015.お夕飯に行こう①
蒐集師としてギルドに登録した俺。それで生活が一変することはなく、アキツシマ工房で自堕落に過ごす日々は続いていた。
魔物を難なく倒すほどの武術の腕前があるわけでなく、魔物を一撃で倒すような魔術が使えるわけでもない。つまり素材を採取するために、街の外に出ていけないので、仕方がないと自分自身に納得させる。
「……しっかし、暇だ。テトラがいないと、こっちの文字を教えてもらえねーし、文字がわからないから、まともに店番もできねー。……マジでニート過ぎるな、俺」
俺は店舗フロアの奥の精算カウンターに伏しながら呟く。開店していないので、フロアに客の姿はゼロ。店舗フロアにいるのは、店番のためじゃない。魔導具の保存のために、湿度や気温を一定に保つ魔導具が設置してあるらしく、過ごしやすいからだ。
ま、店を開いたとしても、アキツシマ工房を訪れる客は、テトラが学園生だと知っているので、テトラがいそうな時間帯――十六時から十八時――を狙って来店する。昼間に店を開けても来店客は皆無だ。テトラがいないときに、シノさんが店を切り盛りしていたときは、どうだったんだろうな。
「そもそもシノさんは、日中どこにいるんだろ。姿が見えないから、何かやることないか、聞けないんだよなー」
自主的に掃除などは行っているが、普段からテトラが掃除をしているので、アキツシマ工房の掃除は――シノさんの私室を除けば――箒で軽く掃けば終了する。
そのため、俺にとって昼下がりは最も暇な時間といっても過言ではない。
「ん? どこにおるのかと思えば、こんな場所で何をやっておるのだ?」
「こんな場所って……。店舗フロアは、工房の大切な収入源で大事な場所と思うんですけど」
「妾にとって店舗経営は趣味じゃ。売上など気にするようなことではないのじゃ」
奥の通路から姿を表したシノさんは、腰に手をあてて胸を反らす。ふくよかな双丘が揺れながら、その大きさを自己主張する。
俺は一瞬、目を奪われてしまうが、不可抗力だ。健全な男子の反応だから仕方ないんだよ。俺は視線をシノさんから逸らす。若干、頬が熱い気がするが気のせいだ。
俺の反応をシノさんが見逃すわけもなく、ピコピコと楽しそうに狐耳を動かし、体を揺らすようにしながら、俺の視線に入るように移動する。ニヤニヤと愉しそうに笑うシノさん。
「あーもー、俺に何か用事でもあるんですか!」
「おぉー、怖いのー。最近流行りのキレる若者じゃ」
「キレてません!」
俺の反応が楽しくて仕方ないという様子のシノさん。尻尾がフサフサと揺れている。
このまま素直に反応していれば、シノさんの思う壺。俺は深呼吸して気を鎮める。
「すまぬ、すまぬ。凛太郎があまりにもよい反応するので楽しくてのー。暇しておるのであれば、お使いを頼まれてくれぬか?」
「……いいですよ。どーせやることもないですから」
「ぶーたれるでない、ぶーたれるでない。男前が台無しじゃぞ」
「……男前じゃないから大丈夫です。で、何ですか?」
「妾は嘘は申しておらぬというのに……」
シノさんは嘆息して肩をすくめる。
美人にお世辞でも男前とかカッコいいとか言われると素直に嬉しいが、先程のからかわれたばかりだ。素直に反応してたまるか。
そっぽを向いたままの俺の頬を、シノさんの白くて細い指が添えられる。俺より体温が低いのか、ひんやりとした感触が頬から伝わってくる。そして、シノさんの顔がすぐ前まで近づいてくる。
切れ目の双眸に輝く金色の瞳。俺は瞳に吸い込まれそうな感覚に陥ってしまう。シノさんの息づかいが伝わってきて、自然と心拍数が上がっていく。
「むくれた顔の凛太郎も愛嬌があって良いが、今の素直そうな顔が一番良いのじゃ」
にっこりと微笑むシノさん。俺は息を呑み込んでしまう。何かを喋らなきゃいけないと思うが、思考がままならない。俺は必死になって他愛もない言葉を捻り出す。
「わ、わかりましたから、指を離してくださいよ」
「うむうむ、よき顔よき顔」
シノさんに触られた部分がやけに熱を帯びているような気がした。
先ほどまで、シノさんが触れていた俺の頬をすぐ触ると、からかわれそうな気がしたので、俺は何事もなかったような態度で、シノさんにお使いについては確認する。
「で、お使いは何をすればいいんですか?」
「これから所用で外に出る。なので、テトラに夕餉は不要と伝えてきて欲しいのじゃ。ただそれだけでは凛太郎が腹を空かせてしまうので、一緒に食事でもしてまいれ。駄賃と食事代じゃ」
シノさんはローブの袖に腕を突っ込むと、顎をちょいちょい動かす。俺はおずおずと手を差し出す。彼女がローブから腕を引き抜くと三枚の銀貨が指で摘んであった。そのまま俺の手のひらに銀貨を落とす。澄んだ金属音が静かなフロアに響く。
それで用は済んだ、と言わんばかりに踵を返すシノさん。俺は慌てて彼女を呼び止める。
「テトラに伝えてこいって、って言われましたけど、テトラはどこにいるんですか?」
「おっと、そーじゃった。凛太郎は学園に足を運んだことはなかったの」
シノさんはローブの袖から、大きな紙――バルトブルグの市街図――を取り出し、精算カウンターに広げる。そして、街の南側あたりを指さす。
「ここがアキツシマ錬金術工房がある場所じゃ。ちょうど南の商業区と東の居住区の境目あたりになるのじゃ。そして、中央の行政区と街の西側にある貴族の阿呆どもの居住区に挟まれるように学園区がある。学園区は学園生が多く、建物も雰囲気でわかるので、迷わずたどり着けるはずなのじゃ」
「アキツシマ工房から学園って、どれくらい離れているんですか?」
「そうじゃなー、徒歩で四半刻もあれば、たどり着けるじゃろ」
「四半刻って……」
俺は灰色の脳細胞をフル稼働して計算する。
一刻で二時間として、四半刻は三十分程度。平均的な歩幅で歩いた場合、十分で一キロ歩けると仮定すると三キロの距離になる。
現代人の俺にとっては中々の距離だ。こんな時、スマホが使えれば、家から一歩も外に出ずに、一瞬で連絡が出来るのに。
前回、テトラを探した時は、ラッキーが続いたから、テトラと会うことが出来た。アリシアさんに遭遇していなかったら、テトラを見つけ出すどころか、俺が迷子になっていただろうな。
「……工房で、テトラが来るのを待ってていいですか?」
「妾の計算じゃと、今から出れば、テトラが学園区から出てくる頃合いに合うと思うがのー。学園生は学園区から出る際、北と南の門しか通れぬから、南門で待てばすぐ見つかるはずじゃ」
「それでも無理です。少しでも道に迷ったら間に合わなさそうじゃないですか……」
「ふむ、つまらぬの。せっかくコレも用意したというのに」
いつの間に取り出したのか、シノさんの手には、銀色に輝く腕輪が乗っていた。幾何学模様が彫り込まれたシンプルなデザイン。
何かありそうなオーラが漂う腕輪に、俺の厨二病魂が疼く。
「そ、それは何ですか?」
「これは"隷属の首輪"という魔導具を改良した"忠義の腕輪"という魔導具じゃ」
「隷属ッ!」
俺は思わず腕を引っ込める。隷属という言葉を聞いて、普通は喜んで身に着けたがる者いないと思うで、当然の反応だ。
「元となったのが隷属の首輪というだけで、この腕輪に身につけた者を強制的に従えるような効果はないのじゃ。これは国に忠義を誓った者に与える身分証明書の様な物じゃな。忠義と大袈裟に言うておるが、単に犯罪行為や著しく国に害を与えるような行為をしなければよい。これを身につければ、市民権がなくとも市民権のある民と同じように扱われるようになる。テトラと一緒にいなくとも、街に自由に出入りできるようになるわけじゃな」
「……それだけなら、わざわざ魔導具である必要はなくないですか? 何か他に仕掛けがあるんじゃないですか?」
「さすが鋭いの。幾つか機能があるのじゃ。最初に身に付けた者以外が身につければ昏倒させたり、犯罪行為をすると昏倒させたり、国に反逆すると昏倒させたりするのじゃ」
「何やっても昏倒させられるじゃないですか! そんな物騒な魔導具を腕に着けたくないですよ!」
俺は断固拒否の態度をとる。俺の態度を見てもシノさんの余裕を感じさせる笑顔は崩れない。俺は彼女の姿に警戒心を強める。
「"忠義の腕輪"をすぐ渡さなかったのは、いろいろ細工をしていたからなのじゃよ。質の良い魔昌石を探したり、身に着けた者が初級魔術を擬似的に使えるようになる仕組みとか……。凛太郎には不要と申すか、残念じゃ」
外連味たっぷりな仕草で、ゆっくりと銀色に輝く腕輪をローブの袖に片づけようとするシノさん。俺は反射的に彼女の腕を掴む。
身につければ、魔術を使える。大歓迎な機能じゃないか。
「何をおっしゃいますか、シノ様。是非とも、わたくしめに忠義の腕輪をお着けください!」
「ハッハッハ、さすがは凛太郎じゃ。実に面白いの。ほれ、忠義の腕輪は、凛太郎の物じゃ」
「ははー、ありがたき幸せ!」
俺は感無量という気持ちを態度で表す。片膝をついて受け取った"忠義の腕輪"を俺は天に掲げる。シノさんが何やら説明してくれたが、俺は受け取った"忠義の腕輪"を愛でるのに忙しくて、ほとんど耳に入らなかった。
*****
「リンタロー、おはよう! お師様の気配がないんだけど、何か知ってる?」
「……おはよう、テトラ。いつの間にか寝ちゃってたのか。シノさんは外出するって言ってたよ」
テトラの声と体が揺さぶられる感覚に、俺は目が覚める。欠伸を噛み殺しながら、確認するとテトラはメイド服に浅葱色のローブを羽織った、いつもの格好をしていた。
シノさんと話したのが十三時ぐらいだったとすると、三時間くらい寝てたのか。
学園区に足を運んで、テトラを見つけ出すことは不可能と判断して、アキツシマ工房にテトラが現れるのを待っている間に寝てしまったな。ちょっとテンション上がりすぎて、疲れてしまった。子供か俺は。いや、魔術が使えると言われたら男は誰でもそうなるはず。そう信じたい。
俺は強ばった筋肉を、背伸びしてほぐす。寝起きの背伸びって、何でこんなに気持ちいいのかね。
「リンタロー、その腕輪は何?」
「フッフッフ、よくぞ聞いてくれました。これは"忠義の腕輪"って魔導具さ」
「……初めて聞く魔導具かも。ちょっと見せて」
「おう、いいよ」
俺が作った物ではないけれど、なんか気分が受かれてしまうのは何故だろうか。一般に認知されていないレアな魔導具だからかな。
俺は得意気になって、腕輪を左手首から抜き取ろうとするが――。
「ぬ、抜けねぇー、なんでだ!」
「所有の効果が付与されているみたいね。解除の条件を満たさないと外せないわよ。…呪われた魔導具じゃないよね?」
「ダンジョンで拾った物ならまだしも、シノさんから貰ったんだよ。呪われてるはずないだろ、ないよね……」
反射的にテトラに反論したが、シノさんならば呪われたアイテムの一つや二つ、渡してきても驚きはないな。
俺の心情を察したのか、テトラは苦笑いをしていた。若干、腕輪から体を遠ざけているようにも見える。
少し腕をテトラに近づけると、テトラは一定距離を保つように動く。
泣くぞ、コラッ。
「と、とりあえず、"忠義の腕輪"ってどんな効果がある魔導具なの? 材質はミスリルっぼいけど」
「身分証明書代わりになるってシノさんは言ってた。そのかわり犯罪行為をすると自動昏倒が発動するらしい」
「自動昏倒って、ダンジョンで迂闊に装備したら即死できる効果じゃないの。牢獄に入れられた犯罪者の暴動避けに重宝さているらしいけど。効果はそれだけ?」
「シノさんがカスタマイズして、初級魔術を擬似的に使えるようにしたって言ってた。使い方を詳しく聞く前にシノさんがいなくなったから、使い方は解らないけど」
魔術が擬似的でも使えるようになるって聞いて、俺がトリップしている間にシノさんがいなくなったとは言わない。
俺の尊厳に関わってくるからな。
テトラは、直接"忠義の腕輪"に触れないように、俺の腕の位置を変えながら、"忠義の腕輪"を観察する。
「んー、魔術を封入した形跡は見当たらないけれど、魔昌石は、かなり品質が高そうな気がする」
「シノさんが嘘をつくことはないと思うけど、人をからかうことは、好きだからなー」
「うん。でも、お師様だから仕方ないかな」
俺とテトラは視線を交わすと、同時にため息をつく。シノさんは天災の類いと割りきってしまうしかない。
気を取り直して、俺はシノさんのお遣いを完遂することにする。
「シノさんが出掛ける前に、伝言を頼まれたんだ。今日は出掛けるから夕飯はいらないってさ」
「お師様が出掛けるなんて、珍しいこともあるものね。夕飯の材料は、お師様の気分を聞いてから買おうと思っていたから良かったわ。んー、リンタローは夕飯、どうするの?」
「シノさんからは、テトラと一緒に夕飯食べてこいって、お金を預かってる」
ポケットに突っ込んでいた銀貨三枚を取り出して、カウンターに並べる。少しテトラが驚いたような素振りを見せた。
やっぱり銀貨三枚――日本円で約三万円。食事代としては多いよな。
不意に聞こえてくる鼻歌。テトラが嬉しそう体を揺らしていた。
「リンタローは、食べたいものとかあるの?」
「特にはないかな。というか良くわからないって感じかな。知ってる店は"ワイルドベアーの巣穴"だけだし」
「なるほどね……」
テトラは顎に手を当てて、何かを考え込む。
真剣なまさしく眼差しのテトラは、凛とした雰囲気を漂わせる。俺は思わず見惚れてしまう。
「よし、決めた。リンタロー、今日の夕飯は、『ワイルドベアーの巣穴』じゃなくて大丈夫?」
「特に約束とかしているわけじゃないから、どこで食べてもいいよ」
「なら、港区に行くわよ。風の噂で、扶桑料理を出す店があるって聞いたから。リンタローも故郷の料理を久々に食べたいでしょ」
「何のこ――」
慌てて言葉を飲み込む。俺は扶桑出身者扱いだった。忘れてた。扶桑料理とか何一つわからないんだけど。頼むから、和食っぽいラインナップの料理が出てくれ。
「どうしたの?」
「いや、テトラが扶桑料理を探してきてくれたことが嬉しくて」
「ふふふっ、大したことじゃないわよ。リンタローは大袈裟ね。そうと決まれば、お店に向かいましょう」
「あ、おう、そうだな……」
嘘をついていることへの罪悪感を感じながら、俺は外出の支度を始めた。




