022.新たなる力①
俺は自室の隅に配置した机で、軽く息を吐いて一息つく。椅子の背もたれに体を預けて背伸びをすると、ギシギシと椅子が鳴る。
元の世界と違ってスプリング関連の技術が浸透してない気がする。ベッドマットレスもないし。
目尻に滲んだ涙を指で拭いながら、机の上を確認する。そこには水色の団子――炸裂玉のタネにざく切りした火炎草を包んで丸めるたもの――が綺麗に並んでいる。
「俺がまともに出来るから作業が炸裂玉くらいってのは侘しいな。そのかわり炸裂玉なら職人レベルで作れるようになった気がするけど」
苦笑しながら、団子を一つとって、帯状に切った油紙を巻き付けていく。
クルクルと隙間がないようにきっちり巻いて、最後に端を蝋で留める。
「ほい、完成。……調合に使う道具が大きくないこともあるけど、一回で作れるのは二十個くらいが限界かな。買ってくれる人が多いから、大量生産したいけど、炸裂玉を作るだけで終わる一日はイヤだなぁ」
日産百個を越えれば、安定供給が出来ていると言っていいかもしれない。でも、そうしたら朝から晩まで炸裂玉を作って一日が終わる。
そんな生活はさすがにやりたくないなぁ。
俺が今後の生産体制について悩んでいると、ふわりと甘い香りが周囲を包む。同時に柔らかくて温かい何かが俺の肩を刺激する。
「凛太郎、何を唸っておるのじゃ? 色男が台無しじゃぞ」
「――ッ! し、シノさん! いつの間に!」
肩越しにシノさんが声をかけてきた。彼女の息づかいが肌からダイレクトに伝わってくる。
肩やうなじ辺りの柔らかな感触は、当然彼女の豊かな双丘によるもの。
悶々と沸き起こってくる熱いパトスとかエロスとか何かが身体の外に飛び出してしまいそうになる。
「ふむふむ、やはり凛太郎は筋が良いのー。最近は、こういうチマチマした作業に向かぬ者が多いのじゃ」
「ソ、ソーナンデスカ」
思考がままならず、まともに言葉を発することが出来ない俺に寄りかかったまま、シノさんが机の上の出来上がったばかりの炸裂玉を一つつまみ上げる。
その結果、より深く俺に寄りかかるシノさん。伝わる柔らかい感触も倍々だ。
うぉぉぉ、耐えろ、俺。今ここで熱い何かに従って動いてしまっては、桃源郷が水泡に帰してしまう。
明鏡止水を自分に言い聞かせ、全身の筋肉に意識を張り巡らせて、微動すらしないように細心の注意を払う。
弛みそうになる表情筋を必死に繋ぎ止める。
「では、次の調合レシピを教えてやろうぞ。なぁに、危険な代物ではないので安心せい」
そう言うと反動をつけて俺から身を離すシノさん。
一瞬だけ、むにゅんとした感触で全身が包まれる様な錯覚に包まれたが、すぐにそれは全て消えてしまう。
ああ、桃源郷が遠くに去ってしまった。こんなことなら自然な動作でふり返るとか動いておけばよかった。
俺は喪失感と後悔に項垂れながらシノさんを探す。彼女はすぐ近くで俺を怪訝そうに眺めていた。
「ん? 新しい調合レシピを知りとうはないのか?」
「知りたいです! 是非とも知りたいです!」
「おかしなやつよのー。では、妾の錬成室に向かうかの」
慌てて返事をした俺に苦笑しながら、踵を返すシノさん。俺は机の上に並べていた炸裂玉を巾着にしまい込んでから追いかける。
今さらだけど、部屋のドアが開く気配はなかったんだよな。シノさんはどうやって部屋に入ってきたのだろうか。
白い部屋――シノさんの錬成室――のやや中央からずれた位置に設置された作業台で、シノさんと並んで立つ。
作業台の上には見慣れた道具と見慣れない素材が置かれていた。
俺とシノさんはほぼ同時に部屋にはいったんだけど、いつ準備したのだろう。
「さて、凛太郎に教える調合レシピは二つじゃ。それぞれ効果は違うのじゃが、二つ一組になる」
「二つで一組……。混ぜると危険、という感じのやつですか?」
「混ざらぬと効果がないものが役に立たぬとは言わぬが、戦闘中に咄嗟に使う道具として信頼できるかえ?」
「罠とかなら良さそうですけど……」
シノさんの質問に俺は言葉を濁す。
戦闘中に余計な動作が増えるのは、命取りだよな。ゲームで言うと二回行動が必要だし、どっちか避けられたら効果ないってことになるよな。リスキーすぎる……。
「想像できたようじゃな。では今回、教える調合レシピは、悪臭玉と消臭玉じゃ」
「臭いですか……」
「む、乗り気ではないの」
炸裂玉には、爆発という厨二魂を揺さぶる要素があったけど、臭いはなんか微妙。
俺の心理を読み取ったのか、シノさんは肩をすくめてため息をつく。
「凛太郎、臭いというのはバカに出来ぬぞ。短耳族より嗅覚に優れた種族は多いし、臭いに敏感な魔物は多いんじゃぞ」
「それはわかるんですけど……」
「百聞は一見になんとやらじゃ。ほれ、コレを指で潰してみるのじゃ」
そう言って、錠剤くらいの黄色い物体を手渡してくるシノさん。
受け取った黄色い物体を手のひらで転がして確認する。粉っぽいわけでもなく、柔らかくもない。特に目立つ特徴はない。
指でつまんで力をいれる。プチッと音を立てて簡単に潰れた。
「――ッ! くっせぇぇぇ!」
アンモニアを凝縮して鼻に直接垂らしたような刺激臭が襲ってくる。
膝から床に崩れ落ち、涙と鼻水が吹き出し、嗚咽感に胃酸が逆流してくる。
呼吸すらままならない俺に緑の物体をシノさんが手渡してくる。俺は本能的にそれを潰す。
「ハァ、ハァ、ハァ……し、死ぬかと、思った……」
「どうじゃ? 臭いはバカに出来ぬじゃろ」
ニヤニヤとイタズラに成功した子どものような笑みを浮かべながらシノさんが尋ねてくる。
確かにバカにしてたけどさ、事前に心構えをする猶予をくれてもいいんじゃないかと俺は言いたい。
「えぇ、予想以上の臭さでした……」
「そうじゃろ、そうじゃろ。短耳族より優れた嗅覚を持つ種族ならば、それだけで行動不能になるぞ」
得意気に胸をそらすシノさんをジト目で眺めつつ、たまたま持っていたハンカチーフで、あちこちから噴出した体液を拭い、身なりを整える。
しっとりとなったハンカチーフの処理に少し悩んだが、出来るだけしっとり部分を隠すように折り畳んでスラックスのポケットに突っ込む。
「ふむ、回復したようじゃな。続けて二つの調合を行うが、心の準備は出来たかえ?」
「望むところです」
俺の返事にシノさんは満足そうに頷いた。