76.始まりを告げる声
『刻は来た! これは聖戦だ! 正義は僕らにある!』
昼休みまで、あと一コマという時間帯に、学園に響き渡る声。
同時に、あちらこちらから、怒号とも歓声ともとれるような声が上がる。
ヤバい。
俺の本能が、瞬時に危機を感じ取る。
「今の声はルーエル――ロロ様ッ! ルドルフさんの研究室にいきましょう!」
「分かりましたわ。ノンピリと講義室に歩いている状況ではなさそうですわね」
俺の言葉に、ロロ様は瞬時に状況を把握してくれた。今の声は、間違いなくルーエルのもの。だとしたら、貴族至上主義の連中が
ロロ様は、一度うなづくと、無言で勉強道具――テキストや筆記用具――を、俺の方に差し出す。
俺は無言で受け取ると、肩に掛けていたトートバッグにしまい込む。
ロロ様は、俺の様子を確認せずに、スカートを摘むと、そのまま駆け出す。
「ソーマ様、急ぎますわよ」
「は、はい」
返事をしながら、俺はロロ様と並ぶように走る。
彼女の一瞬でトップスピードに達する健脚に、俺は内心焦りながらも、必死に足を動かす。
身長差を考えれば、俺の方が歩幅で有利なはず。なのに、ジリジリと引き離されている感じがする。
「ソーマ様、ルドルフ様のお部屋に最短で向かうと、部活棟を抜ける必要がありますわ」
ロロ様が肩越しに、唐突に俺に声を掛ける。
どういう意味だ? 部活棟って……。
「あ、なるほど。部活棟は、首謀者――貴族至上主義の連中が詰めている可能性が高いですね……」
「そうですわ。多少、遠回りになりますが、ルート変更が必要ですわ」
「そうですね……。となると、中庭を通って――」
「分かりましたわ! 中庭ですわね!」
俺の言葉が終わる前に、ロロ様は走るスピードを落とさず、廊下に飾ってある壷を掴み取る。そして、淀みのない動きで、躊躇なく窓ガラスに壷を叩きつける。
スピード+遠心力がのった壷の威力で、ガシャーン! と音を響かせて、窓ガラスは綺麗に粉砕される。
ロロ様は、ポイッという感じで、用済みになった壷を投げ捨てる。不思議なことに、壷は割れていないどころか、傷一つついてないようだった。
俺が首を傾げていると、ロロ様は、ひょいという感じで、手を使わずに窓枠に飛び乗る。
「ソーマ様、先にいきますわよ」
「え? ちょ、ま、ここ三階――」
俺の言葉が終わる前に、ロロ様は窓の外に跳ぶ。
慌てて窓枠に駆け寄り、俺は身を乗り出してロロ様を確認する。
彼女は両手でスカートを押さえながら落下し、まるで何事もなかったかのように、ふわりと着地する。
そして――
「ソーマ様も早くおいでください」
――と、何事もなかったかのような、満面の笑みで、俺を見上げながら手を振るロロ様。
嘘だろ。三階から飛び降りるなんて、自殺行為だろ。
いやいや、ロロ様って、そういうキャラなの? いやいや、今考えることじゃねー。それより、急いで階段を駆け下り――いやいや、そんな悠長なことをしている時間はないよな。中庭にいる時点で、無防備もいいところだし。でも、三階から飛び降りて、俺は無傷でいられるのか? 運が良くて足首捻挫とか骨折だよな。それでロロ様をルドルフさんの研究室に送り届け――
『主、わたしに任せて! 重力制御で、サポートするヨ!』
突然、脳裏に無機質な声が響く。それは、忠義の腕輪に宿る人工精霊の声だと俺は瞬時に判断する。
同時に、何を意味していいるのか理解する。
人工精霊が何をするつもりなのか、本当に大丈夫なのか、確認する余裕はない。
俺は窓枠に両手をついて、体を持ち上げ、窓枠に立つ。
――任せた!
『任されたヨ! 主!』
人工精霊の返事を聞きながら、俺は外に向かって跳ぶ。
即座に全身を包む浮遊感。
ジワジワと内側から恐怖心が滲み出してくる。
喉の奥から飛び出してきそうな叫び声を、俺は奥歯を噛みしめながら、何とか飲み込む。
『主! 着地の姿勢ヲ!』
――ッ! 分かった!
反射的に返事をしたものの、着地の姿勢って何だよ!
いや、そもそも着地って、どうするんだっけ?
右足を先に地面に着ければいいのか?
いや、両足で地面に着けばいいのか?
意識せずにやっている行動を、意識してやれと言われると、まったくどうしていいのか分からなくなる。
『主、いつも通りでいいヨ!』
――いつも通りって、なにさ!
いつも通りが分からないんだよ!
引き伸ばされた時間で、ゆっくりと近づいてくる地面。
俺は自棄糞な心境で、利き足――左足を少し伸ばす。
すぐに指先から伝わる衝撃。
その衝撃を足のバネで受け止めながら、ワンテンポ遅れて右足に衝撃。
しゃがみ込む様な動きで、足から伝わる衝撃を体で受け止めつつ、両手を地面に付く。
「――ッ、くわぁぁぁ!」
よくわからない声を上げながら、俺は両手で地面を押すようにして立ち上がる。
三階から飛び降りたが、衝撃はだいぶ小さかった。
軽く足首を回したりして調子を確かめるが、捻挫の心配はない。
『主、大丈夫?』
――ああ、問題ない。助かったよ。
人工精霊経由で、疑似魔術を行使した軽い倦怠感と頭痛以外、問題はない。
俺は一呼吸入れてから、ロロ様を見る。
「ロロ様、急ぎましょう!」
「分かりましたわ!」
すぐさま俺たちは駆け出す。
『主! 避けテッ!』
人工精霊の声を理解するより早く、俺はロロ様を抱き上げて、横に跳ぶ。
無理やり進行方向を変えたことで、足の筋肉に痛みが走る。
顔を顰めたまま、前方を睨んでいると、通過するはずだった地面が爆ぜる。
チッ、動きが早い。
舌打ちしながら、抱き上げていたロロ様を下ろす。
「無礼者! 姿を表しなさい!」
ロロ様の鋭い声が響く。
校舎の陰から複数の人影が現れる。
「……大義のため、ご同行を願えますか、ロロ=レヴァール様」
狂気の笑みを顔に貼り付けたラゼルが、そう俺たちに告げた。




