029.一人酒
「ふむふむ、全てではないが、二人とも話しおうたようじゃな」
一際高い古木の枝に腰掛けたまま、妾は呟く。てっぺん付近に座っているため、風を遮るものは、何もない。ヒトならば少し肌寒さを感じる風が吹き抜け、妾の銀髪をさらさらと撫でる。
妾の一人言は、風に引っさらわれ、空に消える。
――ぱちん!
妾が指を鳴らすと遠見の魔術が解除され、視界が戻ってくる。ゆるりと瞼を持ち上げると、眼下には星明かりに照らされた、剣山のように針葉樹が広がっている。
難儀なことじゃ、と口には出さず、かわりにため息をこぼす。
制約を弛めるか、使い魔の一体でもこさえれば、こんな不便な魔術を行使する必要もないというのに。
彼の地を離れたおりに、自ら課した制約。不便をうれしく思うとは、捻た性格じゃ。
こみ上げてくる笑いを噛み殺しながら、ドルガゥンから、くすねてきた火酒の瓶を懐から取り出す。
「ヒトは弱き存在なれど、自ら道を切り開くもの。余計な世話は無風流。酒でもかっくらって高みの見物に興じれ、か」
何気なく妾の口からこぼれた言葉。それは今は亡き古き友が妾に紡いだ言葉。
目を瞑らずとも、古き友のことは瞬時に思い出すことが出来た。
姿を、顔を、声を――。
窮地に立てど、妾に離れて見てろ、と笑って話す桁外れのド阿呆。妾の寿命を縮めて遊ぶ痴れ者。命を助けてやれば、はな垂れ小僧のように頬を膨らませて文句を言う。
「ハハハッ、まったく無礼なやつだったのじゃ」
色褪せぬ古き友との日々を思い出し、妾はこらえきれずに天を仰ぎながら笑う。
静かな闇夜に妾の笑い声だけが、響いては溶けてゆく。
「過去を懐かしんで一献も、たまには良かろうて」
火酒の瓶を一度天に掲げてから、瓶に口をつける。中の液体をゆっくりと一口飲む。芳醇な香りが鼻腔を抜けていくと同時に、喉を通る心地よい熱さが胃に落ちてゆく。
「うむ、五臓六腑に染み渡る。実に美味じゃ」
妾は天に向かって声をかける。
しかし、ドルガゥンも鍜治などせず、酒造りに没頭していれば、神を魅了する酒を造ることが出来たであろうに。
口惜しいが、ドルガゥンが鍜治の道に進んでおらねば、世界は闇の軍勢に蹂躙され、荒廃の一途を辿っていたであろう。まったくヒトの世はままならぬのじゃ。
「いたずらに世界を乱さぬようにと"世界を渡るモノ"――凛太郎を拾うてみたが、なかなかどうして良き男子なのじゃ」
古里の懐かしい空気を感じさせる。
凛太郎の住んでた場所は、この世界に存在しないはずなのに。
こくり、と妾は火酒で喉を鳴らす。
「気まぐれで助けたテトラも折れぬまっすぐな芯をもつ良き女子」
テトラに初めて見たときは、薄汚れて溝鼠のような姿で、更に話すことすらままならない獣のような状態じゃった。魔眼封じ一つで、今のように立ち直ったのは、テトラの清廉な魂あってのこと。
こくこくと、妾は火酒を喉に流し込む。
「ぷはー。なんにせよ、凛太郎もテトラもめぐり合わせが良い。まさに運命というやつなのじゃ。妾の日頃の行いの賜物じゃ」
普段ならテトラが一言二言つっこんでくるところじゃが、妾は気にせず一人言を続ける。
「願わくば、このまま健やかに二人とも育って欲しいものじゃ」
妾が祈る神などおらぬが、願わずにはいられなかった。感傷に浸る趣味など妾にはないので、こんな戯れ事を口にしているのは、火酒の酔いのせいじゃろう。
苦笑いを残しながら、妾はその場をあとにした。




