72.中庭でエンカウント④
「おやおや、何をそんなに驚かれているのか」
六花が口元に笑みを滲ませながら、肩を窄めてみせる。
彼女がラゼルを挑発していることは、誰の目にも明らかだった。
ラゼルを見ると、額に青筋を浮かべていた。
「な、何故、極東の土人ごときが、俺様の結界を、解除を解除出来るんだ」
「解除? はてはて何か勘違いをされているようですね」
六花は刀を顔の高さまで持ち上げると、水平にする。そして、鍔の方から剣先に、左人指し指を滑らせる。
俺の目には、指の動きに合わせて、刀身が淡い光に包まれていくのが見えた。
「ちょいと細工をされておられるようだが、某が國の魔術式を分からないとお思いで? 使い古された魔術式など解除する価値もござらん。切り捨てるくらいでちょうど良い」
不適な笑みを浮かべたまま、六花はカタナを振るって納刀する。
カタナを包んでいた燐光が四散し、空気に溶ける。
ラゼルの顔がどんどん赤みを増していく。ギリギリと今にも噛みついてきそうな形相に変わっていく。
「貴様ら……全員ぶちこ――」
「ラゼルくん、お戯れがすぎますよ」
突然、場違いなほど穏やかな少年の声が響く。それは、校門付近で演説していた男子生徒だった。
彼は、柔和な笑みを湛えながら、ラゼルの肩をぽんぽん、と叩く。
次の瞬間、ラゼルの顔がみるみる青ざめる。
「ボ、ボリック様ッ!」
「ラゼルくん、僕とキミの仲だろう。ルーエルと呼んでくれて構わないと言っているだろ」
「め、滅相もございません! そんな恐れ多いことなどッ!」
ラゼルは顔を青ざめさせたまま、地面に叩きつける勢いで、頭を下げる。
他人を見下すような態度を崩さなかったラゼルが、小間使いの様な媚び諂う姿に、俺もテトラも驚いてしまう。
呆然としている俺たちをよそに、男子生徒――ルーエルはラゼルに手を差し伸べ、顔を上げさせる。
「うーん、魔導具は、ラゼルくんが用意してくれていたものだから、僕がとやかく言う権利はないのだけど」
ルーエルは、一旦言葉を区切る。彼は笑みを崩さず、ラゼルを見る。
ブワッ、とラゼルの顔から見てとれるほど、大量の汗が吹き出す。
「使う場所は考えないといけないよ。一度も扱ったことがない魔導具は怖いから、今回は目を瞑るけどね」
「す、すみませんでしたッ!」
再び勢いよく頭を垂れたラゼルに、ルーエルは眉値を寄せながら笑う。
教室の一角で繰り広げられているようなやり取りに、俺は違和感を覚えてしまう。
俺が警戒心を強めながら、体勢を整えていると、テトラが二人に近づく。
「……貴方はラフト宰相のご子息?」
「はい、そうですよ、テトラさん。辺境に跋扈する魔物から、国土を守っていただいているリリーシェル家の皆様には、感謝の念しかありません。常々、テトラさんとお話ししたいと思っていたのですが、なかなかチャンスに恵まれなくて。今日、お顔合わせ出来たことを心より嬉しく思います。これは機会を与えてくれたラゼルくんに感謝しないといけないですね」
「め、滅相もございません……」
「何を企んでいるの?」
テトラは冷たい表情で、淡々と尋ねる。
あまりにも単刀直入な物言いに、俺ばかりかラゼルの表情も強ばる。
ルーエルは、笑みを崩さず、肩を竦めてみせる。
「テトラさんが何故そんなことを僕に尋ねたのか皆目見当もつかないのだけど」
「今朝、不穏なことを叫んでいる姿を見かけたわよ」
テトラの言葉にルーエルは「やれやれ」といった感じて、顔を振る。
「資源というものには、限りがあるだろう。ヒト、モノ、カネ、と色々あるけれど、とりわけ時間は限りなあると思わないかい。ああ、長耳族は一緒にしないでくれよ。僕たち短耳族に比べて十倍は時間があるからね」
「……それで?」
「おやおや、リリーシェル家のご息女とは思えない反応だなぁ。リリーシェル家お抱えの騎士団があるだろう。魔物と戦う……いや、狩る騎士を一人育てるのに、どれくらい時間が必要かな。勿論、育てるためにお金とか色々な資源が必要になるけど、それ以上に時間が大切になってくるだろう」
腕を広げながら、語るルーエル。どこか芝居かかった動きに、俺とテトラは眉を顰めるが、ラゼルやその取り巻きは熱を帯びた視線で彼を見ていた。
「有限の時間という資源。優秀な人材でも時間を有効に活用できなかったのならば、凡人に成り下がってしまう。時間に限りがある以上、優秀な人材に全ての資源をあてがうのが、あるべき姿だよ」
「それならば、どれ程の資源が某に割り当てられるのですか? 某、編入時に優秀だとお墨付きをいただいております」
ルーエルの呼吸の間を狙って、六花が声をかける。
次の瞬間、ぞわっとした悪寒が俺の背筋を駆け上る。
ルーエルの柔和な笑みに変化はない。それなのに、反射的に目を背けたくなる圧があった。
「ハハハッ、ずいぶんと面白いことを口にするね。扶桑から留学しているリカくんだったかな。冗談のセンスは、まあまあのようだね。堅物が多い扶桑の民にしては珍しいね」
「冗談ではござらん。某は投資先としては十分に価値があるぞ」
六花の言葉に、スッとルーエルの目が細くなる。一転して、場の空気が静まり返ったと錯覚してまう。
「困ったね、言葉が通じない相手は。僕は、会話が出来ない相手は苦手なんだよね。リカくんは、レヴァール王国にいつまでいるつもり?」
「某、特に期間は決めておりませぬが――」
「でも、国から帰国命令があれば帰国するんだろう。扶桑の民の特徴の一つだよね」
六花の言葉をルーエルが遮る。
「せめて壮年になるまで王国に残るなら、検討の余地はあるけれど、すぐ帰ってこいって言われて素直に帰る、全くもって人材としての魅力はないよね」
ニッコリと微笑むルーエルから、何も言い返させない圧力があった。
六花は何か言い返そうとしたが、下唇を咬みながら言葉を飲み込む。
ルーエルは、演技くさい動きで、ため息をつきながら、周囲を見渡す。
ラゼルや、その取り巻きは即姿勢を正す。
「ここに長居しても無意味だし、そろそろお暇しようか」
「……ラゼルが挑んだ決闘の落とし前をどうするつもりですか?」
テトラの指摘に、ルーエル肩を窄める。
「決闘? 決闘用の結界はどこにあるのかな。決闘用の結界は、勝敗が着くまで解除されないだろ。決着が着けば、結界は解除されるけど、勝敗を天に映し出すよね。それがないってことは、決闘はなかったんだよ」
ルーエルは、そう告げると一礼して踵を返す。ラゼルたちも慌てて彼の後を追う。
「チッ、うまくかわされたわ……」
「なかなか出来る御仁ね。隙がありそうでなかったわ」
神妙な面持ちで呟くテトラと六花。
確かにルーエルは、得体のしれない何かがあった。
俺は一息ついてから、直近のやることを提案する。
「とりあえず、ヴェムを救護室に連れていかないか?」
俺の提案は満場一致で受け入れられた。
厄介ごとが起きそうな気配に、俺はため息をつくしかない。
あとでシノさんかルドルフさんに相談しておこう。
ヴェムを担ぎながら、俺はそう心に決めるのだった。




