023.レアな素材②
草木の眠る丑三つ時。俺は空に浮かぶ二つの月をボーッと眺めていた。
大月は満月で小月は少し欠けている。両方の月が満月になったとき、大気に漂う魔力がもっとも活性化するらしい。
「……いつまでここで待っていればいいんだ」
ぽつり、俺はと呟く。
俺がいる場所はアキツシマ錬金術師工房の自室――ではなく、街から徒歩で三十分ほど離れた場所。たまたま見つけた程良い大きさの岩に腰掛けている。
当然だが、俺が一人でこの場所に来たわけではない。シノさんとテトラの三人で出向いたが、俺を残して二人ともどこかに言ってしまった。
街に戻ろうにも、出入り口の門は閉まっているので、街の中には入れない。門の外にある雑魚寝宿で夜を明かすくらいしかできない。
何回目かわからないため息をつくと、人の気配が近づいてくる。確認すると浅葱色のローブ姿のシノさんだった。他に誰もいないので、彼女はフードを被ってはいない。月明かりに銀髪がキラキラと輝く姿は妖精の類を彷彿させた。
「すまぬ、凛太郎。待たせてしまったの。久々だった故に色々と手こずってしまっての」
「……四時間くらい待っていたんですけど。最初の説明では直ぐ戻ってくるって言ってましたよね? 街の門も閉まっているし、ここから動くことが出来なかった俺の気持ちを察してくれますか?」
「そう睨むでない。妾も想定外だったのじゃよ。調整やら何やらで、これほど時間をとられると思ってもなんだ。一度、凛太郎を呼びに向かおうとも思ったのじゃが、区切りが悪くての」
ばつが悪そうな顔のシノさん。それだけで、非難する気が失せてしまう俺はダメだなと苦笑してしまう。
「で、何があったんですか?」
「街から一月ほど離れたヴァン山脈に向かうため、設置型の空間転移魔導具"転移の泉"を使うと申したであろう。それを使うための手続きやら何や等が面倒でな」
シノさんは肩をすぼめて苦笑してみせる。
「空間転移って、工房にもありますよね。二階から地下に移動するときに使ってますよね。特に準備とかなく使っていると思うんですけど」
「短距離であればな。距離が遠くなればなるほど、事前の準備が大事なのじゃよ。転移した先が岩の中や湖の底はイヤじゃろ」
「岩……即死トラップじゃないですか……」
反射的に悪寒が背中を駆け抜ける。岩の中で意識が遠のく自分が――頭を振って慌てて考えを吹き飛ばす。フラグとかになったら洒落にならない。
「リンタロー、お待たせ。想定外に時間かかった。ここまで時間かかるとは思ってなかった。ごめんなさい」
いつの間にかテトラが戻ってきていた。彼女は申し訳なさそうに俺に頭を垂れる。
「おかえり、テトラ。シノさんの様子をみると、色々あったんだろ。いいよ、気にしてない」
「む、凛太郎。妾のときと態度が違いすぎぬか?」
「それは仕方ないですよ。シノさんから事前に状況を聞いているわけですから……」
シノさんの不満そうな視線を軽く流す。彼女のペースに飲まれると話が進まなくなるからな。
「今夜、"転移の泉"の予約をしていた冒険者が順番で揉めなければ、もう少し時間がかからずに済んだのに」
テトラの話のまとめると、"転移の泉"が使えるのは深夜の数時間だけ。
さらに双方向で行き来が出来ないため、転移前に転移先の"転移の泉"が使用されていないことが必須条件になるようだ。
もし転移先の"転移の泉"が使用中であれば空間転移が発動しない、もしくは意図していない座標に空間転移することになる。それこそシノさんが言った岩の中や湖の底など即死に転移する可能性もある。
空間転移中に"転移の泉"の使用時間が切れれば想定外のことが起こるらしい。
なので、冒険者は確実に安全な時間帯に使用したがるそうだ。
「揉めれば揉めるほど、時間の無駄。だから冒険者は好きになれない」
「冒険者は手練れになればなるほど慎重になるのじゃ。確実に安全な時間帯に使いたいと考えるのも仕方ないことじゃ。それでテトラがきたと言うことは妾たちの順番かえ?」
「あ、そうでした。リンタローに説明して満足するところでした。あと三組だったので待機室に向かいましょう」
そういって踵を返すテトラ。
俺は座りなれてきた岩から尻を剥がすと、彼女のあとに続く。
「テトラ、待機室って言ってたけど、そんなものはどこにあるんだ? 見渡すかぎり建物もないんだけど」
「"転移の泉"自体は公にされているんだけど、好き勝手に使わせろって人が集まると面倒だから隠蔽されているの。冒険者ギルドで予約すると、"転移の泉"の場所を教えてくれる魔導具が貸し出されるから、それを目印にするの」
テトラが方位磁石みたいな魔導具を取り出して俺に見せてくれる。
この魔導具で、ある程度の距離まで近づかないと目視できないってことかな。
クイクイとローブの袖を引っ張られる感覚に、視線を向けるとドヤ顔のシノさんがいた。
「妾は魔導具に頼らずとも"転移の泉"の場所はわかるぞ。方向感覚を狂わせる結界や隠蔽の結界などで、妾の眼は誤魔化されないからの」
「えーっと、特別製なんですよね」
「よく覚えておったの。さすがは凛太郎じゃ」
顔をほころばせるシノさん。
良かった、どうやら俺は彼女の機嫌を損なうような発言はせずに済んだみたい。
安堵のため息をこぼしていると、ふわりと甘い香りが鼻孔をくすぐる。同時に背中に押し付けられる柔らかな二つの感触と程よい重さ。首に回されたシノさんの腕。
「――ッ! し、シノさん!」
「凛太郎はよき男子じゃ。妾は珍しくよき者に巡りあったものじゃ」
耳元で聞こえるシノさんの声と呼気の気配。背中に感じる感触が何か俺の頭脳は瞬時に理解したが、それをハッキリと認識することを理性で拒む。
ヤバい。このままでは色々と良くない。主に俺の下半身的な意味で。むくむくと熱い何かが身体の芯から沸き起こってくる気配がする。熱いパトスとかエロスとか。
俺の焦りとは裏腹に、俺はシノさんを振り払うことが出来ない。全身全霊が背中に集中し始めている。服越しでもハッキリとわかる感触だよ。反応するなという方が酷だろ。
「お師様! 何してるんですか!」
「何って見てわかるじゃろ。凛太郎を堪能しておるのじゃ」
「時間もないのにふざけないでください!」
俺とシノさんの間に手を突っ込んで、強引に引き剥がすテトラ。シノさんがわざとらしくブーブーと抗議する。
安堵と寂しさが入り交じる複雑な心境を表に出さず、俺は乱れた衣服を整える。
向かい合ってギャーギャー言い合う、いやじゃれ合う二人。
仲が良いな、と眺めていくわけにもいかない。
「えーっと、そろそろ行かないとマズくないか?」
「リンタロー、少し待ってて! お師様にわからせる必要があるから!」
鼻息荒く言い放つテトラ。既に暖簾に腕押し状態のシノさん。
早々にテトラが諦めるだろうと予想し、俺はため息をつきながら見守ることにする。
俺の予想通り、テトラが諦めるまで五分と経たなかった。
がっくりと肩を落としたテトラに引率されて"転移の泉"があるという遺跡にたどり着いたのは、それから十分ほど過ぎてからだった。




