70.日常と非日常の狭間
「俗物どもが。この俺様を煩わせやがって」
窓を締め切り、外の明かりが入ってこない自室で、ラゼルは呟く。
彼は苛立ちを表すようにカツカツと音を響かせながら部屋を歩き回る。
使用人たちは全員部屋の外に待機させているため、ラゼルの足音だけが部屋に響く。
「武芸大会では、チーム戦で俺様が、個人戦でも手を回したやつが上位を占めるはずだったんだぞ。クソが……」
ラゼルは親指の爪を噛みながら、ブツブツと呟き、空いた手で頭を掻き毟る。
止まらない呟きは呪詛の様に続き、負の感情に染まった彼の瞳は濁り、幽鬼を彷彿させた。
どれくらい時間がたっただろうか。
ふとラゼルは立ち止まると、ゆらゆらと灯りの揺れるランプを見つめる。
彼は眉値を寄せる。
「安物……火魔術の魔導具が何故ある。光魔術の魔導具で揃えろ、と言ってたはずだ……」
ラゼルは当時の記憶を探り、首を傾げる。
そもそも、この部屋で生活を始めたのは昨日今日の話ではない。
さらに魔導具なんて、毎日使うような物を見落とすことがあるのだろうか?
「邪魔スルヨ」
抑揚に欠けた、男性の声が部屋に響く。
ラゼルは驚いた様子も見せず、ゆっくりと後ろを振り向く。
そこには真っ黒な人影があった。
部屋の明かりが足りていないのか、黒い外套とフードを身に付けていることはわかるが、顔は全く見えない。辛うじて声から男性という事が分かる。
男は壁に写った影のような、生物としてはあまりにも稀薄な存在感を漂わせる。
「……なんだ、貴様か」
常人なら驚いているはずなのに、ラゼルは胡散臭いものでも見るような視線を向けながら、人影に向き直る。
「首尾は、ドウカネ?」
「俺様を誰だと思っているんだ? 浅慮で低俗な連中を扇動することなど、手間にもならん」
「オオー、それはそれは失礼シタ」
人影――男が驚いた声をあげるが、棒読みの様な口調は、それが本心と受け取りがたい。
ラゼルは、ふんと鼻をならしながら、男を見下すように眺める。
「しかし、問題は無いノカネ?」
「問題? 何故そんなものがあると思う。そもそも学園に他国の者がいることが問題なんだよ。特に極東の土人が大手を振って歩いていることは、断じて許されない」
ギリギリと奥歯を噛みしめるラゼル。
彼の全身から放たれる怒りの気配に、男は小さく笑う。
「さすが良い覇気ヲ放つネ。私モ手伝い甲斐がアルヨ」
「貴様が献上した品々は、なかなか使えそうだぞ。ことが済んだ後、貴様の名前は頭の片隅に記憶しておいてもよい程度にな」
「これはこれは、ありがたきお言葉ダ。そのお言葉ガ現実となるように、いっそうの精進ヲセネバ」
男は仰々しく頭を垂れながら述べる。
白々しい動きだったが、ラゼルの虚栄心を喜ばせるには十分だった。
彼は幾分か気分が良くなったのか、品の無い笑みを浮かべながら、男に訊ねる。
「あれほどの品――魔導具を献上して、後悔は無いのか?」
「貴方様ノ役に立つのであれば本望ダヨ。それに魔導具は、大陸で定めた等級でB以上と聞いたガ、私の仲間内ではガラクタ扱いなのダヨ。回数制限付きの玩具では、魂は宿らない、と言うノダヨ」
男は「やれやれ」と言うように、肩を窄めて頭を左右に振る。
いくら使用回数に制限があるとはいえ、B等級相当の魔導具をガラクタと表現する仲間がいることに、ラゼルは憐れみの視線を男に向ける。
きっちりと使い所を間違わなければ、使用回数に制限があろうとも関係ないとラゼルは考えたからだ。
「俺様が有効的に魔導具は使ってやる。またとない叡智に触れる機会になるだろう」
「実に実に素晴らしい。刮目してその瞬間を見逃さぬように心がけるといたすとシヨウ」
ラゼルは大声をあげて笑う。
これだ。これこそが、俺様に向けられる言葉だ。
口の端を持ち上げ、醜く笑う。
その姿から、彼の虚栄心を読み取るのは、誰でも出来ただろう。
男はラゼルを見ながら、小バカにしたように鼻先で笑う。
当然、それにラゼルが気づくことはない。
「精々、私のために道化を演じてくれヨ」
そう呟くと同時に、男の姿は部屋から掻き消えるのだった。




