75.波乱の予感④
「久しぶりだね、クォート。挨拶が遅れてしまってすまないね」
いつの間にか近づいてきていたルーエルが、笑顔で話しかけてくる。
前回――ラゼルのときとは違い、ルーエルの周りに取り巻きの姿はない。
少し周囲を確認すると、離れた位置に学生の一団。俺たちに、友好的ではない視線を向けている。ラゼルの姿もあるし、ルーエルの取り巻きたちだろう。
わざわざ取り巻きを離れた位置に待機させて、俺たちに接触してきたのは、何か企んでいるのかな。
「久しいな、ルーエル。王宮で年始の挨拶を交わした以来か」
「そうだね。武芸大会あたりは試験や実習があってバタバタしている上に、家に呼び出されたりしたからね。まったく、母上には常々子離れして欲しいとお願いしているのだけどね」
ルーエルは、肩を窄めながら、「やれやれ」といった様子で首を左右に振る。
その姿を見て、クォートが笑う。
「いくらルーエルが立派だろうが、親からすれば子はいつまでも子だ。そう邪険にするものではないぞ」
「僕が立派? クォートも冗談が好きだね。クォートは副団長で、僕は一介の学生だよ。ただの親の臑齧りで立派には程遠いよ」
ルーエルは笑顔のまま、クォートに返事をする。
彼の柔和な雰囲気は変わらなかったが、俺の背筋をぞわりとした悪寒が走る。
笑っているルーエルの周囲がざわめいている。
物質的なやつじゃなくて、感覚的なやつ。
魔導具が動作しているときや、調合しているときに感じる気配に近い。
「……臆面もなく、ここに顔を出せたわね」
「おやおや、テトラさんは、随分と辛辣なことを言われるのですね。僕は何かを気に障ることでもしたかな?」
「決闘の件、忘れたと言わせないわよ」
淡々と言葉を連ねるテトラに対して、ルーエルは笑みを崩さずに肩を竦めてみせる。
誰が見ても、ルーエルがテトラを意に介していないことが分かる。
テトラも表情は変化がないが、じわりじわりと彼女から圧が増していく。
「決闘は、ラゼルくんがやったことで、僕は場を収めただけだよ。決闘自体も無効だったみたいだし、言い掛かりは止めてほしいな」
「貴方か裏で糸を引いているのでしょう」
「勘違いも甚だしいよ、テトラさん。僕はラゼルくんに何かを望んだりしていないよ。彼が勝手にやってしまったこと。まあ、僕に人望がなかった結果、引き起こされたと言うのであれば、僕にも責任があるかな」
ルーエルは悪びれた様子も見せず、テトラを見据える。
まともな生徒なら、裸足で逃げ出すに違いない、濃密な空間。俺も逃げ出したい気分でいっぱいいっぱいだ。
「ハッハッハ! ふたりとも、飯時に剣呑な空気をばらまくでない! せっかくの旨い飯が不味くなるではないか!」
明るいクォートの声が、胃が痛くなりそうな場の空気を吹き飛ばす。
クォートは、リズが運んできた厚切りステーキを、豪快に切り分けて口に運ぶ。モグモグと美味しそうに咀嚼すると、ゴクリと飲み込み一息つく。
その間、俺たちはクォートを見守ることしか出来なかった。
カリスマの一種なのかな。
「事の経緯は、我輩も聞いている。決闘は行われたが、成立はしなかった、ようだな。しかし、決闘が途中で有耶無耶になることは、まれにあることだ。妹のように、神経質に騒ぎ立てることではない。だが――」
クォートが言葉を区切り、一息入れる。
そして、ルーエルに射抜くような視線を向ける。
「昔なじみとはいえ、道を外れるような事をすれば、容赦はしないぞ」
「……ははは、突然、何を言い出すんだ。僕が道を外れるような愚かな行為をすると思う?」
ルーエルの軽口に、クォートは口を噤んだままで、鋭い視線は変わらない。
貴族至上主義を掲げていそうなルーエルに、クォートも思うことがあるのだろう。
態度の変わらないクォートに、ルーエルは嘆息しながら肩を窄める。
「さて、僕はそろそろ失礼させてもらうかな」
そう告げると、ルーエルはさっさと取り巻きたちが待っている方に歩いていく。
緊迫していた空気が和らいでいき、俺は安堵のため息をつく。
「面倒なことにならなければいいのですが……」
ポツリとリズが小さく呟く。
いつもと調子の違うリズの声音に、俺は一抹の不安を覚えるのだった。




