73.医務室にて
「……こ、ここは」
「医務室だよ」
聞こえてきたヴェムの呟きに、俺は反射的に答える。
医務室には、俺以外の姿はない。
担当の教師は所用で不在で、六花は烏兎の手伝いで、テトラはクォートを探しに行った。
俺は椅子から腰を上げると、ヴェムの横たわるベッドに歩み寄る。
彼は、焦点のまだ合わない眼で、天井を眺めていた。
俺の気配に気づいた彼は、ゆっくりと俺に視線を向ける。
「て、テメーは……。ああ、そうか。オレは負けたのか……」
「どうだろう。途中で横やりが入ったし」
ラゼルが魔導具で攻撃してきて、六花が決闘用の結界をぶっ壊したから、決闘自体が無効になったからな。
テトラはだいぶ不満そうだったけど、アイツ――ルーエルに上手くかわされた。
あの得体の知れない気配。いったい、何者なのだろう。
「ってて、他の連中は」
「気を失っていたんだし、まだ横になっていた方がいいよ」
「この程度、回復の刻印を活性化させれば――」
ブゥゥゥン、という肌越しに伝わってくる音。ヴェムの体に淡い燐光を放つ幾何学模様が浮かび上がる。
切り傷や内出血で色が変わっていた箇所もみるみるうちに治っていく。
(やっぱり魔術はスゲーなぁ)
――主、刻印は止めた方が良いカモ。
(なんで? 刻印って、魔術の詠唱を刻印に肩代わりさせて、魔術を発動させるんじゃないの?)
――主のいう通りだけど、人体に刻印するのは良くないヨ。ヒトの体は日々変化するカラ。正確なカタチを刻んでも少しずつ歪んでしまう。その人は影響ヲ減らすために、精神体に刻印してルみたい。
(精神体に刻印しているなら、歪みとか出ないんじゃないの?)
――体よりは歪まない。でも、体以上に歪む。ヒトの精神は、カタチがあってないから。刻印されたことで精神が歪む危険もあるヨ。
人工精霊の解説に、俺は妙に納得してしまう。
ヴェムが精神的に安定していないように感じたからだ。精神体に刻印を施したため、何かしらの影響を受けているのだろう。
俺が考察していると、ヴェムはベッドから足を下ろし、ベッドに腰かけたような体勢になる。
決闘時の狂気を帯びた覇気は影を潜め、逆立っていた紫色の髪も下りている。神の隙間から覗く琥珀色の瞳は、静かな光を湛え、知性を感じさせる。
先ほどまで――決闘時の姿を知らなければ、ちょっと奇抜な格好をしたクール系優等生といった見た目だ。
クソッ、どいつもこいつもイケメンばかりで、ズルくないか。
「……決闘はどうなった? テメーにトドメを指される直前までしか覚えていねぇ」
「ラゼルが乱入して、六花が結界を解除して、無効、かな」
「ハァ? ラゼル、約束破りやがって」
ぶわっ、とヴェムの体から狂気まじりの闘志気が吹き上がる。
「や、約束って?」
「タイマンに手を出さねぇ、って最初に話をつけていたんだよ。タイマンに手を出されるなんてダセェだろ」
パン! と顔の前で右拳を左手に打ち付けながら、声を荒げるヴェム。
やっぱりラゼルの攻撃は、ヴェムの想定外か。あの時のヴェムの反応を見れば、当たり前か。
俺は疑問をヴェムに投げ掛ける。
「そもそも、何故、俺と決闘なんてしようと思ったんだ?」
「いまさら何をほざいてんだ? テメーは。武芸大会の優勝チームで、ラゼルの面目丸潰ししただろーがよ」
「いやいや、ラゼルをぶっ飛ばしたのは、俺じゃなくてナリーサさんだよ」
ヴェムの言葉に、俺は慌てて否定する。
ラゼルが使っていた魔導具を、人工精霊のサポートもあって、無力化した。
その結果、ナリーサさんが、ラゼルに引導を渡したわけだから、俺がラゼルに直接ダメージを与えたわけじゃない、と思う。
俺の反論に、ラゼルが不機嫌そうに柳眉を寄せていた。
苛立っているのが、誰でも分かる表情に、俺は少し身を引いてしまう。
「と、とにかく、俺はノータッチではないけど、直接的に何かをしてないから!」
「テメーが喚こうが、周りの認識はかわらねーよ」
ギロリ、とヴェムが睨み付けてくる。
やっぱり武芸大会の影響は大きいのかな。
そんなことを考えつつ、俺は本題に入る。
「ラゼルが使ってきた魔導具って、どこで手に入れたものなんだ?」
「ああ? そんなことオレが知るわけねぇーだろ。オレはラゼルに、テメーをぶち殺せってしか言われてねーよ」
ヴェムが吐き捨てるように言う。当たり前だけど、嘘をついているようには見えない。
あと、聞くことがあるとすれば――
「ルーエルって、どんなやつなんだ?」
俺の言葉に苦虫を噛み潰したよう顔になるヴェム。一呼吸置いてから、彼は口を開く。
「品行方正な学園生で宰相の子息。教師たちの受けも良く、一部で熱狂的な信者みたいな学園生もいる。カリスマ性抜群の――」
ヴェムは一旦、言葉を区切る。
「――糞野郎だ」




