020.街の採取場へ行こう①
「……ズルい」
閉店作業――表のドアに掛けている看板をひっくり返す――を終えた俺を出迎えた一言。
レジカウンターに座るテトラがジト目で俺を見つめていた。
彼女の不満のタネについて重々承知しているが、それを解決する術を俺は知らない。なので気づかない振りをしておく。
「炸裂玉は一つ銅貨五枚だよ。テトラの錬成しているポーションと比べて、子どものオモチャみたいな金額だから売れてるだけだよ」
「今日の売上は初級ポーション五本、キュアポーション二本、炸裂玉三十個」
「銀貨十枚以上の売上か。最初の頃を考えれば、まずまずの売上だね」
「そこじゃない!」
ドーン! と効果音が聞こえてきそうな勢いで、俺を指さすテトラ。
流石に誤魔化しきれなかったか。
「初級ポーション、キュアポーションは在庫有り! 炸裂玉は即売りきれ! この意味わかる?」
「さ、さあ? なんだろう……」
「私、錬金術師。リンタロー、蒐集師。得意分野が違う。ポーションより炸裂玉が売れるし、炸裂玉が人気だし、ズルい……」
テトラの眉間の縦じわが深くなる。
言っておくけど、炸裂玉がバカ売れしているわけじゃない。そもそも魔力ゼロの俺が素材を調合して手作りしているから製作数が少ない。
お客さんから聞いて知ったんだけど、俺が作る炸裂玉は一般的なサイズより一回り小さいらしい。それで威力は変わらない――俺が投げなければ――ので、少しでも荷物を減らしたい中堅冒険者に口コミで人気が出ているらしい。
中堅冒険者でも、炸裂玉のような戦闘補助アイテムは、いざといつときの備えで常備するらしい。レベルが上がれば雑魚魔物からノーダメージ! というのはないみたい。世知辛い世界だな。
「えーっと、俺は複雑なやつとか高級なやつは作れないから、そういう方面でテトラが錬成するべきだと思うんだよな。中級ポーションとか並べれば錬金術師として箔が付くんじゃないか?」
「……時期が違うから、サザの実が採取すること出来なかったじゃない。素材不足で錬成ムリ」
「サザの実って、高級素材じゃないだろ。市場とかで探せば売ってるんじゃないか? 輸送費とかで多少高くても、中級ポーションに錬成して売れば赤字にはならないだろ」
「……リンタロー、頭いい。前は素材購入の資金なかったけど、今は初級ポーションの売上がある」
俺の言葉に目を輝かせるテトラ。
基本的に頭の回転の早い彼女だが、どこか抜けているところがある。この場合、今までアキツシマ工房に売上が無かったから発想がなかったのだろうか。思いつかないのは仕方ないことかな。
「リンタロー、明後日の休息日に市場に行くわよ」
「おうよ。不足している買いまくろうぜ」
「うん!」
満面の笑みを浮かべるテトラに俺はホッとため息をつくのだった。
*****
「おや、今日はずいぶんと早起きじゃな、凛太郎。何か良きことでもあったのかえ?」
「い、いや、何もないです。夢見が、そう夢見が良かったんで、早く目が覚めたんです」
反射的に早起きした理由を口走る。
テトラと買い出しデートすると意識したら眠れませんでした。と、口にするのはスマートじゃない、気がする。
寝不足のためか、若干重い思考で声の主――シノさんを確認する。
ピシッと音を立てて俺の思考が止まる。
視線の先にシノさんはいた。欠伸をかみ殺しながら、ボサボサの銀髪を手で撫でつけていた。寝間着は着崩れ、花魁のように肩が出ている。豊満な二つの膨らみに寝間着が引っ掛かっているような状態だ。
気がつけば生唾を飲み込んでいた。
そんな俺を見て、彼女の口の端が持ち上がる。三日月のような口から形の良い犬歯が見えた。
「ふふふっ、凛太郎。ほうけてどうしたのじゃ? まだ目が覚めておらぬのかえ?」
「――ッ!」
脳天に響くような彼女の甘い声音。しずしずと彼女が歩み寄るだけで心臓の鼓動が高鳴る。
白い肌に映える赤い唇。細められた黄金の瞳は真っ直ぐに俺を見つめている。
瞬きも呼吸も忘れて、彼女の一挙手一投足に魅入られてしまう。
「凛太郎は、本当にういやつじゃな」
妖艶な笑みを浮かべたまま、彼女は右腕を持ち上げる。そして俺の頬に手を伸ばす。
俺は微動も出来ずに、彼女を見守ることしか出来ない。思考が真っ白に塗りつぶされていくような感覚だけがある。
『おはようごさいます!』
突然、工房中に響くテトラの声。いつもなら朝食をとり終えて、一息いれている頃に聞こえてくる。
「……テトラめ、本当に間が悪いの」
「――ッ、はぁ、はぁ、はぁ……」
俺は呼吸を思い出し、新鮮な空気を肺いっぱいに取り込む。
テトラの声が、あと少し遅かったら窒息死していたかもしれない。
パタパタと騒がしい足音が近づいてくる。
「おはようごさいます、お師様! リンタロー! って、そんなはしたない格好はやめてください! リンタローの目に毒です!」
「毒とは失礼なことを言うてくれる。リンタローは嬉しそうじゃぞ」
「ちょ! いきなり俺に振らないでくださいよ!」
「リンタロー、本当なの?」
テトラが駆け寄り、俺とシノさんの間に入る。息のかかりそうな距離に、俺はたじろぐ。
「ほれ、妾が近寄っても動かなかった凛太郎じゃが、テトラが近づいたら後ろに下がりおったぞ」
「り、リンタロー、私のこと嫌いなの?」
表情を曇らせるテトラに対して、楽しそうなシノさん。朝っぱらから俺をダシにテトラをからかうのはやめてくれよ。
ぐいぐい近づくテトラに気圧されて、俺はあっという間に通路の壁に追い詰められる。
背中から伝わってくる壁のヒンヤリとした感触が、火照ったからだに心地よい。
少し冷静さを取り戻した俺は現状を打開する一言を口にする。
「とりあえず、先に朝飯を食わないか?」
俺の提案は満場一致で受け入れられた。なんだかんだ言って二人とも花より団子だと思う。
*****
「リンタロー、到着だよ」
「見ればわかるけど、すげぇー怪しい場所だね」
テトラに連れられた場所は、メインストリートから少し外れた裏通りだった。
背の高い建物の間に挟まれた、馬車の通れそうにない細い道。メインストリートに比べて薄暗く、辛気臭い雰囲気が漂っている。
ただし、すえた臭いやゴミが散乱してたり、浮浪者が道の脇に座り込んでいるようなことはない。
わりと清潔で、漢方のような独特の香りが道全体に漂っている。
俺が物珍しく周囲を伺っていると、テトラが得意気な顔をしていた。
「ここは独自のルートで素材を入手しているお店がしのぎを削っているエリアなの。一般的にあまり流通していない素材を探しに有名な冒険者や魔術師、錬金術師が足を運ぶ場所。"目利き通り"といえば、ここの通りのことを言うの」
「……中級ポーションの素材って、特殊なやつがあるの?」
俺は素朴な疑問を口にする。得意気な顔をしたまま彼女の動きが止まる。
買うものから場所を決めたんじゃないんだな。テトラって目的と手段が入れ替わるタイプなのかな。
俺が見つめていると、テトラの表情がどんどん曇っていく。ほんのわずかな時間で泣き出しそうな感じになった。
疎らな通行人が、俺を非難するような視線を向けて通りすぎていく。
ちょっと待って。俺が悪いのか?
「あらまあ、ソーマ君。今日はテトラっちを泣かせているのかい? きみも罪な男の子だね」
「――ッ! あ、アリシアさん!」
背中側から軽い衝撃が襲ってきた。視界の端にグレーの三編みが跳ねる。
肩から回される腕に、背中に伝わってくる控えめな柔らかい感触。
それが何の感触か、俺の脳が瞬時に理解する。ただし、それを大人しく享受してはいけないと本能が告げている。
俺がオロオロしていると、不意に硬質で冷たい空気が周囲を支配する。
澄まし顔のテトラが距離を詰めてきた。視線は俺の背中――アリシアさんを見据えている。
「アリシアさん、リンタローから離れてください。ハレンチですよ」
「ハレンチ? テトラっちは変なことをいうんだね。これは"姉弟"のスキンシップってやつだよ」
「姉弟! り、リンタロー! あなた扶桑の出身って言ってたじゃない! アリシアさんと姉弟ってなんでよ!」
「おちつけ、テトラ。アリシアさんにからかわれているだけだ」
「からかわれてる? 姉弟の理由になってないわよ」
「シノ様がお店に来たときにお願いしていったからだよ。ソーマ君はこのあたりに不馴れだから色々と助けてやってってね。面倒を見る、つまり姉弟の契りを交わしたも同然だね」
フフン、と背中から伝わってくるアリシアさんの自信満々な空気。それを見てテトラの表情が険しくなる。
彼女は一歩、俺に向かって踏み込むと無造作に正拳を打ち込む、アリシアさんに。
軽い圧力の後、背中にあった感触が喪失する。軽い喪失感に男心がチクリと痛む。
「テトラっち、前フリ無しで人の顔面を殴るのは、淑女としてどうなの?」
「すみません。アリシアさんのお顔に虫が止まっていたので、反射的に手が出てしまいました。謝罪いたします」
淡々とした口調で告げると、ペコリと頭を垂れるテトラ。申し訳なさは微塵も感じられない。
「ハハハッ、それは気づかなかったな。虫はいなくなったかな?」
「……はい、見当たりませんね」
ペタペタと自分の顔を触って確認するアリシアさん。特に動じた様子もなく明るく笑う。対してテトラは少し悔しそう。
不穏な空気が流れているような気がするのは俺の気のせいだろうか。気のせいであってほしい。
「んで、ソーマ君とテトラっちは、目利き通りで何やってるの? シノ様のお遣い?」
「……アリシアさんには関係な――」
「錬金術の素材の買い出しだよ。テトラが中級ポーションを錬成するために」
「お、中級ポーションか。初級と中級ポーション、キュアポーションの三種類があって、錬金術師工房として評価されるって言うよね。シノ様がやる気出したの?」
「違う違う。シノさんがテトラを錬金術師として活動する許可を出したんだよ。だからテトラが錬成して、出来た商品を店舗に並べてるんだよ」
「テトラっちが錬成してるんだ。すごいね」
素直に驚くアリシアさん。
シノさんは錬金術師として凄いのかもしれないけど、一般的なアイテムを錬成しているのをみたことないんだよな。よくわからない高額そうな魔導具は店舗の棚に並んでるんだけどね。
静かなテトラの様子を確認すると、頬を膨らませて不満そうな顔で俺を睨んでいた。
なんでだよ……。
「……それほどでもありません。お師様の弟子として、それくらい錬成して当然です」
「さすがだね。んじゃ、買い出しもシノ様関係なくて、テトラっちの分なんだ。わたしもついて行っていい?」
「いいですよ。ね、テトラ」
「――ッ!」
アリシアさんの申し出に即答したら、テトラが超不機嫌そうな顔をしていた。
正直に言うとテトラと二人っきりだと、どんな失言をするかわからない。アリシアさんをが射てくれたらフォローしてくれそうだから、同行してほしい。
テトラは人見知りが激しいって、シノさんがいってたのは覚えているけど、ここは譲れない。
左に非難がましい視線を向けてくるテトラ、右に明るい笑顔のアリシアさんというポジショニングで、目利き通りを巡ることになった。
得たいの知れない威圧感に、胃の辺りがチクチク痛みだした気がした。




