032.魔狼の巣穴②
『小僧、貴様は忌み子か?』
魔狼の背中に必死にしがみついている俺に魔狼が声をかけてくる。
少しでも体勢を変えれば、Gとか風圧とかに吹き飛ばされてしまうため、俺は返事が出来ない。
どうすれば返事が出来るか、俺が悩んでいると魔狼の毛が一瞬、淡く輝く。同時に俺を吹き飛ばそうと吹き荒れていた風が穏やかになる。
『どうだ、小僧。これで話す余裕が出来ただろう』
「あ、はい。ありがとうございます。結界、ですか?」
『その通りだ。まさか、この程度で苦労しているとは、小僧は貧弱だな』
魔狼が嘲るように言ってくるが、事実なので俺は反論をグッと堪える。
多少は体が鍛えられたと思うけど、魔物もいない平和な世界から転移してきた俺が、この世界水準の身体能力と比較すれば、足元にも及ばないからな。
「……忌み子って何ですか?」
『む? 知らんのか? あの狐女が教えていないのか。簡単に言うと忌み子は、厄災の原因となる存在だ。そのため、ヒトには忌み嫌われている』
「え? 嫌われてるんですか?」
思わす俺は聞き返してしまう。
シノさんからは、俺は"世界を渡るモノ"と言われる存在だと教わった。この世界にない知識や技術など、権力者からすれば、金の卵を産む雌鶏のようなもので、奪い合いになるので、公言しないほうが良い、と。
つまり、良し悪しを考えなければ、引く手あまたの人気者ってことじゃないのか?
俺の反応が不可解だったのか、魔狼は走りながら、器用に首を傾げる。
余計なことは言わずに、俺は魔狼の言葉を待つ。その間、周囲の景色は次々に流れていく。魔狼の駆ける速さが人間と比べて段違いなのがわかる。
それだけで魔狼の強さがわかる。生物としての強さが、人間とは比べ物にならないほど強い。そんな相手に俺は、よく対峙出来たものだ。アドレナリンが全開だったから、出来た芸当かもしれない。
『小僧、魔力を持たぬな』
「……はい」
『魔力を持たぬということは、この世界では異端だ。魔力を持たぬがゆえ、魔術は使えぬだろう。小僧が俺様に魔術を放ったのは、いつだか作り出されたカラクリを用いたおかげだろ』
一瞬、魔狼が俺の方を見た気がした。
俺は左手首に鈍く輝く"忠義の腕輪"を一瞥する。シノさんの制御下にありそうな気がする魔狼に、魔導具を教えて良いものだろうか。
俺が思案していると、魔狼の動きが止まる。視線をあげると、見上げるような巨木が立っていた。
『む、話しが終わる前に着いてしまったな。降りよ、小僧』
「あ、はい」
魔狼に促され、ずり落ちるように魔狼の背から地面に降りる。時間にして一時間と少しくらいだったたろうが、足に力が入らずに尻餅をつく。魔狼の背中にしがみつくので、全体力を使いきってしまったようだ。
『小僧、何をやっているのだ。軟弱過ぎるぞ』
「……すいません」
なんで謝っているんだろ、俺。
フラフラと立ち上がり、改めて巨木を見る。表面が石化しており、生きているようには見えない。地図にあった"枯れた大木"に間違いないだろう。
"枯れた大木"の根本には、手桶くらいの水溜まりがあった。近づいて覗いて見ると、小魚や虫などの生物はおろか、苔のようなものも一切ない。ただ澄みきった水が湛えられていた。
何もないただの水溜まりだが、神秘的な気配を感じさせる。
「……美味しそう、だな」
『小僧、その水は飲むなよ。小僧には猛毒だぞ』
魔狼の言葉に、俺は伸ばしかけた手を引っ込める。こんな綺麗な水が猛毒なんて想定外だ。
『その水は、その石木が地下の龍脈より吸い上げた魔力に富んだ水が、少しずつ染み出したものだ。魔力を持たぬ小僧が飲めば、耐えきれずに体が弾けるぞ』
魔狼はニヤリと大きな口を歪ませて笑う。
『素質あるものが飲めば、その者の魔力を強める神水と言われている。小僧に限らず、素養のないものが飲めば命を失う。成功率は一万回に一回程度だな。小僧、試してみるか?』
俺は全力で首を左右に振る。
主人公がパワーアップアイテムで、覚醒したりして、超強くなるのは、よくある話。だけど、それは主人公補正があってのこと。俺にそれがあるとは到底思えない。
俺の反応に、魔狼は少し驚いたような素振りを見せる。
『ふむ、小僧は軟弱だが、浅はかではないようだな。魔力が強まると聞けば、大抵のヒトは危険を顧みずに飲むのだがな』
「そんな危険な代物を躊躇なく、口にするわけないでしょ」
でも、俺が中二病の重症患者なら、即飲んでいたかもしれない。
俺はテトラから受け取った魔導具――水汲み用の袋を取り出す。
「……この水に触れたら、肌が爛れるとかないですよね?」
『ない。ただし、長時間、触れていればわからんがな』
魔狼に確認をとってから、俺は水溜まりに触れる。
指先から冷たい感触が伝わってくる。体感で水温はゼロ度を下回っているように冷たく感じる。
そして、不快な異物感に気分が悪くなってくる。
『小僧、前言撤回だ。魔力のない小僧には触れるのも良くないようだな。その袋を開け』
「あ、はい」
魔狼の指示に従って、水汲み用の袋の口を開く。魔狼が小さく吠えると、水溜まりの表面がざわつき、盛り上がると蛇のようになると、袋に入っていく。
袋に水が八割ほど入ると、水は形を失って元に戻る。
魔術で水を汲んだってことか。魔力の濃い水を魔術で汲み上げるってことは、魔狼の魔力はそれ以上ということなのか。
改めて、魔狼に挑んだ自分の無謀さ加減に肝が冷えてしまう。
『それくらいあれば事足りるだろ。さっさと戻るぞ。早く戻らねば、あの狐女が癇癪を起こすかもしれんからな』
「シノさんは、そんな人じゃないですよ」
『小僧は、最近の狐女しか知らんからだ。あの狐女は――ッ!』
「……?」
不意に喋ることを止める魔狼。そして、ガタガタと震え始める。
俺は訝しげながら、魔狼の様子を眺めながら、袋の口を締める。
「えっと、どうしました? 昔のシノさんが――」
『な、なんでもない! 小僧、さっさと戻るぞ!』
慌てた様子の魔狼は、俺の襟首を咥えて持ち上げると、一目散に駆け出した。俺はシェイクされて混濁する意識の中で、魔導具を必死に抱きかかえた。




