74.状況確認
『随分と面白いことになっておるようじゃな』
「……お恥ずかしい限りです」
テーブルの上で毛づくろいする黒猫に、ルドルフさんが深々と頭を下げる。
厳粛そうな顔のルドルフさんが、猫に謝罪している姿はかなりシュール。
だけど、黒猫は使い魔で、中身は錬金術師シノ=アキツシマ。つまりルドルフさんの師匠なので、恭しく対応するのは仕方がない。
「で、師は状況をどの程度、把握しておられる?」
頭を上げたルドルフさんが、鋭い視線を黒猫に向けながら尋ねる。
ルドルフさんからは、普通の猫ならば逃げ出してしまいそう威圧感が放たれていた。黒猫は涼し気な顔をして、座り直してルドルフさんと向き合う。
『おおよその状況を把握しておるのじゃ。ただし――』
「手助けは出来ぬ、と言われるのですね」
『うむ、その通りじゃ」
ルドルフさんの反応に、黒猫はどこか満足そうに一鳴きする。その姿に彼はため息をつきながら、オールバックに整えた髪を右手で掻く。
「シノさん、いまいち状況が掴めないんだけど……」
俺は恐る恐る手を上げながら、黒猫――シノさんに尋ねる。
黒猫は、ペロペロと指先を舐めていだが、俺の方に向き直ると香箱座りをする。
『凛太郎は世俗に疎い故、ちと話しておくとするかの。と言っても大した話ではないのじゃ。平和な世が続けば不穏なことを考える輩が出てくるのは自然の摂理じゃからな。今回の輩どもは、実にくだらんのじゃ』
シノさんの感情に合わせたのか、黒猫は欠伸をする。
「師よ、笑える状況では無いのですが……」
『汝が本気を出せば、ある程度は片がつく話なのじゃ』
「無茶を言わんでください。それをして割が合う結果にならぬことを師も察しておられるでしょう」
ルドルフさんがため息をつくが、猫は素知らぬ顔をしたままだった。
『簡単に言うと貴族至上主義じゃな。レヴァール王国貴族であらぬ者はヒトであらぬ、と言ったところじゃな。それ以外にもきな臭い輩が潜んでおるようじゃがな』
「――ッ! 師よ! そのような情報は、私に伝えてくださいとあれほどお願いしたではないですか!」
ルドルフさんが声を荒らげて、黒猫の方に身を乗り出す。
『なんじゃ、汝は気づいておらぬのか。情けない弟子じゃな』
「……めんぼくない」
心底呆れたようなシノさんの声音に、ルドルフさんは辛うじて声を出すと項垂れてしまう。それほど、シノさんの反応が良くなかったのだろう。
『裏に見え隠れしておるのは、〝短耳至上主義〟の連中じゃ』
「短耳至上主義? 貴族じゃなくて?」
俺は思わず首を傾げてしまう。
短耳ってことは、普通の人族のことだよな。
「……師よ、それは本当ですか?」
『然り』
次の瞬間、ルドルフさんから放たれる硬質な気配。
同時に黒猫が身構え、俺は全身に鳥肌が立つ。
『これこれ、気を静めるのじゃ。使い魔の制御が難しくなるではないか』
「私としたことが……』
ルドルフさんは「フゥー」と静かに長く息を吐く。
それに合わせて、部屋を支配していた異質な気配が薄れて消えていく。
『王家に恩義を感じておるのは美徳だが、瞬間的に怒るのは、なんとかせぬか』
「すみませぬ」
黒猫に頭を垂れるルドルフさんの姿に、俺はホッと胸を撫で下ろす。
さっきのルドルフさんは、魔狼と対峙したときのような威圧感があった。テトラやクォートが放つ威圧感とはまったく違っていた。
学園長を任されるだけあって、ルドルフさんも実力者なんだろう。
俺は小さく深呼吸して、気を落ち着かせてから、シノさんに尋ねる。
「シノさん、短耳って普通の人たちだよね。それが何か問題なの?」
『簡単なことじゃよな、ルドルフ』
「ソーマよ、レヴァール王国を建国したのは長耳族の血を引く者だ。つまり、短耳至上主義というのは、王家を転覆を考えている畜生にも劣る存在だ」
ルドルフさんから、じわりと滲み出してくる気配が、俺の肌をチリチリと刺激する。
いつも冷製で淡々としているルドルフさんが、感情を顕にするなんて、短耳至上主義ってのは、かなりヤバい存在なのかな。
いや、国家転覆が目的だからヤバくて当然か。
『先の大飢饉のときに、完膚無きまでに叩き潰してやったというのに、しぶとい連中じゃ。油虫のように一匹逃したらウン十匹に増殖する厄介な輩じゃ』
「飢饉のときって、そんな活動する余裕なんてないんじゃないの?」
「違うぞ、ソーマ。そんなときだからこそ、活動を強めるのだ。民主の不満の矛先を御しやすいからな」
『飢饉自体も連中の自作自演だったというオチ付きじゃ。まったく救えぬ輩ばかりで、さすがの妾も精根尽き果てたのじゃ』
肩を窄める代わりに、黒猫が大きなあくびをする。
『して、この後は、どうするつもりじゃ?』
「……何をやるにしても時間が足りませんな。タイミングが悪すぎる」
「タイミングって、何か学園行事でもあるんですか?」
俺の指摘に、一瞬「しまった」と言いたげな顔をするルドルフさん。少し考える素振りしてから、彼は口を開く。
「ソーマが初めて学園に訪れた際に、王家の者が学園に通うことになると、少し話したと思う。それが正式に決定し、近日中に第三王女、ロロ様が通われる」
『結局、断りきれなかったのじゃな、不甲斐ないやつじゃな』
「師よ、学園は王国が運営しているのです。王家の決定を、学園長ごとき覆すことが出来るわけないでしょう」
「今、学園内の治安が悪いから、延期してもらえばいいんじゃないですか?」
俺の提案に、黒猫は鼻を鳴らし、ルドルフさんはため息をつく。
至極真っ当な提案だったのに、反応がヒドくない?
アホの子を憐れむ様な空気を二人から感じる。
「そんな的はずれな話じゃないですよね? 安全の確保が出来てから学園に通うって。クォートも学園の治安を良くするために、通うことになったんですよね」
「ソーマよ、性質の違う話になる。クォート様のお陰で、腐った貴族の子息・息女たちをけん制することは出来た。だが――」
『ここで決定を覆せば、短耳至上主義に屈服したと喧伝しまくるじゃろうな』
黒猫が興味なさそうに、あくびをする。
俺の視線に気づいて、ルドルフさんは静かに頷く。
「先の件――武芸大会――の処分で、注意が薄れているところを狙われた。私の失態です」
『まあ、気に病むでないのじゃ。他にも何か潜んでいるような気配があるのじゃ』
「師よ、情報は隠さ――」
『まだ確信が持てぬ情報じゃ。まずは短耳至上主義にどう対処するのか決めるのじゃ』
そう言うと、黒猫は起き上がると、スルリと部屋を出て行った。
抽象的な表現ではなく、黒猫が壁抜けして部屋を出ていった。
「この部屋の防御は完璧と自負していたが、師にかかれば……」
ふう、とため息をつくと、ルドルフさんは表情を引き締める。
「忙しくなる。すまんが、ソーマにも協力してもらうことになる」
「分かりました」
俺は返事をして、気合を入れ直すのだった。




