030.崖の細道③
パチパチと焚き火の弾ける音。獣の遠吠えにまじる虫の音。
ゴワゴワと固い感触が背中から伝わってきて、ボンヤリとしていた意識がゆっくりと浮かび上がっていく。
視線を動かすとオレンジ色に照らされた景色が俺の視界に映る。夜露と明かりを抑えるための天幕。その先には濃い藍色の空に無数の星が煌めいている。
「……ここはどこ?」
鈍い思考で必死に考える。
俺は"崖の細道"にいたはず。誤って魔物避けの結界を壊して、襲ってきたロック鳥に音響爆弾を――
「テトラッ!」
慌てて俺は起き上がる。いきなり起き上がったせいか、ズキンと頭に痛みが走り、思わず顔をしかめる。それよりも、あの後はどうなった? 俺が無事ということは魔物避けの結界を再展開できたってこと? 意識が途切れる前の状況を必死に思い出す。
不意にふわりと甘い香りが漂い、何かに包まれる感覚。
「リンタロー! 気がついて、よかった……」
「ごめん、心配かけた」
テトラが俺を抱き締めていた。彼女は鎧を身に付けたままなので、ゴツゴツしているのだが、不思議と柔らかくて温かい。
彼女の顔は俺のすぐ横にあって、表情はわからない。一瞬の戸惑いがあったが、俺はテトラを抱き締め返す。ポンポンと優しく彼女の頭を撫でる。
「さすがテトラ。魔物避けの結界、張り直してくれたんだ」
「リンタローのおかげ。たぶん私が結界の核を取り出してたら、成功してなかった」
「いやいや、俺のおかげはおかしいよ。だって結界を壊したのは俺だし」
テトラの左右に首を振る気配。彼女の柔らかい髪が肌を撫で、少しこそばゆい。
「結界の核を取り出すように指示したのは私。だから、結界が壊れたのはリンタローのせいじゃない。私の判断ミス」
「そもそもを言うてしまえば、完璧と言っても過言ではないほど、見事な隠蔽が施されていた結界の核を、見つけ出した凛太郎のせいじゃ」
「――ッ! お、お師様!」
「し、シノさん!」
反射的に俺とテトラは体を突き放し、突然聞こえてきた声の主――シノさんの姿を探す。
すぐ近くに銀糸のような髪をなびかせ、三角形の耳――狐耳をピコピコと動かす切れ目の相貌の美女、シノさんの姿があった。
いつもの朝霧色のローブ姿は、町中を歩いているような気楽さがあり、俺やテトラのように背負子を背負って山を探検しているようには見えない。
山の入り口で別れて姿を見ていなかったので、テトラも安堵したようだった。
そんな俺たちの心情はよそに、シノさんは懐から取り出した扇子をパッと開く。
「ハッハッハ、ずいぶんと甘酸っぱい良い雰囲気が流れておったぞ」
「お師様ッ!」
開いた扇子で口元を隠しながら、心底愉しそうな表情で笑うシノさん。対するテトラは耳まで真っ赤にしながら、ショートソードを抜き放つ。俺は慌ててテトラの背後からしがみつく。
「リンタロー、離して! お師様を斬り伏せれない!」
「落ち着け、落ち着けって。まずはシノさんと合流出来たんだから、情報共有しないと」
「そうじゃぞ、そうじゃぞ。冒険者は時間と場所と場合を踏まえた行動をとらねば、ヒトはさくりと命を落としてしまうことになるのじゃ。凛太郎の言うとおり、情報共有は優先すべきことじゃな」
パチン! と扇子を閉じながら、ウンウンと頷くシノさん。
シノさんが指摘するとツッコミ待ちなのかと悩んでしまう。
しばらく唸り声を周囲に響かせて、シノさんを威嚇していたテトラだが、諦めてショートソードを鞘に納める。俺はホッと胸を撫で下ろしながらテトラから離れる。
「で、シノさんが隠蔽が施されていたと言われてましたけど、単に俺が四つん這いに近い状態で石橋を渡っていたことと、敷石が接着されていなかったから見つけただけですよ」
「凛太郎がへっぴり腰で、石橋を渡っていたことは置いといて、敷石は接着していないのではなく、出来なかったのじゃよ。テトラよ、結界の術式は、どういう風に描かれておったか覚えておるか?」
急に話を振られたテトラは、目を閉じると少し考え込む。きっと魔物避けの結界について思い出しているのだろう。
魔術も錬金術もよくわからない俺には、テトラが手をかざしたら、淡く輝きだした幾何学模様としか表現しようがない。
「……魔物の牙を核として、可能な限り細いラインで描かれてました。たぶん石橋全体に」
「うむ。では、隠蔽の術式はどこに描かれておったのか?」
「蓋にしていた敷石です」
少し自信なさげに、シノさんの質問に答えるテトラ。当然、俺にはどこに何が描かれていたのか聞いてもさっぱりわからない。
シノさんは、テトラの回答に満足そうに頷く。
「あの石橋は複数の術式が存在しておる。まずは――」
そう言ってシノさんは、説明を始める。
一つ目は石橋の橋台に設置された周囲のマナを集めて、指定したものにマナを供給する術式。
二つ目は周囲の土砂から石橋を生成する術式。
三つ目は魔物の素材を核として、石橋を魔物と誤認させる術式。魔物の牙は、そこそこ齢を重ねたドラゴンのものだったらしく、並大抵の魔物なら、石橋周辺をドラゴンの縄張りとして近づかなくなるとのこと。
四つ目が蓋になっていた敷石に施された隠蔽の術式。普通なら他の敷石と同じようにしか見えないそうだ。
「テトラの術式を修復した腕は見事じゃったが、触れたのが凛太郎でなかったのならば、失敗しておったのじゃ」
「……やっぱりですか」
シノさんの言葉に、納得したように呟くテトラ。俺はその反応に首を傾げてしまう。
「凛太郎には魔力がない。そのため結界の核に触れた際に、余計な負荷を与えなかった。結果、結界の術式を壊さずに済んだのじゃ」
「だから、破断しているパスを繋げるだけで、結界が直せたのですね」
「とはいえ、流派や術者で癖があるのじゃ。全く知らぬ術者の結界を直せたのは、テトラが真面目に研鑽している証拠なのじゃ。腕を挙げたな、テトラ。妾は嬉しく思うぞ」
「あ、ありがとうございます、お師様」
シノさんの言葉に、テトラは顔を綻ばせて跪く。シノさんは目を細めながら、テトラの頭を撫でる。
俺は完全に仲間外れだ。ま、俺は錬金術師じゃないからいいんだけど。
しばらく二人の姿を眺めていたが、不意に疑問がわき起こる。シノさんの登場もそうだが、石橋の件も妙に詳しい。近くで様子を伺っていたとしか思えないほどに。
「ところでシノさんは、どこから俺たちを見ていたんですか?」
「崖の上にもう一本、道があるのじゃ。そこから高みの見ぶ――」
慌てて口を両手で塞ぐシノさん。しかし、時は既に遅し。ゆらりとテトラが立ち上がる。風がないのにゆらゆらとスカートの裾がはためいている。
「おーしーさーまー」
「凛太郎! なんと酷い誘導尋問なのじゃ!」
「リンタローが大変だったのに、隠れて見ていたなんて許されません!」
「り、凛太郎が無事なのは確認済みだったのじゃ! だから、若いもの同士親睦を深めるのも良かろうと気を利かせ――」
「お師様! そんな言い訳は通用しません! 今日という今日こそは社会常識を叩き込んであげます!」
「せ、戦略的撤退なのじゃ」
シノさんは懐から取り出した何かを地面に叩きつける。ポン! と乾いた炸裂音と共に白い煙が周囲を包み込む。
「え、煙幕玉」
「お、お師様! 諦めが悪いですよ!」
「アーハッハッハ、用事が残っておるので、お暇させてもらうのじゃ」
遠退いていくシノさんの哄笑。地団駄を踏むテトラ。
寸劇のような二人のやり取りを俺は端から眺めることしか出来なかった。
ここって伝説な魔狼が住む危険なエリアだったよな、と俺は自分自身に確認するのだった。




