031.邂逅③
「嘘だろ……」
沈黙が支配する空間で、俺は思わず呟いた。
魔狼が魔力を熱量に変換し、全てを吹き飛ばした。
時間にしてわずか数秒に満たない時間の出来事。それなのに、周囲の光景は一変していた。
草木どころか岩も転がっていない。山中では不自然な更地になっている。
「……リンタローの、おかげで直撃を免れたわ」
「たまたまだよ。魔狼の方が少し高い位置にいたから爆風が弱まったんだよ。あとはドルガゥンさんの盾があったから、最小ダメージで切り抜けれたんだよ」
テトラの装備しているヒーターシールドは、先ほどの爆発の際に飛来物から俺たちを守ってくれた。なのに傷らしい傷は見当たらない。さすがの防御力に感嘆してしまう。伝説の鍛冶屋は伊達じゃないな。
「――って、呆然としている場合じゃない! 魔狼は!」
俺は刀を手に慌てて身構える。疑似魔術を行使した反動で、体の芯が重く、刀を持ち上げるのもキツい。
チラリと肩越しにテトラを確認する。彼女は膝に手をつきながら、立ち上がろうとするがバランスを崩して倒れる。俺はとっさに手を伸ばしかけたが、魔狼の気配に動くことが出来なかった。
――growl
地の底から響いてくるような唸り声。
肌越しにビリビリとした敵意が伝わってくる。同時にぶわっと全身の毛穴から脂汗が噴き出してくる。
ヤバい、と本能が警鐘を鳴らしてくる。
恐怖心と緊張感に、気づけば俺は喘ぐように浅い呼吸を繰り返していた。
「……リンタロー、は……逃げて……」
「ハァ、ハァ、ハァ、逃げれる、わけないだろ」
テトラの方に視線を向ける余裕もなく、俺は一点――魔狼を睨む。
魔力を大量に消費したためか、魔狼の毛並みは少し薄汚れているように見えた。それでも全身から放たれる威圧的は健在。眼光の鋭さに衰えはない。
圧倒的な体力と魔力を持っていたであろう魔狼。例え魔狼が体力と魔力を七割消耗したとしても、俺の手に負えるとは思えなかった。
それでも――
「逃げる、選択肢はないな」
自分に確認するように、俺は言葉を口にする。
ゆっくりと俺たちに近づいてくる魔狼。どんどん大きくなっていく魔狼の姿に、俺の顔は勝手に引きつっていく。
俺の使える疑似魔術では、魔狼の足止めも難しい。悪臭玉を投げつければ、魔狼のターゲットを俺に向けさせて、テトラが逃げる時間を稼げるかもしれない。
俺は無意識に唾を飲み、服の袖で顔の汗を拭う。
腹積もりは決まった。
魔狼を見据えたまま、俺は腰のポーチに手を伸ばす。
――Howl!!
魔狼の咆哮。ビリビリと大気が震え、あまりの音量に、俺は反射的に顔をしかめる。
俺の足で二、三歩の距離。魔狼にとっては前足で俺を攻撃できる距離。俺が単に悪臭玉を投げて魔狼に当てることが出来るのか? 疑似魔術で補助すれば魔狼に当てることが出来るのか? 疑似魔術の発動する気配で警戒される。
じわりと焦りが滲み出してくる。
躊躇したのは一瞬。ただその一瞬が過ぎると同時に魔狼の周囲がバチバチと弾ける。
「――ッ! しまっ――」
魔狼が何かしらの魔術を発動させた兆し。攻撃を躊躇した自分に後悔してしまう。
テトラを守るために、この瞬間に俺が出来るのはなんだ? 疑似魔術で防御結界を展開することが出来るのか。
「粗忽者。妾の愛弟子と凛太郎に怪我をさせるでないのじゃ」
不意に耳に届くシノさんの落ち着いた声。そして――
スパァァァァァン!!
と、少し間の抜けた打撃音が周囲に響き渡る。魔狼が頭を地面に叩きつけられていた。
「シノさん!」
「お師様!」
俺とテトラは同時に声をあげる。
シノさんは、俺と魔狼の間に、ふわりと地面に着地する。
どこにしまっていたのか、巨大なハリセンを肩に担ぐようにして持っていた。
「テトラ、無茶をするでない。汝は、いづれ魔眼を使いこなせる時がくるのじゃ」
ふぅ、と肩をすくめながら、シノさんは指をパチン! と鳴らす。テトラが小さく呻くと、瞳の輝きが霧散する。ふらり、とテトラの体か揺れ、俺は慌ててテトラに駆け寄る。
「テトラ、大丈夫か?」
「う、うん。強制的に魔眼を閉じられたから、ちょっと目眩がしただけだから……」
テトラは俺の肩を掴みながら、耳のピアスに手を伸ばす。バチッと小さな音が鳴り、テトラは反射的に手を離す。
それを見てシノさんはニヤニヤ笑いながら、人差し指を左右に振る。
「チッチッチ、甘いのじゃ、テトラ。悪いが、しばらくは魔眼を開けぬように処置させてもらったのじゃ。耳を切り落とすでもしなければ、外せぬ――っ、凛太郎、テトラのバカを動かぬように押さえるのじゃ」
テトラは躊躇なく、手にした剣で自分の耳を切り落とそうとする。シノさんの言葉に従って、テトラを羽交い締めする。
「リンタロー、離して」
「ちょ、落ち着けって」
かなり消耗しているはずなのに、抵抗するテトラは俺の拘束を解こうとする。気遣いをする余裕はない。
「さてと、テトラは凛太郎に任せるのじゃ。で、どう落とし前をつけるのじゃ? ああ?」
『ふっざけんなよ! なんで俺様がてめぇに落とし前を――』
「ふんぬっ!」
スパァァァァァン!!
俺の聞き間違えでなければ、魔狼が人語を口にした。そして、間髪いれずにシノさんにしばかれた。
理解が追い付かず、俺は目を白黒してしまう。
「妾にそのような口を聞けるとは、ずいぶんと偉くなったものよの」
『ぐぬぬぬっ』
「あの他の魔物にどつき回されて泣いておったのは誰じゃったかの」
『よ、ようこそ、いらっしゃいました、アキツシマ様』
心底悔しそうに魔狼が伏せながら、恭しくシノさんに告げる。俺はポカンと呆けてしまう。その隙をついて、テトラが俺の拘束から抜け出し、シノさんに詰め寄る。
「お師様! 説明してください!」
「慌てるでない、慌てるでない。大した話ではないのじゃ。この駄犬が幼い頃、助けてやったことがあるだけじゃ」
「……私たちに、それを教えなかった理由はなんですか?」
「それは面白――いや、本来であれば死と隣り合わせのダンジョンなんじゃぞ。ズルをさせては弟子の成長を妨げてしまうじゃろ」
うんうん、と頷くシノさん。上手いことを言ったつもりなのだろうが、テトラの眉間のシワは深くなる。
『アキツシマ様が、殺さない程度に驚か――』
「余計なことを言うでないのじゃ」
スパァァァァァン!!
魔狼がシノさんにしばかれる。俺が死を覚悟した魔狼がしばかれている。非常に納得できない光景が繰り広げられている。
俺は何となく状況を察する。
「……つまり、本来であれば危険なダンジョンだけど、フィールドボスが顔馴染みで、そのままでは著しく難易度が下がってしまう。だからパーティーから離脱して、端から俺たちの様子を伺っていたということですか?」
「む、その通りであるのじゃが、ちゃんと危険があれば助ける準備は滞りなくやっておったのじゃ」
テトラの口の端か持ち上がり、三日月のような形になる。ゾクリと悪寒が背中を駆け上がる。
「お師様……今日という今日は……」
「待て待て待て、話せばわかるのじゃ、話せば――」
据わった目で笑いながらシノさんを追いかけるテトラ。
俺は何故か魔狼と一度、顔を見合わせると嘆息してテトラの怒りが収まるのを待つのだった。




