89.終幕
「……粗茶です」
「かたじけナイ」
朝の喧騒が始まる前の静かな時間帯。
王国騎士団に護送されてきた春陽さん、六花、翠雨ちゃんをアキツシマ錬金工房に招き入れて、応接室に通した。ソファーに座るように促してから、俺は湯気立つ緑茶を差し出す。
事前にシノさんを起こしてはいるのだけど、彼女が現れる気配はなく、お茶を出して場を持たせる作戦だ。
春陽さんが、無造作に茶碗を掴み、ズズズッと茶をすすり、少し驚いたような顔で、頬を弛める。
「これは玉露カ。しかもなかなか上等な代物ダ。扶桑から離れた大陸で、これほど美味い茶ヲ飲めるとは思ってもいなかっタ。六花と翠雨も飲んでミロ」
春陽さんに促され、六花と翠雨ちゃんも茶碗に手を伸ばす。
二人も小さくズズズッと音を立ててお茶をすする。
「美味、しい……」
「ハイ、ウチのお店で出す茶葉ヨリもお高い味がします」
翠雨ちゃんの元気な声に、俺は思わずほっこりしてしまう。
そんな穏やかな空気の中で、ズルズルと何かを引きずるような音と、少女の声が聞こえてくる。
「お師様、しっかりしてください。もうみんな揃っているんですから」
「……こんな、時間に集まるのが……悪いのじゃ……」
「世間一般的には、朝は起きるものです。来客の予定があれば、それにスケジュールを合わせるものです」
バン! と勢いよく開かれたドアの先には、見慣れたメイド服に身を包んだテトラが、シノさんの両脇に腕を通して、彼女を引きずっている光景だった。
いつもなら、まだテトラがアキツシマ錬金工房にいる時間帯ではない。春陽さんたちを出迎えながら、シノさんを起こすのは不可能だったので、テトラにシノさんを起こす役目をお願いしていた。
「もー、お師様、ちゃんと歩いて、ください」
「やーじゃー……まーかーせーのじゃ……」
自立する気配ゼロのシノさん。
テトラがため息をつきながら、ズルズルと部屋の奥に置いている振り子椅子まで運んでいく。
テトラがシノさんを雑に扱う姿は、アキツシマ錬金工房の日常の一コマといった感じだが、春陽さんと六花は、口をポカーンと開いたまま硬直していた。翠雨ちゃんは目をパチクリしていた。
「悪ガキも……時間的、配慮……を、もっと……するべき、なのじゃ……」
「人目に付きにくい時間を選んでいます。十分に配慮された時間帯です」
振り子椅子の背もたれに全体重を預けたシノさんと、ひと仕事終えた顔のテトラ。
しばし沈黙が流れる。
意を決したような面持ちで、春陽さんがソファーから立ち上がる。
「……御屋形様、でよろしいので、しょうカ?」
「呼びたければ、そう呼べばよいのじゃ。そう呼ばれることに妾に異存はないのじゃ。まあ、ずいぶんと久しい呼ばれ方だがの」
春陽さんが恐る恐る尋ねると、シノさんは薄目を開けながら答える。
シノさんの妖艶さを感じさせる動きに、俺は思わずドキリとしてしまう。
春陽さんは一度深呼吸してから、片膝をついて頭を垂れる。
「改めて、ご挨拶ヲ。拙者は、十五代目榊家当主の嫡男、春陽と申しマス。不詳ながら短期間でありますが十六代目を拝命しておりましタ。そして、榊家の悲願成就のため、御屋形様をお探ししておりマシタ。――六花」
「は、はい。そ、某は――」
「よいよい。汝の口上は、既に聞いているのじゃ、十七代目」
慌てて立ち上がった六花を、シノさんは手で制する。
「ワタシは! 翠雨デス! 十歳で、六花ねえみたいナ呪いは、出来ないのデ、暗技を鍛えてマス! 御屋形様ニお会い出来て、感謝感激デス!」
次は自分の番と言わんばかりに、翠雨ちゃんが元気に発言する。少し興奮気味なのか、ふんふん、と鼻息が荒い。
「お、御屋形様に失礼な態度を!」
「す、翠雨、謝罪を! 御屋形様に!」
一瞬、呆気にとられていた春陽さんと六花だったが、慌て始める。
「ハッハッハ、元気の良いことじゃ。目が覚めたのじゃ。翠雨とやら、妾の眼で見た限り、呪いの才は十分ありそうじゃぞ。武に関しても中々のものじゃ。修練に励めば十七代目を追い抜くことも出来ようぞ」
「本当ですカ! 頑張りますデス!」
「ちょ、す、翠雨! すみません、すみません」
シノさんに、前途有望と褒められて、翠雨ちゃんは満面の笑み。対して六花は顔を青ざめさせて謝りまくる。
しばらく二人の姿を楽しんだシノさんは、一度咳払いをしてから春陽さんに視線を移す。
「さて、春陽とやら、榊家について伝わっていることを話すのじゃ。あの阿呆――千蔭が今回の騒動を起こした経緯も含めてじゃ。多少の情報は妾の耳にも届いてはおったのじゃが、棄てた國のことなど気に留めておらなんだ」
「……承知いたしました。では――」
一礼してから、春陽さんは扶桑皇国と榊家について語りだした。
初代が榊家を興す前は、扶桑皇国では弱小な家柄だった。
しかし、初代がチカラある土地神に気に入られ、榊家を興してその土地神を祀る様になった。
土地神が戯れに教えた児戯は、ヒトにとっては秘儀に等しかった。
人外の技を扱うとして、榊家は栄えていった。
やがて、冠もなく、閑職すらないというのに、時の帝にすら、意見を言えるほど強大な権力を手にしていた。
「ご先祖様は、権力に溺れタ、愚か者だった。まさに虎の威を借りる狐ダった。祀る土地神様のチカラを己のチカラと勘違いシタ。だから、見捨てられたノだ」
春陽さんは自虐的に笑う。
土地神が姿を消し、榊家の衰退が始まる。
土地神に授かった秘儀は残ったものの、土地神の威光はない。
多くの者から恨みを買っており、榊家は窮地に立たされる。
「土地神様から授かった秘儀を用いて政を行う当主と、ありとあらゆる汚い手段を用いて敵対勢力を排除し、榊家を護り土地神様を探す裏当主が出来たのが、七代目当主、千蔭のときデス」
榊家を再興するために、土地神を探した。神の名がつく存在が、この世から消え失せることなど無いと信じて。
千蔭は土地神を探すことに偏執した。
己の寿命で土地神を見つけ出すことが叶わないと悟ると、千蔭は〝封魂玉〟を錬成して自らを封じ込め、新たな器――肉体となる〝裏当主〟を選定する仕組みを作り上げる。
土地神を探すという一点だけのために、血族の優秀な者が犠牲になり続けた。
六花も裏当主の候補になっていたが、すんでのところで春陽さんが裏当主になった。
才能の差はあったが、同調率の高さが決め手になったらしい。
春陽さんは、千蔭と共生しながら、土地神を探すために色々なことに手を染めたらしい。
合法非合法を問わず。
「数年前、たまたま帝から呼ばれた席デ、榊家の秘儀に似た技を見たと口にした者と会った。だいぶ歳ヲ召されていたいたタメ、王国にたどり着くまでに時間が掛かっタ。さすがの秘儀モ痴呆には効果が薄かっタ」
自虐的な笑みを浮かべる春陽さんに、俺は確信を持って尋ねる。
「土地神……それは、シノさんですよね?」
「然リ。御屋形様――秋津洲信乃命ダ。我が一族が探し求めているお方ダ」
少しの驚きはあったが、すんなりと受け入れる事は出来た。
しゃんとしている時のシノさんを、女神と言われたら納得する以外ないからだ。しゃんとしている時なら。
俺の視線に気づき、少し得意げな顔になるシノさん。
テトラに引きづられて入室していなければ、もっと良かったのに。
「あとは、王家に不平不満ヲもつ貴族に接触シ、先祖――千蔭、様が秘儀を用いテ精神誘導を行った。王国で騒動を起こせば、警備の厳重な場所にも潜入は容易くなリ、御屋形様の痕跡を見つけやすくなるという算段ダ」
「王国騎士団の戦力を見誤りましたね。もう少し入念に準備をしていれば、王都が混乱する可能性はあったでしょう」
「慰めにもならぬヨ。あの数ノ魔獣ヲ退ける者が存在するナド、想定外ダ。千蔭、様の長い記憶に存在する兵でも退けられない数ヲ用意したつもりだったからナ」
「そうでしょう、彼は、リリーシェル家の歴史の中でも屈指の実力者ですから」
春陽さんの言葉に、得意げな顔をするテトラ。
とりあえず、ツッコミを入れるのは止めておく。
「学園で起きた武装蜂起に紛レ、結界石を確認した後、王国の宝物庫など、御屋形様ノ痕跡ガ在りそうな重要施設二潜入スル予定だっタ。千蔭、様モ、学園ノ武装蜂起が早々に鎮圧されたノは、想定外だっただろうナ」
そう言って、春陽さんは冷めたお茶を一口啜った。