030.崖の細道②
「リンタロー、はーやーく~」
「わ、わかってるから。もうちょい待ってくれよ」
テトラの少し不機嫌そうな声。
俺は四つん這いのまま、顔を下に向けたまま返事をする。何故なら下手に顔を動かすと、自分がどこにいるのか視覚情報からハッキリと認識してしまうことになるからだ。確実に足がすくんで動けなくなってしまうはず。
俺は「ふぅー」と息を吐き、自分が今いる場所について、頭の奥の方へ押し込む。そして、石畳に見える橋桁をジリジリと進んでいく。
変な体勢で進んでいるため、背負子の重さが全身にのし掛かり、あちらこちらの筋肉が悲鳴をあげる。
風は穏やかだが、欄干もない狭い橋を、よどみない足取りで渡ったテトラ。俺には真似できそうにない。
「ん? なんだこれ」
橋のちょうど真ん中付近にさしかかったあたりで、俺は橋桁に違和感を覚える。橋桁の石畳の一つが、色合いが違う……気がする。
手のひらより少し小さいくらいの敷石を、俺は手で土埃を払う。他の敷石はつなぎで綺麗にくっついているのに、この敷石の四辺は透き間がある。
「リンタロー、何してるの?」
「ッ! びっくりした……」
「大げさすぎだよ。普通に歩いてきただけなのに」
いつの間にか俺のすぐそばにテトラが立っていた。彼女は不満そうに頬を膨らませている。
俺はテトラの接近に気づけないほど、集中していたのかどうか。普通に考えれば剣とか盾だけでなく、籠手とか脛当が歩く度に音が出て、接近に気づけそうなんだけどな。
ここでテトラのみのこなしについて、追求しても仕方がないので、俺は気になった敷石を指さす。
「この一枚だけ、他とは違って固定されていないみたいなんだ」
「……固定されていないみたいね。リンタロー、その敷石って剥がせそう?」
「ちょっと試してみるよ」
採集用の小型の反りのないナイフを腰のポーチから取りだし、敷石の隙間に差し込む。少し抵抗を感じたが、ナイフの刃は素直に差し込めた。
ナイフが曲がったりしないように、気を付けながら、左右に動かす。ギギギ、という敷石の擦れる音とともに、少しずつ敷石が浮いてくる。
そのまま、ナイフで作業を続けると、ナイフが曲がりそうなので、敷石の浮いてきた部分を指で摘み、敷石を揺らしながら引き上げる。
俺とテトラは、一度顔を見合わせてから、敷石で隠されていた空間を覗き込む。
「……魔物の牙? 爪?」
「牙だけど、切歯とかかも」
切歯ってことは、人で言うところの前歯かな。取り出さないと正確なサイズはわからないけど、俺の手のひらより長い気がする。
普通に通過していれば見つけられない、隠しアイテムというとこで回収していいのかな。
「テトラ、持っていく?」
「んー、貴重な素材には間違いないんだけど……」
「取り出した瞬間、橋が崩壊するとか」
「それはないと思うわ。両方の橋台のそばに、魔術式があったわ。たぶん周囲のマナを集めて、半永久的に橋を維持する仕組みだわ」
俺が必死に橋を渡っている間に、周辺の調査をしていたのか。さすがテトラ。
なんの魔物の歯かわからないけど、橋が崩落する危険がなければ、取り出してもいいような気がする。
錬金術も魔術もよくわからない俺はテトラの判断に従うしかない。
しばらく「ぐぬぬぬっ」と呻き声を洩らしながら悩んでいたテトラだったが、表情を引き締める。
「リンタロー、その歯を取り出して。貴重な素材だと思うから、ありがたくちょうだいしましょう」
「了解。素手で触っても大丈夫?」
「んー、こういう魔物から切り分けられた素材は、鮮度が落ちるほど採集する人の魔力が影響を与えないように気を遣うの。でも、リンタローは魔力がないから、下手に道具を使うより、素手で扱った方が素材には良いと思うわ」
なるほどね。俺は魔力がないから干渉しないってやつか。歯とか爪とか骨とか、触っても汚れない素材はいいんだけど、魔物の内蔵とか素手で触りたくないな。ゾンビとかの腐肉的なやつも。触感が悪いだけじゃなくて、病気にもなりそうだし。
そんなことを考えながら、魔物の牙を摘み上げ――
GYAOOOOOOOOOOO!
「ッ!」
「な、なんだよ!」
大気を震わせる咆哮。ビリビリと肌越しに伝わってくる得たいの知れない圧力。体の芯から恐怖が本能的な滲み出してくる。
「リンタロー! どいて!」
焦りに顔を滲ませたテトラが、魔物の牙が納められていた穴の回りに手を添える。淡い燐光が彼女の手から溢れると、穴を中心に幾何学模様が浮かび上がる。
「しくじった……」
「ど、どういうこと?」
「私の実力では、術式の全てを理解できない。読み取れる部分から推察すると、その魔物の牙は結界の核だったみたい」
テトラの言葉で俺は手に取った魔物の牙を見る。元の世界で恐竜図鑑とかに載ってそうな変哲もない牙。何か特別な力があるようにも見えない。
「その牙がドラゴンのものと仮定して話すけれど、この魔術式で存在感を拡張して、この一帯をドラゴンの支配地域として、認識させて魔物避けの結界を構築していたみたい。ドラゴンの住みかにちょっかいをかける魔物なんてほんの一部。だから――」
「ここに魔物が近づいて来なかったってわけか!」
俺は先ほど確認したロック鳥の方を確認する。二、三羽の姿が大きくなっている。
ドラゴンの気配がなくなって、この一帯がロック鳥にとって餌場になったのか。
背中を駆け上がる悪寒。心臓が恐怖に握りしめされ痛い。
「リンタロー! 私が時間を稼ぐから、早く逃げて!」
「逃げれるわけないだろ! テトラが大立ち回りしても、俺が狙われるのは時間の問題だろ! それにテトラも無事にすまないだろ!」
「でも、それ以外に方法が」
汗が滲み、焦りに歪むテトラの顔。それだけで今の状況がヤバイことが伝わってくる。
テトラだけなら、戦いながら"崖の細道"から脱出できると思う。俺がいるから彼女は不利な状況で逃げることが出来ない。
俺が完全にお荷物になっている。ギリリッと奥歯を噛みしめる。
なにか、なにか、方法はないのか。
「テトラ! 魔物避けの結界を再展開出来る?」
「リンタローが魔力がないから、術式の綻びが最小限に抑えられている。その綻びを修復すれば、あるいは……」
テトラの声には自信がない。でも二人が無事に"崖の細道"を抜ける方法はこれしかないと俺は直感する。
俺は握っていた魔物の牙を元の場所に戻す。
「テトラ、あとは任せた」
「私が結界を再展開するより先に、ロック鳥がきちゃうよ!」
「俺が時間を稼ぐ」
「無理だよ」
「……俺はテトラが結界を再展開することを信じてる。だから、テトラは俺が時間を稼ぐことを信じて」
真っ直ぐに、テトラの青い瞳を見つめる。泣き出しそうだった彼女の顔に生気が戻る。
俺とテトラは無言で頷きあう。
テトラが深呼吸をすると真剣な眼差して、魔力を注ぎ始める。燐光を放つ幾何学模様が描き出される。彼女が言うように、ところどころ線が途切れている部分がある。修復しなければいけない箇所なんだろう。
俺は背負子をおろして、立ち上がる。ロック鳥を確認するとシルエットが元の二倍以上になっていた。もうここに到達するのは時間の問題だ。
左手でナイフを摘まむように握り、腰のポーチから取り出した丸薬を指弾出来るような体勢を取る。
このまま指弾を撃ち込んでも、ロック鳥には絶対に届かないのはわかりきっている。
俺はロック鳥を睨み付けながら深呼吸をする。意識を集中し、これから行うことを強くイメージする。
<風よ、舞え>
俺の言葉に忠義の腕輪が応じる。ナイフを中心に旋風が巻き起こる。風によって作り出された銃身。
第一段階、クリア。
どんどん大きくなるロック鳥の姿に焦燥が大きな口をあけて、俺を丸飲みしようと狙っている。
俺は「落ち着け」と念じるように自分に言い聞かせる。
<風よ、帯びれ>
親指の上にセットしている丸薬が風に包まれる。
第二段階、クリア。
さらに大きくなったロック鳥の姿と頭の奥に生まれる鈍痛。意識を集中して魔術を行使している代償。まだ耐えれない程じゃない。
俺は奥歯を噛み締めて、望む事象をイメージし続ける。
「テトラ、何があっても集中を途切れさせないでよ! <風よ、爆ぜろ>」
同時に親指を弾く。風に加速され、風の銃身にジャイロ回転を付与され、丸薬は弾丸の様にロック鳥に向かって飛翔する。
俺は急いでテトラの耳を両手で塞ぐ。
――爆音
距離はあったはずなのに、爆音が俺の意識をぶん殴る。テトラが何かを言った気がしたが、聞き取れない。
薄れる意識の中、視界にはロック鳥が墜落するのが見えた。
ザマァみろ。でも、音響爆弾の音、でかすぎませんか、シノさん。
そこで俺の意識は途絶えた。




