83.祭壇②
「ヤレヤレ、やハり他人ヲ宛にするものではナイな」
空中に漂う水晶の後ろから現れた黒い影。
闇夜に溶け込むような色の服に身を包み、覆面で顔も見えない。
しかし、その服装のベースに、俺はわずかに動揺してしまう。六花も同じ様子だった。
忍び装束というべきだろうか。極東風の作りをした服装。そして、背恰好には覚えがあった。
「春兄……」
「遭遇スル想定ハしていなかったノだがナ。術式ヲ解析シテ、撤退スルまで時間ガ稼げるト計算シテいたからナ」
六花の言葉に、黒い人影は肩を窄めると、わざとらしくため息をつく。一呼吸おいて、自ら覆面を剥ぎ取る
と、見慣れた顔――春陽さんが現れる。
「春兄、何故ここにいるのだっ!」
「ソレくらい、察しガつくだろウ。全ては、一族の悲願ノ為ダ」
春陽さんの声は、どこまでも深く沈んだ声だった。不安が体の奥から滲み出し、心臓を圧し潰してくる。
街中で見かけるときの穏やかな雰囲気はなく、空気が張り詰めていく。
身体が強張り、空気がうまく吸い込めない。冷たい汗が俺の背中を次々と流れていく。
「何が目的だ。返答次第では、ここで切り捨てる」
空気を切り裂くような鋭いテトラの声。
彼女はショートボードを抜き放ち、剣先でに春陽さんを指す。
春陽さんから、動揺した気配は一切ない。彼は覆面を弛めて顔を露わにする。
「尋ねビトがあっテ、扶桑から大陸ニ渡って来タ。尋ねビトの痕跡を探していル」
「……それがここにいる理由になるか。上の騒動、クーデターを唆したのも貴様だろう」
「唆したトハ、ヒト聞きが悪いナ。ワタシは協力シただけだヨ。まあ、正規の手続きデ、入ることが出来たナラ、やらなかったガ」
春陽さんは、薄ら笑いを浮かべながら、テトラの問に答える。
かすかにテトラの表情が険しさを増す。「フゥー」と彼女は静かに息を吐き、気持ちを抑えている様だった。
「春兄、お勤めの事は聞いていたけれど、こんな騒動を起こすなんて聞いてない」
「当然ダ。六花ハ表の当主だからナ。裏ノ汚れタ仕事は裏当主ノ勤めダカらな」
「榊原の当主の勤めは、表も裏も〝御屋形様〟が還御されること、それだけだったはず」
「ああ、そうダ、そうダとも。〝御屋形様〟が還御されることガ、一族ノ悲願ダ」
ぞくり、と背筋に悪寒が走る。
春陽さんが目を見開き、口の端を釣り上げる。彼の全身から狂気が吹き荒れる。
「長かっタ……実に、長き時間ガ流レタ。國ヲ虱潰しニ探シ回り、帝ヲ説得して大陸ニ足を運ぶことにナッていくせそう幾星霜。〝御屋形様〟の痕跡を目にすることが出来タ。この結界ノ術式は、大陸向けニ調整されているガ、〝御屋形様〟の美シイ術式が根幹ニ見てとれル」
春陽さんは、言葉を区切ると肩を震わせながら笑い始める。
知っている彼の姿から想像できない姿。
俺は無意識に身構えながら、後ろに下がってしまう。
テトラと六花は、気圧された様子はあるものの、春陽さんを見据えていた。
「まサカ、マさか、マサか……〝御屋形様〟の写身と邂逅を果たすコトが出来ようトハ……」
春陽さんは、黒猫――シノさんの前で膝まづくと跪座する。そして、両手を床につき、恭しく頭を垂れる。額を床に押し付け、静かな時間が流れる。
『……凛太郎を心配して、顔を出したのが徒となるとは思わなんだ。全くもって不愉快な輩の顔を拝むことになるとはな』
黒猫――シノさんの辛辣な言葉。
春陽さんは顔を上げるが、柔和な笑みに陰りはない。
「はハハッ、写身トハ言え、〝御屋形様〟のお声ハ耳福の極ミだ。お仕えシテいた頃ガつい昨日ノようダ」
「春兄、いったい何を言っているのだ……」
ゆらり、と立ち上がった春陽さん見る六花の顔がみるみるうちに変わっていく。
それは、まるで化け物でも見るような顔だった。
『おのれは、そこの娘に話しておらぬのか。どこまで腐ったのじゃ』
「それハ心外ですヨ、〝御屋形様〟。突然、御身をオ隠しにナリ、我が一族ガどれ程ノ苦汁を舐めたコトか。〝御屋形様〟の威光ガあったからコソ、我が一族ハ繁栄がアッタというのに」
『おのれらが、裏で好き勝手やっていたことは気づいておったのじゃ。何度、戒めたことか。初代は妾を敬い、民を愛しておった。だからこそ、妾も力を貸す気になったのじゃ』
シノさんの心底呆れた様な声。彼女は、ため息をついて、言葉を一旦区切る。
『ほれ、さっさと名乗るのじゃ』
その言葉に、春陽さんの顔から笑みが消える。
鋭利な刃物を思わせる細められた瞳。まっすぐに閉じられた唇。
放たれる異質な気配に、反射的に俺は身構えてしまう。
「こノカラダの持ち主の名は、春陽だっタか。我ガ名は、チカゲ。榊千蔭ダ。元七代目当主だ」
「な、七代目……。扶桑全土に榊の名を知らしめた、伝説の武芸者……」
六花が呆然とした顔で呟く。
俺は、粘つく唾をゴクリと飲み込み、疑問を口にする。
「アンタは……春陽さんの身体を乗っ取ったのか?」
「乗っ取ルなんて、品位ノない事ヲする必要がナイ。このカラダは、捧げられたモノだ」
「捧げ――っ! 春兄は十七代目の当主の座を早々に引退して、某に譲ったのは……」
「気をしっかり持て、リッカ」
膝から崩れ落ちそうになった六花を、テトラが慌てて支える。
状況に理解が追いつかず、フリーズしそうな思考を必死に繋ぎ止める。
シノさんが扶桑の出身で大陸に渡ってきた事は、共同生活の中で俺は確信している。
さっきの六花の言葉から、彼女が十八代目当主ということになり、春陽さんが名乗った榊千蔭は、元七代目当主だったらしい。
扶桑の平均年齢は分からないけど、戦国時代の平均年齢は四十歳くらいだったはず。単純計算で七代目当主は四百年くらい前の人間になる。
降霊術の類で、春陽さんの体に伝説上の人物を宿したのか? いや、そんなことが可能なのだろうか。
以前、テトラが「死人を蘇られる霊薬は存在しない」と断言したが、シノさんは否定していた。それには、全てを理解することが出来れば、死人を蘇らせることも出来るようなニュアンスを含んでいた。
いや、それよりも六花の一族は、御屋形様――シノさんを探すために、扶桑から大陸に渡ってきている様だった。
四百年前から、シノさんを探していたのか?
まとまらない考えに、目眩の様な気持ち悪さを覚え、俺は反射的に口元を手で押さえる。
「リンタロー、そいつの言葉に惑わされない。どこの誰であろうと、そいつは私たちの敵」
揺るぎのない真っ直ぐな瞳と淀みのないテトラの言葉。スッと思考がクリアになっていく。
そうだ。
経緯が何であろうと、目の前にいるのが春陽さんであろうと、この場にいる以上、俺たちの敵以外の何者でもない。
俺は大きく息を吸い、ふぅーと音を立てて吐く。体の内側にある蟠りを体外に吐き出すように。
姿勢を正して、俺は春陽さん――千蔭を睨む。
「こレは、驚いたナ。戦モ知らない子ドモかと思ったガ、良い目ヲする」
『当然じゃ。凛太郎は良き男子じゃからな。しかし、千蔭よ、捧げられたと詭弁で誤魔化すでないのじゃ』
「詭弁ナド不敬なコトを、〝御屋形様〟ガおられる場で行うハズがありマせん。春陽ハ拙者にこのカラダを捧げたのデスよ」
千蔭はそう言うと、わずかに口の端を持ち上げる。
彼から感じる本能的な嫌悪感に、俺は拳を握り込んでしまう。
不意に視線を感じて横を見ると、テトラが俺を見てみていた。
落ち着け、と彼女の瞳が言っていた。
俺は静かに息を吐きながら、汗が滲む拳を開く。
『疾く疾く話すのじゃ。所詮は封魂玉じゃろ』
シノさんの言葉に、千蔭は更に口の端を持ち上げて笑い始めた。




