016.ダンジョンへ②
「最新部は地下三階、ダンジョン主は存在しないが、魔物部屋は発生するので注意するように。危険な場合は、渡している魔導具で、救難信号を発信するように。他に確認したいことはあるか?」
メガネをかけた細身の男性教師は、手元のクリップボードから顔をあげて、俺とテトラに確認する。
「えーっと、制限時間はあるんですか?」
「ソーマくんだったかな。持ち時間はスタートから三日間としている。半日もあれば一フロア攻略できる計算だ。実際、半分ほどのパーティが一日ほどで出てくる」
事前にテトラから最低ランクのFと聞いていたが、入って数時間で出れるようなダンジョンじゃないらしい。
念のために三日分の食料を準備したけれど、二日過ぎた時点で終了か。事前に必要な日数がわかっていれば、もう少し荷物が軽く出来たのにな。
ま、どちらかが食料をダメにする可能性はあるから、多めに持ち歩くのは悪くない判断と信じておこう。
「先生、今ダンジョンを探索しているパーティはありますか?」
「リリーシェルくん以外にダンジョン実習の申請はない。よほどの事情がない限り、ほとんどの学園生が実習を終えている時期だからだ。他に何かあるか?」
テトラの視線に俺は首を左右に振る。
俺は部外者――学園の生徒ではない一般人――だし、パーティのリーダーはテトラだ。出発の判断は彼女に任せるべきだな。
「ありません。すぐ出発出来ます」
「よろしい。では、出発しなさい。地母神の加護が旅立つ汝らにありますように」
男性教師が手を組んで目を閉じる。テトラも同じ様な仕草を行う。
俺も慌ててテトラの真似をする。
時間にして数秒、祈りを捧げてから、俺とテトラは街のすぐそばの洞窟――学園管理のダンジョンに足を踏み入れた。
「てぇぇぇい!」
裂帛の気合いがダンジョンに響き渡る。
テトラの一撃がビックラットを真っ二つに切り裂く。
特に素材を採る必要はないので、死骸は放置。時間が経てばダンジョンが死骸を綺麗に吸収してくれるらしい。
当然、冒険者が死んでも同じ扱いだ。絶対、ダンジョンで死にたくないな。
俺がビッグラットの死骸を眺めながら身を震わせていると、ふぅ、と息を吐くテトラ。彼女は剣についた血を振り払うと、鞘に納める。
淀みのない動き。薬草採取のときも思ったけど、戦いなれているよな、テトラは。
「……テトラって、本当に錬金術師?」
「そうよ、悪い?」
「悪くはないけどさ」
ジロリと睨んでくるテトラに俺は愛想笑いを返す。
ダンジョンに入って数時間、四回ほど戦闘が発生したが、テトラ一人で魔物を倒してしまった。俺の出番はゼロ。
テトラがパーティ組むだけでいいと言った意味がよくわかった。
「んー、そろそろ飯にしない? 昼過ぎからダンジョンに入ったから、時間的にも飯時近くじゃね?」
「……そうね。一度、休憩するべきかもね。ちょうど、そこの部屋がよい感じだから入りましょう」
「りょーかい」
テトラの後について部屋に入る。
部屋の出入り口は二ヶ所、広さは5メートル四方くらいだろうか。床も凹凸は少なく、湿っている場所もない。
指に唾をつけて掲げてみるとヒンヤリとする。空気の流れはありそうだ。
俺がキョロキョロと見回している間に、テトラは手のひらに乗る白いキューブを部屋の四隅に設置していく。
「……テトラ、それは何?」
「魔物避けの結界装置だよ。結界で覆いたい空間を4つくらい設置して囲んで、真ん中に一つ置いてから発動すると半日くらいは効果があるの」
「へぇー、便利な魔導具だな」
「冒険の必須アイテムだけど、かさ張るから持ち歩かない冒険者も多いみたいよ。中級までなら、結界魔術も割と簡単に覚えられるからね」
「なるほどね。ま、俺は魔力がないから魔導具に頼る以外の選択肢はないな」
「リンタローは、特殊な部類よ。魔力の消費を気にする魔術師も、魔導具を使うみたい」
テトラは部屋の中央に白いキューブを置く。手を触れて何かをするとポウッと白いキューブが同時に淡く光る。
一瞬、体を何かがすり抜けていくような感覚があった。結界が展開されたからか?
「よし、準備完了。リンタロー、ご飯の準備しょう」
「りょーかい。あ、飯は俺が作るから、テトラは装備点検とか休憩してていいよ」
「ダメだよ。パーティだから、リンタロー一人にご飯作らせるなんて」
「ここに来るまでに出てきた魔物は、テトラが全部倒しただろ。俺は全然働いてないんだよ。だから、飯は俺が作る。テトラは休憩する。これがパーティの役割分担。おーけー?」
「……わかったわ。そのかわり、美味しいのを作ってよね」
「任せろ」
俺の言葉にテトラが微笑む。
これは絶対美味いやつを作らないといけないな。
と言っても、元の世界にいた時から料理をバリバリやっていたわけではない。勘を頼りに作るしかない。
献立はパンとスープでシンプルにいこう。
麻袋から、タマネギとトマト、干し肉に調味料を取り出す。
野菜は潰れてしまいそうなんだけど、空間歪曲効果があると、ギチギチに詰め込まない限り中に入れた物が潰れたりしないらしい。便利だよな。
まな板と調理用ナイフ、鍋とボウル、フライパンを取り出したところで、俺の新技を披露する。
「≪水よ、在れ≫」
「――ッ! リンタ――」
俺の言葉に応じるように、指先に水球が発現する。本来は敵に水球をぶつける魔術なんだけど、ハンドボールくらいの大きさくらいになると、ピューッと程よい勢いで水が噴射し始める。
「――ロー……それは、何してるの?」
「忠義の腕輪の機能で、魔術を発動させただけだ。本当は水球をぶつける魔術なんだけど、俺がやると水道がわりにしかならなかった」
「そう、なんだ……」
俺に忠義の腕輪の使い方を教えていたときのシノさんみたいに、なんとも言えない表情のテトラ。気を遣ってる感が俺を傷つけていることに気づいてほしい。
俺は水球でボウルと鍋に水を溜める。
次は折り畳み式の五徳を取り出し、下に固形燃料と薪、上に鍋をセットする。
「≪火よ、在れ≫」
「……」
指先に生まれた火で、固形燃料に火をつける。テトラは何かを言おうとして、ぐっと堪えたような顔をしていた。
わかってる。本来は火の玉を投げつける魔術だけど、俺が使うとライターにしかならなかったんだよ。
テトラの視線を感じながら、タマネギのみじん切り、さいの目切りしたトマトをオリーブ油で炒める。塩と胡椒で軽く味付けをしてから鍋にぶちこむ。ナイフの柄で砕いた干し肉も入れる。適量はわからないが、濃い味目にする。
パンはまだ固くなっていないので、スライスして、火で温めるくらいでちょうどいいだろ。五徳の端に置いておく。
あとは鍋がいい感じになるまで煮込むだけだ。美味いかどうかは食べてみないとわからないけど。
「リンタロー、料理人だったの?」
「へ? そんなわけないに決まってるだろ」
「そ、そうなの! ずいぶんと手際が良さそうなんだけど……」
「素人料理に手際の良さなんてあるか? 切って鍋にぶちこんだだけだぞ」
「そう、なんだ……」
何故かショックを受けたようで、落ち込むテトラ。俺はおかしなことを言ってないよな?
しばしボーッと鍋を眺めていると、ポツリと呟くようにテトラが喋り始める。
「……私の家って、王国でも名が知れた騎士の家系だったりするの。だから、小さい頃は料理とか全然する必要がなかったんだ」
「今は料理してるってことか?」
「たまーにね。基本は学食あるから」
「騎士の家系だから、戦闘訓練とか受けてたのか?」
「そうね。家を出るまでは、毎日しごかれてたよ。家を出るまでは……」
「家を出るまで?」
「うん。いろいろあって、私は家を飛び出して、お師様に助けられて、そのまま保護してもらったの。実はリンタローと同じだったりするんだよ」
俺は、なんとなく納得してしまう。錬金術師の前はバリバリの前衛職。戦いなれてるはずだよ。
「学園は学舎であると同時に貴族の社交場でもあるの。私は家を出たけど、周りはそうは見てくれない。ダンジョン実習もリリーシェル家の権力目当ての連中が群がって、気づいたら実習を受けるタイミングを逃しちゃってた」
ハハハッとテトラが乾いた笑いをこぼす。その笑顔にチリッと胸が痛む。何かを言わなければいけないと気は逸るが、喉から言葉が出てこない。
沈黙が支配する部屋にバチン、と薪が爆ぜる音が響き渡る。
俺は一度、深呼吸してから口を開く。
「俺は貴族社会とか全く無縁だから、いつでもパーティ組んでやれるぞ。テトラの足を引っ張っていいなら、いつでも呼んでくれ」
「……うん、ありがとう、リンタロー」
「おう。そろそろ飯もいい感じになったし、食ってみようぜ」
「うん! 味は期待しておくよ」
ニッコリと微笑むテトラ。俺は内心、安堵すると同時に罪悪感があった。
いつまでテトラに嘘をついていかないとダメなんだろう。
出来上がった夕食はテトラに好評だったが、俺の口には、ぶっちゃけ味か物足りなかった。コンソメの素とか優秀すぎる調味料だったことを改めて実感した。
*****
「――ッ! あっぶねー」
地面の凹凸に足を取られ、思わず転びそうになり、俺は声をあげてしまう。
少し前を歩いていたテトラが剣を構えたまま、慌てた様子で駆け寄ってくる。
ちょっと申し訳ない。
「リンタロー、どうしたの? 罠でもあったの?」
「いや、地面の穴ぼこに足を取られただけ。ちょっと足下を確認するのが疎かになってた。気を遣わせてゴメン」
「全然気にしなくていいよ。んー、そろそろ夜営しよっか。夕飯食べて大分経つし、夜中になるから、リンタローも疲れていると思うから」
「まだまだ余裕だぞ。実習時間は三日間あるみたいだけど、さっさと進んじゃおーぜ」
意気込む俺にテトラは人差し指を付き出す。俺が首をかしげていると彼女は、そのまま俺の額に指を動かす。
――ぺちん!
俺の額を物凄い衝撃が貫く。彼女の細い指がデコピンを放ったと認識出来ないほどだった。そして、ワンテンポ遅れて痛みが襲ってくる。
「――ったぁ! いきなりなんだよ」
「リンタロー、めっ! たぶんリンタローはハイになって感覚が鈍ってるだけ」
「いやいや、そんなことは……ないぞ?」
「……リンタロー、私の目を見て答えて」
真っ直ぐに見つめてくるテトラ。俺は反射的に顔をそらす。
断じて後ろめたいことがあったからじゃない。美少女と息がかかるくらいの距離で会話した経験に乏しいだけだ。
上目遣いのテトラ。俺は頬が熱くなるのを感じながら生唾を飲み込む。気づけばジリジリと後ずさっていた。
「夜営しよ?」
「……はい」
あっという間に壁際に追い詰められ、俺は頷くしかなかった。
*****
パパッと結界装置を設置するテトラ。前回と違い食事の準備もないため、俺は手持ち無沙汰になってしまう。
「リンタロー、寒くない?」
「大丈夫だよ。シノさんが買ってくれたローブは温かいし、毛布を敷けば地面の冷たさも気にならないから」
「なら、焚き火はやめとくね。ランプの明かりは少し抑え目で……」
テトラがランプ――魔導具のつまみを捻る。ランプの明かりが白色光からオレンジ色の光に変わる。温かみのある光に、思わずあくびが出てしまう。
「やっぱりリンタロー、眠くなってたでしょ」
「ち、違うって、単にやることないから欠伸でただけだって」
「ふふふっ、そーゆーことにしておいてあげる」
とっさに口に出た反論を、テトラは笑いながら受け流す。気恥ずかしさに、俺は目をそらす。
何かを話題を変えなくては。
「テトラ、火の番は必要なのか?」
「んー、結界を破るような魔物はいないし、ランプはダンジョンに入る前に魔昌石を交換したから魔力切れはないはず。二人で寝てても問題ないはず」
「ダンジョンで二人とも寝てるのは怖いな……」
「そう? 魔物が出れば気配でわかるから、大丈夫だと思うよ」
「いやいや、寝てたら気づかないと思うよ」
「頭の一部を起こしておくようにすればいいだけだよ」
不思議そうな顔で小首を傾げるテトラ。
どこぞの暗殺者に命を狙われてもいいように、常に脳の一部の覚醒状態を維持するのが、この世界での常識なのか?
「私はニ、三日寝なくても問題ないから、リンタローが寝ていいよ」
「いやいやいや、ダンジョンに潜って俺がやったことって夕飯作ったくらいだぞ。もっと俺が働かないとダメだろ。魔物と戦ったテトラの方が俺より疲れが溜まってるだろ、普通に考えて」
「私は全然大丈夫。まだまだ余裕だから」
「そうは言っても……」
俺のなけなしのプライドが引き下がることを拒否する。男はこうあるべき! って理想があるわけではないけど、テトラだけが働いているような状況は看過すべきではない、はず。
俺の心情を察したのか、人差し指を頬にあてながら何か考え込む。しばらくすると、ポンとかしわ手を打つ。
「一人でジーッとしてるのは、つまらないから……お喋りしょ。リンタローが寝るまで。扶桑ってどんな国なの?」
「ぐぬぬっ……扶桑、か……」
思わず俺は唸る。
シノさんの設定で旅していた扶桑人ってことになってるもんな。扶桑がどんな国なのか俺が教えてほしいところだよ。この前の飯屋の感じから、大正時代前の日本って感じはしたけど。
「えーっと、俺の住んでた地域は外れの方だったのと、旅していたから今の扶桑と違うかもしれないけど……」
「大丈夫。リンタローの知ってる扶桑で問題ないよ」
いっそのこと、元々違う世界から転移してきたことをバラした方が、スッキリするんじゃないか? いや、そもそもシノさんが、俺を異世界人ということを伏せたことに意味があるかもしれない。
悶々としていると、テトラの存在を忘れかけていた。慌てて視線を彼女に向けると、時既に遅し。彼女は不安そうな顔で俺を心配そうに見つめていた。
「ごめんなさい。嫌なこと……思い出させちゃったよね……」
「ち、違う違う。何から話せばいいか悩んでいただけだから。えーっと、例えば卵かけご飯とか、テトラはたべたことないよね?」
「う、うん。米にスクランブルエッグを混ぜた料理?」
「外の国では阿鼻叫喚間違いなし。生卵を醤油で味付けして、炊き立てのご飯に混ぜただけの料理なんだ」
「な、生卵を! お腹壊すよ!」
「使う卵は新鮮なやつ限定。なんとも言えない美味しさなんだよ」
青ざめるテトラ。やっぱりどこの国でも生卵を食べるのは驚愕以外の何物でもないんだろうな。
食べ物を中心に他愛もない話をしながら、テトラに俺が異世界人だと教えてよいかシノさんに相談しようと心に決めるのだった。
テトラと話をしている内に寝てしまったせいか、初めての外寝だったにも関わらず、いつの間にか爆睡してしまってた。
俺、眠くないって言ってたのに、情けない……。




