033.トラブルは朝餉と共に①
「……朝か。なんか久々に自分の部屋で起きた気がする」
ヴァン山脈では、ずっと野宿だったので、ベッドでいつも以上に熟睡してしまった。
この世界に転移したすぐの頃は、ベッドの固さを嘆いて、枕を涙で濡らした夜もあったはずなのに。やっぱり野宿よりは、この固いベッドの方が寝やすい。
「さってと、ちゃっちゃと朝飯の支度でもするか」
俺は、バキバキと背骨を鳴らしながら、洗面所を目指す。
そいえば、俺とテトラと別行動をとっていた間、シノさんは食事をどうしていたんだろうか。
あの口の中の水分を全て奪って、いつまでも噛みきれない固いグミみたいな保存食で済ましたのかな。
連日保存食は、俺には無理だな。
そんなことを考えながら、手早く顔を洗い、歯を磨く。手櫛で寝癖をささっと直す。
俺は鼻歌交じりに台所に向かう。
「おはようなのじゃ。さすがは凛太郎、冒険明けでも、きちんと起きてきたの」
「――ッ!」
テンションが上がり、歌詞を口にしかけた瞬間、シノさんが俺に声をかけてくる。
油断していたので、飛び上がるレベルで驚いた。肩がビクッと跳ねただけで済んだのは僥倖だった。
「お、おはようございます。随分と起きるのが早いですね。いつもなら、起きるのはもう少し日が昇ってからなのに」
「うむ。今朝は早く目が覚めてしまったのじゃ。何故なら久々に凛太郎の作る朝餉を口に出来るからじゃ」
銀糸の様な髪はボサボサで、寝間着もボタンが外れて肩が露出している。そして、ふくよかな双丘がこぼれ出して――
「ちょ、朝飯の支度には、まだ時間がかかるので、身支度してきてください」
「む、妾は凛太郎の朝餉を食らったら、二度寝の予定じゃ。なので、身支度は不要じゃ」
「……そんな理屈は通りません。テトラに見つかると叱られますよ。甘い厚焼き玉子も作ってあげますから」
「むむ、仕方ないのー」
シノさんは、不服そうな顔で、フラフラと面倒そうに洗面所に歩いていく。窓から差し込む朝日にキラキラ輝く髪が綺麗で一瞬、見惚れてしまうが、俺はホッと胸を撫で下ろす。
あのまま無防備な格好のシノさんがいたら、気になって料理に集中出来なかったはず。前屈みで、素早く作業なんて絶対無理だし。
「まずは米を炊いて、汁物と主菜をどうするか……」
俺は食材を確認して、素早く調理をしてしまうことにする。
自分の作る朝食を楽しみにしてる。それだけで、やる気が出るなんで、俺もチョロい人間だな。
***
朝食のメニューは、白米にワカメの味噌汁、厚焼き玉子。ガルムのおっさんから貰った魚の塩漬けを焼いたやつと葉野菜のおひたし。
和風、いや扶桑風の献立だ。こうなってくると、梅干しとか豆腐とか納豆とか欲しくなってくる。今度、扶桑料理屋に『烏兎』に行ったとき、春陽さんに聞いてみよう。
「うむうむ、さすがは凛太郎。実に雰囲気のある朝餉じゃ。野宿明けは特に料理が輝いて見えるのじゃ」
「そんな大げさ過ぎますよ。こった料理は一つもないですから」
「こういう奇を衒わぬ料理は、意外とないものじゃ。特に扶桑と大陸では根本的に味付けが違ったりするからの」
目を輝かせながら、ヨダレを拭うシノさんに苦笑しながら、お碗に炊きたて白米をよそって、シノさんの前に置く。
今すぐにでも白米をかっ食らい始めそうなシノさんだが、俺が自分の分の白米を碗によそうの睨みながら、ぐっと堪える。
フサフサの尻尾が揺れ、頭の三角形の耳が世話しなく動くので、俺は笑いを必死に堪える。
「よし! いただ――」
「おはようございます、お師様! リンタロー!」
明るい声がダイニングに響く。振り替えると少し頬を高揚させたテトラが笑顔で入り口に立っていた。
水を差されたシノさんは、眉間に柳眉を寄せる。
「テトラ……妾の朝餉を邪魔するとは、よい度胸をしておるのじゃ」
「嘘……。お師様が朝食の時間にも関わらず、ちゃんと起きてるなんて……」
驚愕の表情のテトラ。
俺にもその気持ちはよく分かる。だが、今日は俺の努力の賜物でもあるので、許容範囲内だ。
俺は席から立つと、手早くテトラの分をテーブルに並べる。
テトラが来ることを予想していたのか? 俺がそこまで勘が働くわけない。テンション上がりすぎて作りすぎただけだ。
一瞬、呆けていたテトラだが、すぐ満面の笑みを浮かべて席に着く。シノさんは若干不満そうだが、再度手を合わせる。
「では、いただくのじゃ!」
「いただきます」
「神よ、今日を生きる糧を……むぅ……いただきます」
俺は、まず味噌汁を一口啜る。この世界に転移するまでは、なんとも思っていなかった味噌汁の味に、ホッと息が溢れてしまう。家で食べていた味噌汁と味も香りも違うけれど、心を癒す何かがある。
塩辛い焼き魚。これ一切れでご飯がお代わりできる。口休めの厚焼き玉子の甘さも、葉野菜のおひたしの滋養のありそうな味わいも、体に染み渡る。
たくわんがあれば、歯応えの違いも出てきて、もっと良かったかもしれない。
異世界で気づく日本人らしさに、俺は少ししんみりしてしまう。
「うまいのじゃ! おかわり!」
「リンタロー、私も!」
「……はいはい」
俺は苦笑しながら二人の碗に白米の山を作って手渡す。すぐに一心不乱という表現がしっくりくる勢いで白米を口に掻き込む二人。
二人がいれば懐郷病とは無縁の生活が出来そうだな。
「で、何があったのじゃ、テトラ」
「――ッ!」
「テトラ、水だよ」
お代わりラッシュが落ち着いて間もなく、シノさんが味噌汁を啜りながらテトラに声をかける。
タイミングが悪かったのか、喉を詰まらせたテトラが胸を叩き始め、俺は慌てて水の入ったコップをテトラに手渡す。
コクコクと喉を鳴らして、コップの水を飲み干す。
「……死ぬところだった。ありがとう、リンタロー。お師様、いきなりなんですか?」
「汝は、嘘をつくのが下手すぎるのじゃ。平日の朝から錬金工房に顔を出すのは、何かあったときくらいじゃろ」
「ち、違います。冒険の疲れがあったので、午前中は休むことにしたんです。お師様のお陰で、冒険自体も休学するほど長期間にならなかったですし、復学手続きとか――」
「そんなもの、妾が昨日さっさと済ましておるぞ。ルドルフめ、歳を食って落ち着いたかと思うたが、はな垂れ小僧のときとあまり変わっておらぬ」
味噌汁を旨そうに啜るシノさんに、ホッコリしつつ、俺は情報を整理する。
ルドルフって初めて聞いた名前だけど、たぶん学園関係者のはず。錬金工房に人が訪ねてきた気配もシノさんが帰ってきてから出掛けた気配もなかった。一体いつシノさんは手続きをやったのだろう。
「シノさん、俺たちが昨日、ヴァン山脈から、自由都市に戻ってきたのは、そこそこ遅かったですよね。門が閉まってたから、シノさんが手形? みたいなのを見せて門番を脅し――納得させて街に入れてもらって、そのまま『ワイルドベアーの巣穴』で食事とかして、いつルドルフって人とやり取りしたんですか?」
「そんなもの街に配置している使い魔と同調すれば、いつでも出来るのじゃ。飯を食いながら、ちょちょちのちょいなのじゃ」
さも当然という感じのシノさん。夜中に叩き起こされたルドルフさん、可哀想すぎる。
まだ見ぬルドルフさんの災難に心の涙を流しつつ、朝食を綺麗に平らげたシノさんに湯気立つ緑茶を手渡す。
澄ました顔で緑茶を啜るシノさんだが、視線はテトラを捉えたままだ。
テトラはぎこちない動きで、残していた厚焼き玉子を口に放り込み、味わうように咀嚼する。視線はそらしたまま、決してシノさんの方を見ない。
何かあるのは勘の働かない俺ですら分かる。シノさんに視線を送ると、彼女は苦笑しながら肩をすくめて見せる。
俺は緑茶をテトラの前に置きながら訊ねることにする。
「テトラ、何か困ったことでもあったのか? 普段からテトラには、お世話になっている。俺では力不足かもしれないけれど、手を貸すよ」
「リンタロー……」
テトラは俺を見つめながら何かを考えているようだった。シノさんがニヤニヤしながら様子を伺う気配がするが、あえて無視しておく。
時間にして数分。テトラはゆっくりと口を開くのだった。




