71.日常の始まり?②
「ふぅー、疲れた……」
俺はルドルフさんの研究室で、大きなため息をつく。
学園から国外の生徒を排斥を主張する朝の一団の影響が、早くも学園内に表れていた。
賛同している生徒が威圧的な態度で学園を闊歩し、それ以外の大半の生徒はビクビクとしている。
もちろん、俺もビクビクしている生徒のグループだ。
俺は異世界人とはいえ、見た目は扶桑の民だからな。
不意に視界の端に動くものが映る。
視線を動かすとリズによく似たイケメン執事ラズが、俺の目の前にティーカップを音を立てずに差し出してきた
「リンタロー様、お茶をどうぞ。心労を和らげる効果があるハーブを混ぜております」
「あ、ああ、ありがとう」
女子生徒を一瞬で轟沈させそうな微笑を讃えた彼が、苛烈な激情家だと言うことを、俺は忘れていない。
つーか、殺されかけたことを簡単に忘れることが出来るやつなんていないと思う。
だけど、ラズの状況に同情してしまった俺は、彼を心の底から恨むことが出来ない。完全にお人好しで、元の世界の平和ボケを引きずっていると自認はしてる。
「何かご用があれば、なんなりとお申し付けください。テトラ様より言い付かっております」
「……確認だけど、テトラはどんな風に、ラズに言い付けているの?」
俺は、彼の返事を待ちながら、お茶を一口啜る。口内に広がる温かさと、優しい香りが鼻腔を抜けていく。
思わず、「ふぅ」と息がこぼれてしまう。
俺が一息つくのを待っていたのか、彼は柔らかな笑み浮かべたまま、口を開く。
「見敵必殺でございます」
「――ッ! ケボッ! ゲホッ!」
「リンタロー様、大丈夫ですか?」
咳き込む俺の背を優しく擦るラズ。
献身的な態度は、俺が女だったなら即惚れていたかもしれない。
咳が収まり、俺は手でラズを制す。彼はすぐに元の体勢――直立不動の姿勢で俺の傍らに控える。
「いささか過激すぎない?」
「リンタロー様、ご冗談を。リリーシェル家に牙を向いた者の末路としては、妥当でございます。まあ、リズに任せれば、死ぬ方が救いがある結果になりますが」
ラズが小さく含み笑いをこぼす。
その瞬間、俺はスーッと血の気が引いていく音を聞いた気がした。
リズならば、ありとあらゆる拷問を躊躇せず、嬉々として行うという確信が俺の中にある。
俺はもう一口お茶を飲み、気を落ち着ける。
「でも、今回の騒動の一因は、俺にもあるんだろうな……」
「何故、その様に考えておられるのですか?」
「だって、武芸大会のチーム戦で、ラゼル……貴族のチームを倒しちゃっただろ。貴族の面目を潰しただろ」
「リンタロー様。それは誤りでございます。チーム戦で負けていれば、リリーシェル家に泥を塗るところでした。武勲に優れたリリーシェル家など恐るに足らず、と増長する貴族が増えるだけでございますよ」
ラズは躊躇せずに、貴族をバカと言い切った。
確かに負けていれば、リリーシェル家に迷惑かけただろうな。それよりもナリーサさんも大変な目に遭っていたかもしれない。
武芸大会は、あれがベターな結果と納得しておくべきか。
「でも、もう少し穏便に――」
「くだらん。ソーマが気に病む必要は全くない」
突然、部屋に響き渡るルドルフさんの声。
顔を向けると、少し疲れた雰囲気を漂わせる学園長スタイルのルドルフさんが立っていた。
彼は絢爛豪華なローブを、乱雑に脱ぎ捨てながら、いつも座っている安物のデスクの椅子にドカリと腰を下ろす。
ルドルフさんが、疲労が溶け出したような息を吐くと、間髪いれずにラズがティーカップを差し出す。
一言礼を口にしてから、ルドルフさんはお茶を飲む。
幾分か顔色が良くなったルドルフさんは、俺の方を見ながら、口を開く。
「ソーマ、武芸大会は、実力が優る者が勝者となるだけだ。それが純粋な武でも策でも構わん。どんなカタチでも勝ちは勝ちなのだ。ソーマは、理想の勝利でなければ、納得できない質か?」
ルドルフさんは、値踏みする様な視線を俺に向けてくる。
握りしめた俺の手にはジットリと汗が滲む。俺は喉の渇きを覚えて唾を飲む。
「可能であれば、自分が納得が出来る勝利を、手にしたいです」
「青臭いな……」
淡々とした口調で、ルドルフさんが告げる。ドッと脂汗が出てくる俺を眺めながら、ルドルフさんは「フッ」と口元で笑う。
「だが、悪くはない。それもまた真理となりえる」
ルドルフさんの反応に、俺はホッと胸を撫で下ろす。彼は少し間をおいてから、表情を引き締める。
「しかし、勝つことは容易ではない。勝つために、ありとあらゆる手段を用いる者もいる。それ程までに、勝利というものは甘美であり、刺激的なものだ。特に貴族の連中は、勝ちに飢えている。美談に勝ちを譲る話はあるが、相手を見誤ると全てを奪われるぞ」
「……分かりました」
「ま、ソーマは、そんな愚行をすることはないと思うが、経験者からの助言だ。ゆめゆめ忘れることがないようにな」
ルドルフさんは、どこか哀愁を漂わせながら、デスクに向き直る。
俺は、それ以上、何かを訊ねることは出来ず、ラズの淹れてくれたお茶と、添えられた茶菓子で、静かな時間を過ごすのだった。




