027.ルート確保?②
「テトラ、ここが"白い崖"なの?」
「たぶん、そのはず、かな」
俺の確認に少し自身なさそうに答えるテトラ。俺は目の前の苔むした崖を眺める。岩肌が全く見えないと言えるほど、青々と苔が生えている。
「どっちかというと、緑の崖じゃない?」
「リンタローが私の判断を疑っているのは重々理解してる。でも、ここが白い崖のはず」
自信はなさそうだけど引く気はなさそうなテトラ。かといって、ここで言い争う気はない。何故なら草木を掻き分けて強行軍した結果、俺のライフは一桁だからだ。
「とりあえず、少し休憩しない? 引っ掻き傷の手当てもしたいし」
「ん、そうね。お腹も空いたし」
俺の提案はすんなりと受け入れられた。テトラが素早く周囲を探り、"白い壁"の端に陣取る。他の場所のように腐葉土ではなく、地肌が覗く固い地面で、火を扱いやすいだろうというテトラの気遣いだ。
一度、深呼吸をして気を静め、俺は左手をゆっくりと前に突き出す。脳裏にこれから行使する魔術をイメージしながら、左手首の忠義の腕輪に意識を集中する。腕輪に嵌め込まれている魔晶石がかすかに光を帯びる。
<風よ、舞え>
詠唱と同時に左手を天に向かって振るう。風が俺とテトラを囲むようにして、風が吹き始める。
身構えたテトラだったが、すぐに首を傾げる。キョロキョロと周囲を見渡して、さらに首を傾げる。
「ねぇ、リンタロー。これはなに? 私の記憶だとさっきの詠唱は旋風を起こして、対象を切り裂く風系魔術よね?」
「前に見せただろ。魔力のない俺が魔導具の力を借りて魔術を行使すると威力とか激減するんだよ」
「ああ、そう言えば、リンタローが火系魔術を使うと蝋燭で、水系魔術を使うとじょうろだったわね」
ぽん! と手を叩いて納得するテトラ。畜生、いつか最上級魔術を使えるようになって、テトラの度肝を抜いてやる。
「威力はともかく、風のカーテンで、俺たちの臭いを防いだ方がいいと思ったんだよ。休憩する度に結界装置を設置するのは非効率だし、お金もかかるだろ」
「それは尤もだわ。結界装置は魔術師の領域だから、私が錬成するのは無理だもの」
「へ? そうなの。錬金術って、対象の理解が出来てしまえば何でもござれじゃないの? シノさんは何でも作れそうだけど」
俺の一言にテトラは不満そうに頬を膨らませる。なんかマズいこと言っちゃったのかな。
「お師様は別格なの。そもそも錬金術師は魔術師と名乗れないほど、魔術的素養が低い人がなる職って蔑むバカな輩が多いのよ。魔術の効果を付与させるのに必ず魔術が行使できる必要はないのよ」
「あ、錬金術師一人では結界魔術の効果を再現できないってこと?」
上位の魔術になると難易度だけじゃなくて、魔力も強くないとはつどうしなさそうだもんな。
理由を考えている俺の肩にテトラが手を置く。彼女の目が据わっていて、えもいわれぬ圧力に俺は腰が引けてしまう。
ギリギリとテトラの手が俺の肩を締め上げていく。
「リンタロー、よく聞いて。錬金術師は魔術的素養よりも発想力とか想像力とかの方が大事なの。魔術的素養が二の次なだけなの。錬金術師が魔術を行使できなくても問題ないの。魔術を行使できる魔術師を雇えば良いだけだから」
「わ、わかった。わかったって。俺が悪かった」
「本当にわかったの、リンタロー」
瞬きひとつせず、俺の顔を覗き込んでくるテトラ。淡々とした口調も相まって、ホラー映画のワンシーンのようだった。
テトラは魔術が苦手なの? と尋ね返したい気もしたが、ぐっと堪える。たぶん口にした瞬間、俺が不幸になる未来しかない。
コクコクと頷く俺を、テトラはしばらく眺めてから、手を離してくれた。ほっと安堵のため息がこぼれてしまう。
「リンタロー、携帯食って、どれくらいたべていいの? これ一袋?」
「いやいや、それは多すぎるよ。携帯食は栄養価が高いから量は多すぎたらダメだよ。それ一袋で三日分。一食一個だから」
「……少なすぎじゃない。一袋食べても足りない自信、あるよ」
「量じゃないから。カロリーってものわからないか。マヨネーズ……も伝わないな。えーっと、肉の脂身は少し食べてもお腹が膨れたように感じるよね。それと同じで携帯食は少しでもお腹が膨れるようになってるから」
「……?」
俺の説明を聞いて、テトラは首を傾げる。
予想通りの反応ありがとう。シノさんもテトラも健啖家だからな。一般人で満腹になる量で満足できないだろうな。
俺は苦笑しながら、背負子を下ろし、手桶を取り出す。手桶に左手を掲げながら、意識を集中する。
<水よ、在れ>
淡く輝く粒子が集まり、弾けると同時に清らかな水が手桶に注がれる。直接、魔力を使っているわけではないけれど、連続で魔術を使うと軽い疲労感がある。
「テトラ、まずは手洗い。あとはちょいちょい出来た切り傷の手当てを終らせよう。どんなに小さな傷でも放置するのは良くない。傷から毒気とか小型の魔物とかが入り込むことがあるらしいから」
「リンタロー、冒険者じゃないのに詳しいね。学園の講義で似たようなことを言ってたよ」
テトラは柄杓を使って手桶から水を掬い、手を洗う。俺も同じように柄杓を使って手を洗う。まだ汚れていない布を水で濡らし、頬や腕の擦り傷を拭う。
「あ、擦り傷には、この軟膏を塗って。ポーションを使うまでないから」
「ありがとう、テトラ」
「どういたしまして」
にっこりと笑うテトラ。思わず頬が弛んでしまう。
俺は受け取った二枚貝に入れられた乳白色の軟膏を、右手の薬指で取って、傷口にちょいちょいと付けてから伸ばす。スーッとした感触が心地よい。あとは包帯を軽く巻いて完成だ。
「ねー、リンタロー。水系魔術って周囲の水を集めるんだよね?」
「中級くらいまでの魔術はそうみたいだね。上級は水を生み出すやつもあるみたいだけどね。何か気になることがあるの?」
「んー、と、このあたりから、水気を奪えない?」
テトラが携帯食を頬張りながら、白い崖の一部を指差す。リスのように頬を膨らませながら、モゴモゴと口を動かしている。
いつ、あの量を口の中に放り込んだんだろう。
「このあたりって、苔から水分を抜けばいいのか?」
「うん。錬成陣を作れば私も出来ると思うけど、時間がかかるから……」
「オーケー、オーケー。俺がやってみるよ」
テトラの表情が曇ったため、俺は反射的に答える。
俺は深呼吸をしてから、右手を苔に、左手を手桶に向ける。右手で苔から水分を抽出し、左手から放出するイメージを何度も頭の中で繰り返す。
<水よ、在れ>
淡い燐光が弾け、身体の芯にズッシリとした疲労感が生まれる。ワンテンポ遅れて、手桶に水が注がれ始める。
「あれ……」
俺は思わず呟いてしまう。
真緑色の苔から少しずつ色が薄れていく。そして、完全に水分が抜けた苔は白い、いや銀色に輝いていた。
「やっぱり、そうだったんだ。リンタロー、この崖の苔は、シロガネゴケだよ。乾燥させた状態しか見たことなかったから、少し自信なかったけどね」
「こんな性質があるなんてビックリだよ」
「結構、珍しい苔だから、素材としてもお高いやつなんだよ」
垂涎の素材なのか、テトラの目がキラキラ輝いている。
ポリポリと俺は頭を搔く。やっぱり良いところを見せたくなってしまうよな。シノさんは忠義の腕輪で魔術の使用回数は五十回と言っていたよな。すでに三回を使っているので残りは四十七回。でも、指定した空間から水分を集めるのは初級の範囲を越えているかもしれないな。
「テトラ、十回くらいなら、苔を乾燥させれるよ。少し採取していく?」
「ほんとに! リンタローありがとう!」
満面の笑みで俺に抱きついてくるテトラ。装備のせいでゴワゴワと固くて痛いけど、頬が弛んでしまう。仕方ないよね。
よし! と気合いをいれて俺は"白い崖"を睨みつける。いったいどれくらいの苔を乾燥させれるかな。
俺は忠義の腕輪に意識を集中することにした。




