69.日常の隅で生まれた小波
「リンタロー! 学園に行くよ!」
朝食の支度をしていたら、テトラがダイニングに飛び込んできた。
学園の寮から走ってきたのか、テトラの息は少し弾んでいた。
「テトラ……朝から、騒がしい、のじゃ……」
テーブルに伏したまま、シノさんが抗議の声をもらす。
「お師様、また徹夜明けですか?」
「世界の、深淵に触れる……には、ヒトの……営みの気配が、薄い方が……良いのじゃ……」
シノさんは、机に伏したまま、テトラに問いに答える。
肩を窄めるテトラに、俺は声をかける。
「テトラ、朝御飯は食べる?」
「食べる! リンタローの朝ごはんは美味しいから!」
「……少し、声の音量を……下げる、のじゃ……」
テトラの元気すぎる返事に、シノさんが頭の狐耳を両手で押さえる。
俺は苦笑しながら、さっさと朝ごはんの支度を進める。
朝ごはんは、豆腐と根野菜の味噌汁、塩漬けにした白身魚の焼き魚、厚焼き玉子という定番メニュー。
納豆とか梅干しとか欲しいところではあるものの、市場で見かけたことはない。
烏兎の春陽さんに頼めば、手に入らないかな。
そんなことを考えながら、手早く料理をテーブルに並べていく。
席に座ったテトラは手を組んで、目を輝かせて料理を見つめる。
烏兎で提供される扶桑料理にくらべて、かなり家庭的な料理なので、テトラのキラキラした表情が、ちょっとプレッシャー。
ま、テトラは何でも美味しく食べてくれると思うんだけど……。
「はい、どうぞ。ご飯と味噌汁はお代わりがあるよ」
「うむ、リンタローの朝餉は、目が覚めるのじゃ」
「リンタローのご飯!」
三人で合掌をして、朝食が始まる。
と言っても、テトラとシノさんが落ち着くまで、俺は二人のお代わり対応に専念するしかないんだけどね。
テトラとシノさんが、三回くらいお代わりをして、食事ペースが落ち着く。
俺はホッと胸を撫で下ろし、少し冷めた味噌汁を一口啜る。
うん、程よい塩加減だ。
「で、テトラは何しに来たんだ? 学園に行こうとか言ってたけど」
「そう。リンタロー、学園に行こう」
「え? なんで? しばらくクォートは学園に顔出せないって聞いているんだけど」
俺の言葉を聞いた瞬間、テトラは柳眉を寄せて、頬を膨らませる。
「お兄様は関係ない! 私と学園に行こう!」
「え? でも、テトラと俺は学科が違――」
「もー! それでも行くの!」
不機嫌オーラ全開のテトラ。
クォートがいないと、貴族様にうざ絡みされるし、リズとラズのフォローが期待できないし、かなり身の危険を感じるんだけど。
ジト目で俺を睨み続けるテトラ。
物理的な圧力を感じて、俺はジリジリと身を引いてしまう。
「えーっと、ほら、俺が一人で学園にいると色々と――」
「凛太郎、行ってやるのじゃ。無粋に断るのは、良き男子がやることではないのじゃ」
スズーッと味噌汁を啜りながら、シノさんが口を挟んでくる。
俺は「ぐぬぬっ」と唸ってしまう。
シノさんに世話になっているし、無下に断るわけにはいかない。
でも、俺一人で学園に行くのは、かなりリスキーなんだよな。
「妾が魔導具を準備してやるのじゃ。ルドルフに使い魔を用意させるのじゃ。妾の使い魔を融通してもよいのじゃが、学園は色々な結界を張っておるので、熟知しているルドルフの使い魔がよいじゃろう」
「お、お師様……」
シノさんの言葉に、テトラは感極まった様な顔で、彼女を見つめる。
ここで固執して断るのは、良くない気がする。
シノさんが魔導具を用意してくれて、ルドルフさんの使い魔まで準備して貰えるなら、多少のことがあっても大丈夫、かな。
「……わかったよ、今日は学園に行くよ」
「ッ! やった! さすがリンタロー!」
満面の笑顔で、声をあげるテトラ。
俺は反射的に頬が弛んでしまうのだった。
※※※※※
「……工房に帰ろうかな」
二限目の講義が終わり、俺は教室の最前席、教壇の真ん前で、思わずポツリと呟いてしまう。
いつもなら講義室の後ろの方に座るのだけど、貴族様たちの視線を避けるために最前席に座ってしまった。
一応、後ろに行くほど偉い貴族が座るなんてルールはないのだけど、暗黙の了解みたいなものがある。
つまりクォートがいないと、俺は後ろの席に心穏やかに座れないってわけだ。
「各学科で共通の講義を選んでも、肝心のテトラが別の講義とかとついてないなー」
ぶっちゃけてしまうと、こっちの文字について半分くらいしか理解していないので、俺ひとりだと、読めない文字があるから教科書が虫食い状態で、理解が出来ないんだよな。
はぁ、とため息をつきながら、何気なく通路の方を見ると、高い位置で結んだポニーテールを揺らしながら歩く六花の姿があった。
地獄で仏ではないが、俺はそそくさと席を立つと六花に駆け寄る。
「りっ……か……」
六花に声をかけようとした瞬間、ブワッと汗が噴き出す。
俺の気配に気づいた六花が、足を止めて俺の方を向く。
六花は、鋭く細めた眼光だけでなく、全身から抜き身の刃物のような空気を放っていた。
「ああ、凛太郎か」
「何かあったの? なんというか……」
俺は言葉を濁す。
扶桑の民ということで、貴族に嫌がらせでも受けているのだろうか。
六花は、俺が何を訊ねようとしたのか、察したようで、クイッと顎をしゃくって歩き始める。
俺は慌てて六花に並んで歩き始める。
「……つけてくる輩はいないか」
「――ッ! ぶ、物騒すぎない?」
「扶桑の者で固まれば、釣れると思ったのだけど、動きは無しか……」
六花は視線を変えず、独り言のように呟く。
俺は思わずビクビクしながら、周囲の気配を探ってしまう。
「な、何か問題でも起こってるの?」
「分からない。ここ最近……よく経験した不穏な空気を感じることがある……」
六花は一度、言葉を区切る。
俺は無意識に唾を飲み込む。
「……認められぬ者を排斥するために、探りをいれているような空気」
六花は、そう言葉を口にすると、口元だけで笑う。しかし、全身から放たれる冷たい気配は全く変わらない。
「まあ、当ては外れたが、致し方ない。凛太郎、学園内で誰もいないような場所には近づかないように、気を付けるんだぞ」
六花は歩くペースを速め、ぐんぐんと先に歩いて行ってしまった。
俺は立ち止まって周囲を確認する。
休み時間のガヤガヤとした空気に変化はない。元の世界の学校でも経験した、日常の風景だ。
六花は何のことを言っていたのだろうか。
「あ、そうだった……」
不意に俺は呟いてしまう。
学園の制服の上に着ている当たり障りのないデザインのローブ。
これには、シノさんが認識阻害を付与してくれているんだった。
六花の狙いをセルフ妨害してしまったかもしれない。
心の中で六花に謝りつつ、俺は一先ず教室に戻るのだった。




