68.お土産料理
「いやー、美味しかったねー。おねーさんは脱帽だよ」
「満足……」
ポンポンとお腹のあたりを手で叩きながら、アリシアさんは満足そう話す。
テトラも横で、コクコクと頷いて幸せそうだ。
「定食を三種類も食べて、お代わりを十杯も出来たことに、俺は驚愕するしかないんだけど……」
定食の代金はキッチリ支払ったけど、ご飯のお代わりを繰り返すテトラとアリシアさんの姿を見て、物凄く申し訳ない気持ちで一杯になった。
お椀に山盛りになったご飯。それが掻き込む二人。ご飯が液体だったと錯覚する勢いで、食べる二人を止めることは出来ず、俺は呆然とするしかなかった。
「そう言えば、ソーマ君。リカっちから何か受け取っていたようだけど」
「ああ、油揚げを使った持ち帰り用の扶桑料理ですよ」
「……じゅるり」
俺の言葉を聞いて、テトラが唾を拭う。
あの量を食べて、まだ食欲が反応するなんて。
「ほほー、ソーマ君がチョイスするということは、なかなか通好みの食べ物ってことかな?」
「俺は扶桑の流行りとかわからないんで、なんとも言えないんですけど、シノさんが好きそうな料理じゃないかと思って」
「お師様の好きな料理……!」
テトラとアリシアさんの視線が、俺の右手に提げた折箱に注がれる。
今すぐに中身を見たいという意志がヒシヒシと伝わってくる。
「シノさんのために買ってきたんだから、ここで二人に見せることは出来ないよ」
「えー、シノ様が好きかもしれない料理って、おねーさん的には、かなり興味津々な情報なのに」
「私もお師様の好きな料理は、是非とも知りたい」
二人が俺に詰め寄って来たので、反射的に折箱を背中に隠す。
しばし上目遣いで俺を無言で見つめるテトラとアリシアさん。
タイプの違う二人の美少女に、潤んだ瞳で見つめられる威圧。元の世界では、絶対に遭遇することがないシチュエーションに、俺の固い意志はぐらぐらと揺らいでしまう。
いや、元の世界で経験していたとしても、普通の男子高校生が耐えれる状況じゃないだろ。
俺は折箱を受け取り、油揚げを使った持ち帰り用の扶桑料理――いなりと太巻き――を見て、喜ぶシノさんをイメージする。二人の威圧に抵抗が出来るのは、シノさんの喜ぶ姿しかない。
時間にして数秒だと思うけど、俺にとっては永遠の様な時間だった。
不意にアリシアさんは、息を吐きながら俺から離れる。それを見て、テトラも不満そうにあとに続く。
「テトラっち、今回はおねーさんたちの負けだよ。ソーマ君の意志は固いみたいだよ」
「……さすがはリンタロー」
テトラは宿敵を逃したような雰囲気で、俺を見てきた。
いやいや、そこまで悔しがるような話題じゃなかったよね。
俺は口には出さずにツッコミながら、ホッと胸を撫で下ろす。
「さってと、おねーさんは、お店の手伝いに行こうかな。テトラっちは?」
「私は学園寮に戻ります。お師様が不在ならば、お店は開けませんし、リンタローがお師様の夕食を確保しているのであれば、工房に行く意味があまりないですから。リンタロー、ポーションの在庫は余裕あったよね?」
「あ、うん。たぶんトラブルがなければ一週間くらいは大丈夫かな」
俺の回答を聞いて、憂いがなくなったのか、テトラは学園寮に戻り、アリシアさんは市場に寄って帰るということで、解散になった。
*****
「お、起きておったのか」
「お帰りなさい、シノさん」
ダイニングでボーッとしていると、ひょっこりとシノさんが顔を出す。
いつものフード付きのローブを身に付けているので、外から帰ってきたばかりなのだろう。
彼女はダイニングに入りながら、ローブを脱ぐと、耳と尻尾を労るように撫でる。
錬金術で空間歪曲と認識阻害を付与したローブとはいえ、獣人の耳と尻尾を隠して、街中を歩くのはストレスになるのだろう。
俺は「よし」と心の中で気合をいれてから、キッチンに向かう。
「シノさん、夕飯はまだですよね?」
「うむ。茶菓子を少々口にはしたが、飯は食うておらぬ。凛太郎に持ち帰りを頼んでおったからの」
シノさんはダイニングの空いている椅子の背にローブを掛けてから、椅子に座る。
俺は烏兎から持ち帰った折箱をシノさんの前に置く。
それから、すぐにお茶を準備して、湯気の立つ湯飲みを折箱の横に置く。
「ほほぅ、これは懐かしい趣のある器じゃな」
シノさんは折箱を手に取ると、持ち上げてジロジロと折箱を全方向から確認する。
期待感が高まっているのか、シノさんの頬は上気し、尻尾の振れ幅が大きくなっていく。
「さてさて中身はどうなっておるのじゃ……」
ペロリと唇を舐めながら、シノさんは折箱を縛る紐を解く。
一度、深呼吸してから、彼女は折箱の蓋を持ち上げる。
「おぉー!」
折箱の蓋を開けた瞬間、シノさんが目をまんまるに見開く。
頭の狐耳はピンとなり、垂れていた尻尾が天を突く勢いで上に向き、尻尾の毛がブワッと逆立つ。
わずかな時間だったけれど、シノさんは呆然とした顔で、折箱の中身を見つめていた。そして、瞬きをすることすら忘れて、ぎこちない動きで俺の方に顔を向ける。
「り、り、りんたろう……こ、これは、油揚げでは、ないか……!!」
「そうです。シノさんが好きじゃないかと思って、扶桑料理屋で作ってもらいました。元の世界でいなり寿司って言うんですけど、こっちの世界にもあるんですか?」
「あ、あるののじゃ……。この世界でもイナリ寿司と呼ばれておる。異界の神が好んだ供物と言われ。扶桑でもあまり――」
「シノさん、話はあとでいいですから、食べてください」
「ッ! す、すまぬのじゃ!」
シノさんが涎を拭いながら説明するものだから、俺は思わず声を挟んでしまう。
彼女は俺に断りをいれると、目を輝かせながら、いなり寿司を恐る恐る一つ指でつまみ上げる。
一度、唾を飲み込んでから、シノさんはいなり寿司を噛る。
「――ッ! あ、油揚げから、じゅわりと滲み出した汁と酢飯が! 胡麻を混ぜておるのも……!」
ぶんぶんと尻尾を振り回しながら、シノさんが絶叫する。
残りのいなり寿司を口に放り込むと、モキュモキュと目を細めて幸せそうに咀嚼する。
芝居がかった動きでいなり寿司を嚥下すると、シノさんは湯飲みを手に取り、ゴクリと一口お茶を飲む。
「むふー! たまらん、たまらんのじゃ! まさか大陸でイナリ寿司を口に出来る日がこようとは。感無量なのじゃ」
「そこまで大層なものなんですか、いなり寿司って」
元の世界では、わりと安価な寿司に分類されるため、シノさんのオーバーすぎる反応に、俺は少し戸惑ってしまう。
狐系の獣人だから、油揚げが好きなはず、という安直な発想が、俺に少し後ろめたさを感じさせる。
「そして、巻き寿司の方は、芋茎と玉子、田麩、瓜といったところじゃな。うむ、いざ!」
シノさんは、ガブリと太巻きにかぶりつく。
いなり寿司ほどではないが、彼女は太巻きを口一杯に頬張りながら、モグモグと楽しそうに口を動かす。
「うむ、これも絶品じゃな!」
「それは良かったです。巻き寿司も扶桑で珍しい食べ物なんですか?」
「巻き寿司はハレの日に食すことが多いが、珍しい程ではないのじゃ」
そう言って、シノさんは次のいなり寿司を食べる。少し落ち着いたのか、最初のような大袈裟な反応はない。ただ幸せに蕩けそうな雰囲気だけは、変わらず漂っている。
「いなり寿司は、神の供物として伝わったから珍しいってことですか?」
「そうじゃ。やがて、位の高い一部の貴族が、あやかって食すようになりはしたが、庶民までに広がっておらぬ、はずじゃ。ま、妾も扶桑を離れて久しいので、実情は分からぬ」
シノさんは笑って誤魔化す。
全身から漂う幸せそうな雰囲気もあり、俺はその笑顔にドキリとしてしまう。
「しかし、このイナリ寿司は、妾の記憶の片隅に眠っておった味によう似ておる。実に妾好みの味じゃ。凛太郎、褒めて遣わすのじゃ」
「ありがたきお言葉」
仰々しいシノさんの言葉に、俺は恭しく頭を垂れてみせる。
俺の見間違いかもしれないが、一瞬だけシノさんが、どこか遠くを見るような目をした。
いなり寿司で扶桑にいた頃を思い出したのだろうか。
なんとなく訊ねることが憚られ、俺はお代わりのお茶の準備をして誤魔化した。




