014.蒐集師①
「リンタロー! そっち行ったわよ!」
「はいよ、わかった」
街から少し離れた平原に、テトラの鋭い声が響く。
テトラの声に反応し、俺はナイフを順手で構える。ぎこちなさは残っているものの、前のように取り乱すことはない。
目の前に迫るスライムに対して、ギリギリまで引き付けてから、ナイフを突き刺す。素早くナイフを引き戻して、追撃せずにバックステップ。
入れ替わるように、カイトシールドを構えたテトラが、動きを止めたスライムに突撃する。
「これで! お終い!」
テトラが体勢を崩したスライムに剣を振り下ろし、トドメをさす。
動きに淀みのないテトラの連続攻撃。何回見ても見事すぎて拍手を贈りそうになってしまう。
テトラは鋭い視線で周囲を見渡し、他に魔物の気配がないことを確認してから、構えを解く。ふぅ、と短く呼気を吐き、剣を一振り。ヒュン、と空気を切り裂く音を残して、剣を鞘に納める。
カッコいいテトラの動きを真似したいが、やるとナイフがすっぽ抜けて、どこかに飛んでいきそうなので俺は務めて自重する。腰のポーチから取り出した布で、ナイフの刃を軽く拭いてから、腰の鞘に戻す。そして、強ばった筋肉をほぐすように屈伸と背伸びをする。
周囲を見渡し、他に魔物の気配がないことを確認して、テトラは構えを解く。ふぅ、と短く呼気を吐き、剣を鞘に納める。
テトラの様子を確認し、凛太郎もナイフを腰の鞘に戻す。強張った筋肉を解すように屈伸して、背伸びをする。
「お疲れ様、リンタロー」
「テトラもお疲れ様」
「前より、動きが良くなったね、リンタロー。訓練でもしたの?」
「まあ、素振りくらいはやったけど、どっちかって言うと、心構えのお陰かな。いきなり魔物に襲われると取り乱すけど、魔物が襲ってくるとわかっていれば、時間稼ぎくらいはね。時間さえ稼げば、最後はテトラが倒してくれるから」
ハハハッ、と自嘲気味に笑う俺。
心構えのお陰で対処できたとは言え、戦闘に慣れたとは言えない。元の世界では、雑魚魔物としてお馴染みのスライムにすら梃子摺る自分に情けなさが募る。
俺の内心を察したのか、テトラがポンポン、と優しく肩を叩く。
「リンタローは戦闘職じゃないし、自衛できるだけで、大したものだよ」
「それを言うと、テトラも戦闘職じゃないけど、バリバリ戦えているじゃん。剣も盾も扱い慣れてるし」
「まー、私の場合は、転向? 転職? みたいなものだから。リンタローが私と比べるのは酷だと思うよ」
そう口にしたテトラの表情が一瞬陰る。気になりはしたが、理由を尋ねることは憚られた。
「とりあえず、今日の採取は終わり。工房に戻ろう」
「うん、わかった」
俺は採取したカミーレ草とタレハ草を詰め込んだ麻袋を担ぎ直す。テトラの手伝い申し出を固辞して、俺たちは並んで街に向かって歩き始めた。
*****
アキツシマ錬金術工房に大きな変化があった。店内の埃っぽい空気は代わらないが、奥の精算カウンターに近いディスプレイテーブルには、瓶詰めされた初級ポーションが並べられていた。
店内の商品棚に並んでいるどの魔導具よりも、初級ポーションは新しい。テトラが定期的に錬成して作っているので当然だけど。
「テトラ、売れ行きは?」
「んー、ボチボチ、かな。二、三日で五個くらい売れれば良い方かも」
「五個かー。今日、採ってきた素材含めて、五十本分くらい錬成出来るよな。売り切るにはだいぶ時間かかるな」
「今までは、お師様の魔導具しか陳列してなかったから、数ヶ月に一つ売れるかどうかって状態だったからマシだよ。それにポーション類は、錬金術師ギルドが一定額で買い取ってくれるから、作りすぎても置き場に困ることにはならないはず」
「ギルドが買取り? ああ、冒険者ギルドに卸すためか」
「そう。ギルドに所属している錬金術師から買い取ってから、冒険者ギルドにまとめ売り。ポーションが安定供給されないと、冒険者が街から出て行っちゃうから。冒険に必要な消耗品で、ポーションは必需品といっても言いから。安定してポーションが入手出来ない街では、どんな大きな都でも冒険者が集まらないと聞くよ」
なるほどね、と俺は呟く。
危険な場所に赴く冒険者は日常的にポーションを消費する。安定してポーションが入手出来なくて、次の冒険に行くことが出来ない。結果、冒険者が拠点を移してしまう。
厄介事を持ち込む冒険者は一般人に敬遠されがちだが、彼らが持ち込む冒険の戦利品は街を潤わすことになってるみたいだからな。
錬金術師ギルドが所属している錬金術師からポーションを買い取る。そのあと、品質チェックとかして、冒険者ギルドにまとめて卸す。冒険者は安定的にポーションが手に入るので、安心して冒険に向かうことが出来るというわけか。
テトラみたいな新人で知名度がなかったり、店舗がない錬金術師でも、錬金術師ギルドが確実に買い取ってくれるのだから、生活の安定とかにも繋がりそうだな。
単純だけど、よく出来た制度と感心していると、奥の方からひょっこりとシノさんが顔をだす。
「お、帰っておったな。調子はどうじゃ?」
「調子は、まあまあです、お師様。毒とか麻痺とかに対する抵抗力を一時的に上げるポーションを、お師様が錬成してくだされば、もっと調子が上がるはずなんですが」
「別に妾が錬成する必要はあるまい。テトラが錬成を出来るようになれば、解決することじゃ。凛太郎、少し話があるので、後で妾の書斎に来るのじゃ」
シノさんはそう言って離れていく。あっさりと返されたことが不満なテトラは頬を膨らませる。
俺は一度店内を見渡し、自分に出来そうなことが特にないことを確認すると、テトラに目配せをしてからシノさんの書斎に向かうことにした。
*****
俺は、ドアの前に立ち、深呼吸をする。
書斎とはいえ、異性の部屋に入った経験はない。緊張しても仕方ないだろ。
一度、入ったときは、ケツの痛みで考える余裕はなかったから、ノーカウントだ。
少し震える手で、ドアを四回ノックする。
『鍵は開いているので、入って構わぬぞ』
ドアの向こうから聞こえてくるシノさんの声。俺は右手でドアノブを握り、左手で右手首を握り、震えを抑える。
ドアノブはなんの抵抗もなく回り、キィと小さな音を立ててドアが開く。
紙とインクの臭いが部屋から漂ってきた。見渡すと本や書類などの紙類が積み上げられ、いくつも塔になっていた。
他にも錬金術の素材と思われる物が、ゴチャゴチャと転がっている。
掃除はしているが整理はしていない、という書斎は、元の世界の俺の部屋を彷彿させた。
俺の部屋、どうなってるんだろう。ベッドの下とかタンスの引き出しの下とかパソコンの隠しフォルダとか、人目に触れずに処分したい場所が幾つかあるんだよな。
「何を呆けておるのじゃ。遠慮せずにはいってまいれ」
「は、はい。失礼します」
シノさんの透き通った声に、俺は現実に引き戻される。彼女は部屋の奥に置かれた高そうなデスクに座っていた。
頬杖をつき、アンニュイな雰囲気に包まれているシノさん。服装はいつもの浅葱色のローブで別段変わったところはないはずなのに、荘厳な空気が部屋を支配したいた。
「立ち話は辛かろう。そこのソファーに座るがよい」
「アイ・アイ・マム!」
反射的に軍隊じみた返事をして、敬礼してしまう俺。かかとをキッチリ合わせて、背筋も伸ばす。
何やってんだろ、俺。
「プッ……ハッハッハッ、異世界の返事かえ? 随分とおかしな返事よのう。まっことに凛太郎は笑わせたくれるのじゃ」
「わ、笑わせるつもりはないです。 脳がちょっと混乱しただけです」
「何故、部屋に入るだけで混乱するのだ? そのような効果のある魔導具は、まだ起動しておらぬぞ」
まだ、ってことは、状態異常を引き起こす魔導具が部屋の何処かに仕込まれているのか。いろんな仕掛けがありそうだし、当然か。
一気に部屋に滞在するのが怖くなってしまうが、シノさんが指したソファーに座る。
何の革かわからないが、しっとりとした肌触りで、柔らかく、包まれるような座り心地。間違いなく高級ソファーだと思う。
俺がソファーの感触を確かめていると、シノさんが対面に移動していた。
いつの間に用意したのか、湯呑みが俺の前にコトン、と置かれる。湯気とともに緑茶の芳醇な香りが鼻腔をくすぐる。
「扶桑のお茶なので、故郷の味というわけではないが、味わうがよい」
「ありがとうございます」
湯呑みを手にすると、指先からジンワリと熱さが広がってくる。ズズッと啜ると、ふくよかな甘味と苦味に、ホッとしてしまう。
日本にいるときは、お茶を飲むくらいなら炭酸ジュースと思っていた。けど、異世界で飲む緑茶は、安心感がある。
「うん、うまいお茶ですね……」
「そうじゃろ。百グラムで銀貨五枚ほどかかっておるので、うまかろう」
「銀貨五枚……」
百グラムのお茶って、数千円もしないよな。銀貨五枚って、輸送費とかあるせいだと思うけど高級品過ぎないか。
「さて、まずは凛太郎に礼を言わねばなるまい。汝のお陰でテトラは錬金術師に成ることが出来た」
シノさんが頭を垂れると、サラサラと銀髪が肩を滑る。ふわりと花のような甘い香りが漂う。
俺は女性の部屋にいることを意識してしまい、思わず湯呑みを落としかける。誤魔化すように、シノさんに言葉を返す。
「頭をあげてください、シノさん。俺は何もしていないです。全てテトラの実力です」
「ふふふっ、汝は優しい男子だの。さて、本題に入ろうかの。テトラには錬金術師として実力が必要な課題を与えた。テトラが課題を達成したとき、一人前の錬金術師に成っておるはずじゃ。具体的に言うと、凛太郎が元の世界に戻れる可能性のある魔導具、いや秘蹟を錬成できるほどのな」
「……俺のために、テトラに難しい課題を与えたんですか? それはテトラに申し訳な――」
「馬鹿たれ。凛太郎がおらぬでも、与える課題はかわりないのじゃ。妾の弟子ならば出来て当然の課題じゃからな。凛太郎が気に病む必要は微塵もないのじゃ」
シノさんが俺の言葉を遮る。テトラ曰く、シノさんは超一流の錬金術師。弟子に与える課題もハイレベルなのか。
俺がシノさんの言葉の真偽に悩んでいると、シノさんは話を続ける。
「で、次は凛太郎の番になるのじゃ。妾が"蒐集師"を目指すように言うたのを覚えておるか?」
「はい。今では廃れた魔導具の素材を専門に取り扱う職ですよね」
「うむ、その通りじゃ。今では冒険者の数も増え、冒険者ギルドの数も増えたので、蒐集師をわざわざ名乗る必要もなく、冒険者で活動した方が利点があるため、廃れた職になっておる。嘆かわしいことだ」
「廃れた職を俺に勧めるのは、俺に魔力がないからですよね。俺に魔力がないから、素材の品質を保てるって」
「さよう。特殊な素材ほど繊細じゃ。ヒトが触れると同時に魔力が反応し、変質するものが多い。わざわざ魔力に乏しい者をパーティーに入れておる冒険者も稀におるくらいじゃ」
シノさんの口振りだと、魔力が乏しい者は冒険者としてハンデがあるのだろう。そんな者をパーティーに入れても見返りがあるほど、レアな素材は高価なのだろう。
「秘蹟と称される魔導具を錬成するために必要な素材は、特殊で繊細じゃ。それこそ一流の蒐集師でなければ、揃えることが出来ない程に」
「……つまり、シノさんは、俺に一流の蒐集師になれと」
「うむ、さすがは凛太郎じゃ。理解が早いの」
ニマニマと楽しそうな笑みを作るシノさん。俺は非常に不安になる。テトラに対するシノさんの行動を省みると、自分は楽しい相手は苦労するってパターンが圧倒的に多いからだ。
「で、俺の課題は何ですか?」
「まずは"蒐集師"になることからじゃ。廃れた職とはいえ、ギルドはまだあるからの、細々とじゃが」
「細々、ですか。……掘っ建て小屋のスラム街みたいなところにあるんですか?」
「暗殺者ギルドならまだしも、その様な場所にあるわけなかろう。冒険者ギルドの建物の中じゃ」
筋骨粒々の汗くさくて、粗暴な人種。ナイフを舌でなめ回し、肉に齧りつき、酒を瓶から直接ラッパ飲み。
某世紀末漫画に出てくる悪党が俺の頭に浮かんでくる。そんな連中が跋扈する場所に一ミリも近づきたくない。
俺の内心を見透かしているのか、シノさんの笑顔がどんどん輝きを増していく。
「紹介状は妾が用意してやるのじゃ。すぐにでも行ってくるのじゃ」
「ノォォォォォ!」
俺は思わず叫んでしまった。




