、即答って……」
ルドルフさんの問いかけを、シノさんはソファーにふんぞり返ったまま即答する。
ルドルフさんは額に手をあてて、深いため息をつきながら肩を落とす。
心中お察しいたします、と思わず口にしかけて、俺は慌てて口を手で塞ぐ。
「師よ、私の胃腸の心配はしてくださらないのですか。専属医にも心労を減らすように、よくよく言われて続けているのですが……」
「学園長なんて下らぬ肩書きを持ったせいじゃな」
とりつく島もないといった感じのシノさんに、ルドルフさんは深いため息をこぼす。
哀愁漂う姿に、威厳は身を潜め、俺の胃痛は少し収まってくる。
精神的にも余裕が出てきたせいか、俺はシノさんの言葉に聞き流せない単語があったことに気づく。
「学園長って……」
「ん? それがどうしたのじゃ。学園長と言うても、上に国王がおって、顎で使われるだけで、その辺にいる兵士と大差ない塵芥じゃ」
「いやいやいや、国立のデカい学園のトップでしょ! 雲上人じゃないですか!」
一般人では絶対なれない役職のはず。
それなりに力がある貴族じゃないと絶対なれないやつ。
俺が狼狽していると、ルドルフさんは目頭を押さえていた。何故に?
「師の関係者から、そんな反応をしてもらえたのは初めてだ。まさか、そんな日が訪れるとは思っていなかったので、琴線に触れてしまったようだ」
「感涙の緩いヤツじゃな。凛太郎は汝とちごうて、良き男子じゃから仕方ない面もあるかもしれぬがな」
素早く取り出した扇子を広げ、口許を隠しながら「カカカッ」と笑うシノさん。
シノさんに褒められることは素直に嬉しいのだけれど、突っ込みどころは、そこじゃないよ。シノさんの関係者というと、テトラも含めて、ルドルフさんの肩書きにビビらなかったってこと? 嘘だろ。
「先ほどの『どこの馬の骨ともわからぬ扶桑の者』という発言は撤回しよう。すまなかった。とても信じられぬことだが、キミは師の関係者でありながら、分別があり、良識を持っているようだな」
「えーっと、ありがとうございます」
褒められているのか、遠回しの皮肉なのか、少し悩んだが、俺は素直に受け取ることにする。
「少年、私はルドルフ=クーゲルスという。レヴァール王立学園の学園長という立場を国王より任されている。学園は才ある者、志しある者に対して門戸を開いているため、全ての国民が通うことが可能だ。更に国外からも学生を受け入れている。無論、扶桑出身の者も多く在籍している」
「えーっと、俺――いや、私は……」
ちらりと横のシノさんに視線を送る。ルドルフさんは、扶桑の民を知ってそうだし、下手な自己紹介をして、扶桑の人を世話役とかでつけられたら絶対ボロが出る。
俺の視線に気づいたシノさんは、気だるそうに室内をぐるりと見渡す。
「ルドルフや、この部屋の機密は万全かえ?」
「万全です。幾重にも結界を張り巡らせております。『千里眼』でも、この部屋を覗き見ることは出来ますまい。窓ガラスも外から室内を窺うことが出来ない特注品を使っております。音声についても外に漏れぬようにしております」
「ふむ、妾が視た感じ、なかなか腕の良い術師が色々と施しておるようじゃな」
その言葉にルドルフさんは、ほんの少し嬉しそうに口の端が動き、頬もほんの少し弛む。そして、軽く頭を下げる。
「師に誉めて戴けるとは、恐悦至極の至りでございます」
「……視たことある癖が見受けられると思うたが、汝自ら結界を施したりしておるのか。学園長とは、ずいぶんと暇なんじゃな」
「他の者に任せてしまえば、裏口が仕込まれた際に気づけなくなってしまいます。万全のセキュリティを担保するには、私が手を動かした方が確実という判断からです」
自信満々のルドルフさんに、シノさんはつまらなさそうに、ふんと鼻を鳴らす。
ルドルフさんは、学園長でありながら、シノさんが誉めるほどの結界を張れる腕前を持っているってことだよな。実力を兼ね備えたエリートってチートに近いよな。
少しルドルフさんを妬んでも問題ないよな?
「……凛太郎」
「は、はい!」
「汝について、ルドルフに丁寧に話してやるのじゃ。遠慮はいらぬ。ルドルフは見た目どおり、口が固いからの。例え魔術の類いで自白を強要されても口は割らぬだろうし、精神体を探られても情報を渡さぬ変態じゃからな」
「……師よ、誤解を招くような表現はやめてくだされ。特異体質とでも言えばよいでしょう。私の祖先に魔族の類いがいたようでな、普通の人間より耐性が高いのだ。また、精神体も少し構造が違うようで、師と並ぶほどの実力者でなければ、読み取れぬようだ」
シノさんを一度見て、ルドルフさんは、ため息をつく。
普通の人とは違うから、自白させるような魔術とかに耐性があって、精神体は人とは違う――パソコンのOS、もしくはファイル形式が違うと読み取れないに近いのだろうか――から、情報を引き出せない。なんか重要な情報が集まりそうなポジションに欲しい人材だな、ルドルフさん。
でも、先ほどの口ぶりのからすると、シノさんは嘘をつかずに話せということだよな。
俺は一度、深呼吸をして気を鎮める。そして、真っ直ぐにルドルフさんの目を見る。
「俺は、相馬凛太郎と言います。そして、『世界を渡るモノ』です」
俺がその単語を発した瞬間、ルドルフさんは目を見開いて絶句していた。




