89.終幕②
「兎にも角にも、拙者ノお役目も終わりダ。御屋形様は見つけたものの、拙者には、御屋形様を扶桑へお連れする術がナイ。まあ、この身ヲ千蔭、様が操っていたとしてモ無理だっただろうナ」
「……春兄」
「榊家の悲願が成就されることはナイ、と分かっただけでも収穫ダ。当主である六花にハ、まだまだやる事があるだろウ。大婆様は六花に期待されてタ。翠雨ノ将来を期待している者は多い。二人は扶桑に戻り、事の顛末を報告せヨ。ああ、御屋形様の事は誤魔化すことを忘れるナ。これ以上、深追いすれば、御屋形様の怒りに触れて、お家が消滅するとでも脅しておケ」
六花が何かを言いかけるが、下唇を噛んで言葉を飲み込む。
春陽さんは、二人と言った。なら、春陽さんは、どうするのか?
空気を読むとか察するとかあると思うけど、俺は確認せずにはいられなかった。
「……春陽さんは、これからどうするつもりなんですか?」
「相馬殿、この流れなら聞かないノガ礼儀と思わないカ?」
「思いません。扶桑の流儀や礼儀とか言うのであれば、意味がないです。俺は扶桑の人間ではないですから」
春陽さんは、俺の言葉に苦笑いをする。彼はちらりと六花と翠雨ちゃんを見た後、シノさんに視線を向ける。
「諦めよ。普段はお人好しでへっぴり腰な凛太郎なのじゃが、場を読んで引かぬ時がある。良き男子じゃろ」
シノさんの言葉に、春陽さんは大袈裟な動きで肩を竦める。
「封魂玉ハ失われた。同時に千蔭、様の影響力も失くなった。榊家に仇なす者を屠り、御屋形様ヲ求める裏当主を継承する玉継之儀は失伝すル。封魂玉を身に宿さぬ拙者の存在意義もない。故に拙者が扶桑に戻る意味もない。このまま國抜けしテ大陸の何処かで野垂れ死ぬカ、腹切りをするか、少なくとも囚われの身で飼われるよりは、マシな道を選ぶ予定ダ」
「……それは、ダメだ」
反射的に俺は言葉を口にした。
ピクリ、と春陽さんの眉が動く。彼は一呼吸置いてから口を開く。
「ふゥ……相馬殿と拙者には、深い縁などないハズだ。拙者の今後について、相馬殿が気に止める必要ハない」
「必要はあります。春陽さんには刀の扱い方を教わりました。お店では美味しい料理を振る舞ってくれてました。それに――」
俺は視線を六花と翠雨ちゃんに向ける。春陽さんも俺の視線の先に顔を向ける。
そこには、今にも泣き出しそうな顔をした二人がいた。
「春陽さんがいなくなって悲しむ人がいます。そんな人を見ると更に悲しくなります。だから、俺は春陽さんにいなくなって欲しくない」
「……この国は平和だが、ヒトがさくりと死ぬ世の中だ。昨日まで話していた隣人ガ、翌日には墓の中など珍しくナイ。拙者のことなど、すぐ忘れルさ」
「そんな事はないです。そんな事はない筈です。だって、春陽さんの一族は姿を消した土地神――シノさんを、代を重ねながら、延々と探し求めていたのでしょう。すぐに忘れる事が出来るのなら、そんな事は出来ないはずです」
体ごと春陽さんに向き直り、俺は真っ直ぐに彼の目を見る。
しばらく、俺の視線と春陽さんの視線がぶつかり、沈黙が周囲を支配する。
「……やレやレ」
不意に春陽さんが視線をそらすと、大袈裟な動きでボリボリと頭を掻く。
「実に、実に不愉快ダ。己ノ覚悟を一族の在り方で否定されルことになるとは……」
「春兄! アタシも春兄にいなくなって欲しくない! あたし一人で当主なんて出来るはずない! 横でチクチク小言を言いながら、見守ってくれる春兄が必要なの!」
「アタシも春兄様に、色々教わりたいデス! だから、だから、もっと一緒にいたいデス!」
六花と翠雨ちゃんが、春陽さんに飛びつく。嘆息するしながらも春陽さんは二人を抱きとめる。
「ハッハッハ、忘れることも諦めることも出来なかった汝の血脈を恨むことじゃな。それに不愉快でも気分は悪くなかろう?」
シノさんの言葉に、春陽さんは答えずにそっぽを向く。それを見て、シノさんはニヤニヤと笑う。
良い場面なのに、茶化さずにはいられないのかな、シノさんは。
横を見ると、同じ様な事を考えてそうなテトラと視線があった。
彼女は「やれやれ」と口に出さずに顔を左右に振る。
「冗談は、さて置くとするかの。汝らは、扶桑に未練はあるかえ?」
「未練……で、ございますか……」
シノさんの問いかけに、戸惑いを隠せない六花。彼女は不安そうな顔で春陽さんに視線を送る。
「六花が玉継之儀の候補者に選出されていなけれバ、武芸修行で扶桑を離れることを考えていタ。故郷を捨てる覚悟もしていタ。六花ト翠雨は、榊家に必要な存在ダ。未練があろうとなかろうと、扶桑に戻る義務がアル」
「ハッハッハ、別に取って食おうと思っておらぬのじゃ。過程はどうあれ、汝らは妾を見つけ出したゆえに褒美を遣わすのじゃ。この地におる限り、妾に仕えることを許可してやるのじゃ」
ほうけた顔をする春陽さんと六花。翠雨ちゃんは、状況を掴めずに首を傾げる。
一瞬の間を置いて、三人は顔を見合わせてパクパクと口を動かす。
春陽さんと翠雨ちゃんが、六花の肩に手を置く。彼女は一度頷くと身なりを正し、真剣な面持ちでシノさんに向き直る。
「お、御屋形様、扶桑へ御還され――」
「扶桑に行くわけないのじゃ。棄てた地に戻るほど、妾は寛容ではないからの」
六花の言葉が終わる前に、シノさんが否定する。
ピシッと音が聞こえてきそうなほど見事に固まる六花。
「言うたであろう。この地におる限り、妾に仕える事を許す、と。祀ることも許さんのじゃ。今の妾は、しがない隠居した〝錬金術師〟のじゃからな」
ドヤ顔のシノさん。
空気を読まない彼女の発言に、俺は唖然としてしまう。
六花たちは、探し求めていた存在の突然のドヤ顔披露に思考が追いついてなさそうだった。
シノさんの隣に立つテトラが真顔で「お師様は、隠居してません。ズボラなだけです。サボっているだけです」と呪詛のようにブツブツと繰り返し呟いていたが、気にしているのは俺だけのようだった。なので、俺はあえて彼女をスルーした。
「春兄ィ……」
展開についていけず、頭から煙が立ち上ってきそうな顔をした六花が、情けない声で春陽さんに助けを求める。
「やレやレ、まだまだ情けないナ。御屋形様ノお傍にいることヲ許されたんダ。もっと誇らしげな顔ヲするところだゾ」
「だ、だって、御屋形様が還御するお姿を何度も夢見たけれど、御屋形様に仕える自分の姿なんて一度も想像したことないよ。春兄は想像したことあるの?」
「御屋形様が扶桑で過ごされていた姿を、何度も観たことがあル。千蔭、様の追想だガ、疑似体験しタ」
「――っ! それ、ズルだ!」
「ズルだ! ズルだ! 春兄様はズル!」
思わず六花が声を上げると、翠雨ちゃんが楽しそうに追従する。
わちゃわちゃとした空気に、始めのころの重々しい雰囲気は消え去っていた。
シノさんは柔らか笑みを浮かべながら、騒がしい空気を楽しんでいるようだった。
六花、春陽さん、翠雨ちゃんは、扶桑料理屋『烏兎』を続けながら、アキツシマ錬金工房に通うことで話がまとまった。
懐かしい本場の扶桑料理に、舌鼓を鳴らすシノさんの姿を、夕食で見られるようになるのだった。