026.いざ、ヴァン山脈①
「なんか如何にもって雰囲気があるな……」
ヴァン山脈の入り口となる山道に差し掛かり、俺は思わず呟いてしまう。
ハイキングコースなど絶対整備されていないであろう山道は、どこかで薄暗くて、おどろおどろしさが漂っている。
「リンタロー、怖いの?」
「こ、怖くないよ。バリバリやる気が漲ってるでしょ」
「……足、震えてるよ」
テトラが口元を隠しながら、くすりと笑う。生まれたての小鹿ほどではないが、俺の意思とは反して足がプルプル震えていた。
「む、武者震いだから! 武者震いだから!」
「大声だすと魔物が寄ってくるよ?」
「――ッ!」
テトラの指摘に反射的に両手で口を押さえる。耳を澄ませると、何かわからない生き物たちの鳴き声が聞こえる。
スライムより、遥かに狂暴で強力な魔物が複数襲ってきたら、間違いなく殺される。
「ッ、ク――」
うずくまり、笑い声を必死に堪えながら、バンバンと地面を叩く。
もしかしなくても、テトラにおちょくられたのか!
――ぺちん!
と、冷ややかな音が響く。
あきれ顔のシノさんが、扇子でテトラの頭を軽く叩いていた。
「これこれ、あまりからかうでないのじゃ。何が原因でヒトの仲は崩れるものじゃ。街中ならば可愛げのあるやり取りで眺めるところじゃが、魔物の蔓延る場所では命取りになりかねないのじゃ」
「……ごめんなさい、リンタロー」
細められたシノさんの視線に、テトラは身を強ばらせながらも素直に謝ってきた。シノさんがちゃちゃ入れるわけでもなく、テトラが反論するでもなく、すんなりと進んだ会話に、俺は呆気に取られてしまう。
「さて、ヴァン山脈は、バルトブルグから近く、ほどよく難易度の高い場じゃ。淀んだ風が魔素溜まりを作り、平々凡々な場では見かけぬ素材を産み出しておるのじゃ。例えば、その岩に生えている苔を見てみるのじゃ」
シノさんが扇子で指した先、暗褐色のテラテラとした感じの岩があった。良くみると短い海藻みたいなものが、びっしりと張り付いている。苔の一種だろか。普通の緑色の苔と入り乱れる様にして、岩を覆う光景は、どこか不気味な印象を与えてくる。
腰が引けている俺をよそに、テトラは岩のそばにしゃがむ。指を伸ばしたが、考え直して、そばに落ちていた小枝で突っつく。
「……お師様、これは岩赤クラゲ?」
「ほう、良くわかったのじゃ。市場に出回っているものは、乾燥させたものが多いからの」
「前に、乾燥したものを水に浸けて戻したことがあったから。でも、色はもっと鮮やかな感じだった、たぶん……」
自信なさそうなテトラ。俺はテトラの横に移動して苔――岩赤クラゲ――を凝視する。
第一印象の通り、暗褐色の短いワカメが生えているようにしか見えない。触ったらヌメヌメしそうな感じが、見るだけで伝わってくる。
「岩赤クラゲは水分を多く含んでいるため、乾燥させるのが一般的じゃ。ただし、ここ最近は素人以下のゴミばかりが出回っているおる。水で戻して鮮やかな赤色になるのは、ほぼ使い道がないものじゃ」
「……けっこー高かったのですが」
「ぼったくりじゃな」
ニヤリ、と笑うシノさん。テトラが無言で地面を殴り始める。全身から悔しそうなオーラが立ち込めている。
いったい、いくらで購入したのだろうか。
「どうしても必要な場合は、水の代わりに魔力回復薬を使う方法もあるのじゃが、費用対効果を考えると、馬鹿馬鹿しいのじゃ」
「ぐぬぬぬっ……」
「ま、それも仕方ない話じゃ。紛い物がいつの間にか本物とすり変わってしまったのじゃからな」
悔しそうなテトラの頭をシノさんは、ポンポンと優しく撫でる。テトラは不服そうに口を尖らせていた。
「凛太郎、採取用の蓋のついた小瓶を持っておったじゃろ。あとは……そのあたりに落ちてる小枝で、ほどよい長さのものを数本用意するのじゃ」
「は、はい。わかりました」
返事はしたものの、理解は出来ていない。俺は麻袋から蓋付きの小瓶を一つ取り出し、箸くらいのサイズ感の小枝を数本拾う。
俺の準備が終わると、シノさんが俺の背後に回り、岩赤クラゲの生える岩の前に座らせる。
ふわりと鼻腔に漂ってくる甘い香りと、肩越しに見えるシノさんの顔にドキリとしてしまう。
「さて、岩赤クラゲが紛い物ばかりになった理由は至って簡単じゃ。正しく採取しておらぬせいじゃ。凛太郎、岩赤クラゲを小枝で摘まんで、小瓶に入れていくのじゃ。切れたり、多少潰れたりしても良いが、必ず岩赤クラゲのみを瓶に入れるのじゃ」
「わ、わかりました」
横でテトラが俺の動きを凝視しているので、非常にやりにくい。
一度、深呼吸してか、慎重に小枝で岩赤クラゲを詰まんで瓶に入れていく。瓶全体の三分のニほどが岩赤クラゲが集まったところで、シノさんの手が俺の手を掴んで止める。
「よし、テトラ。この瓶に入る大きさの石を拾ってくるのじゃ。綺麗なものを選ぶのじゃ。瓶に入れる前に、水洗いも大切じゃぞ」
「わかりまし――いたっ!」
手近に転がってい石を拾い上げようとしたテトラの手をシノさんが扇子で叩く。
「妾は、綺麗なものと言うたであろう。テトラが摘まんだ石には苔がついておる。横着せずに、少し離れた日当たりのよい場所では拾うてくるのじゃ」
「……わかりました、お師様」
不満そうだが、手にしようとしていた石に苔がついていることに気づいたテトラは、しぶしぶ立ち上がって、石を探しにいく。
俺は小さい手桶を取り出し、初級魔術で水を注ぐ。すぐさま戻ってきたテトラに手桶を渡す。
「さすが、リンタロー。ありがとう」
「どういたしまして」
ニヤニヤと笑うシノさんの気配を感じるが、あえて気づかないふりをしておく。テトラは真剣な眼差しで、入念に拾ってきた石を洗い、布で拭き上げる。
そして、親指と人差し指で石を挟むと、どや顔でテトラはシノさんに石を突きつける。
「減点じゃ。錬金術師が手間を惜しんでどうするのじゃ」
「それは不可抗力です。お師様の説明不足が原因なんです」
「説明が不足しておると思うた時点で、確認せぬテトラの過失じゃ。扱ったことのない素材ならば、なおさら慎重にじゃ」
「ぶーぶーぶー」
頬を膨らませて抗議するテトラに、シノさんは頬を弛ませる。
なんだかんだ言っても仲が良いんだよな。
「凛太郎、テトラの拾うてきた石を瓶にいれて、水を入れるのじゃ」
「水の量は、岩赤クラゲが浸るくらいですか?」
「いや、瓶の底に水が貯まるか貯まらないかくらいの、わずかな量で構わぬ」
シノさんに確認をとった俺に、テトラがジト目で圧力を与えてくる。確認した俺は何も悪くないだろ。
俺は一度深呼吸して、手のひらに初級魔術で水を作り出す。水の大半が手のひらから零れ落ちる。手のひらに残った水を瓶に注ぎ、蓋をキツく締める。
「うむ、なかなか良い手際じゃ。凛太郎はわかっておるの。細かい説明は省くが、岩赤クラゲは乾燥させずに運ぶのが正解じゃ」
本来は様々な用途のある岩赤クラゲ。いつの頃からか、乾燥させて運搬し、売る前に水で戻すようになったそうだ。最終的には乾燥して販売されるようになったわけだが。
乾燥させて、本来の成分が失われているので、詐欺商品といってもいいくらいだが、錬金術自体が衰退しているせいで、気づくやつがいなかったというオチなのかな。
俺とテトラは、岩赤クラゲを一瓶ずつ、自分だけで採取するようにシノさんに言いつかるのだった。




