67.扶桑料理屋②
「いらっしゃいマセー」
元気な声が扶桑料理屋「烏兎」に響く。
割烹着に身を包んだ十歳くらいの女の子――確か榊翠雨――が、駆け寄ってくる。
「あ、お久しブリです! えーっと、凛太郎さんと、テトラさん」
「こんにちは、翠雨ちゃん」
「こんにちは……」
俺とテトラの顔を確認すると、翠雨ちゃんは、ニッコリと笑ってお辞儀をする。
その愛らしい姿に俺は思わず頬が緩んでしまう。
こんな可愛い妹がいたら、毎日良いとこ見せるために人生を頑張っていただろうな、と考えてしまう。
「んー、コチラのオネーさんは、初めましてデスカ?」
「お、そうだよ。おねーさんは、このお店に初来店だよ」
アリシアさんの返事に、翠雨ちゃんは「おおー」と声を洩らすと、パパッと身なりを整えて、背筋を伸ばす。
「初来店、ありがとうゴサイます!」
「おやおや、これはご丁寧に」
深々とお辞儀をする翠雨ちゃんに、アリシアさんは微笑みながら応じる。
周囲にいた強面の客たちも、翠雨ちゃんの姿に顔が綻んでいる。
翠雨ちゃんは、看板娘として確固たる地位を確立しているようだった。
「翠雨、入り口でお客サマを立たせるナ。早く席に案内シナさい」
「あ、そうでしタ。コチラへどうぞ」
カウンターから春陽さんの声が飛び、翠雨ちゃんが慌てて俺たちを案内する。
春陽さんの方を見ると、彼は苦笑しながら優しい視線を翠雨ちゃんに向けていた。
俺の視線に気づくと、春陽さんはバツが悪そうな顔で会釈してきた。
俺もつられて、会釈を返してから、翠雨ちゃんのあとを追う。
「コチラで、お座りくたサイ」
「ありがとー、お嬢ちゃん」
翠雨ちゃんは、テーブル席に案内してくれた。テトラと俺が並んで座り、向かいにアリシアさんが座る。
殆ど席が埋まっているのに、テーブル席に座れるなんてラッキーだな。
「さてさて、ソーマくん。この店のオススメはなにかなー? 同業者だから、おねーさんは少し本気を出しちゃうよ」
「ワイルドベアーの巣穴とジャンルが違うから、競合はしないと思うんですけど……」
「その油断が命取りなのだよ、ソーマくん。テトラっちなら理解してくれるはず。手を抜いたり、たかをくくると敗北に繋がるのだよ」
「……そうですね。王者はいかなる時も全力であれ、と家では教えられましたから」
そう言って「フフフッ」と笑うテトラから、妙な雰囲気が滲み出していた。
俺の本能が、触れない方がいいと告げてくる。
「と、とりあえず、注文しよう。すみませーん!」
話題を変えるために、俺は声を張り上げる。すぐに翠雨ちゃんが駆け寄ってくるかと思ったけど、ポニーテールを揺らす人影が、スッと現れた。
「失礼す――おお、凛太郎ではないか」
「へ? 六花」
和装――扶桑服の上に割烹着を羽織った六花が、注文伝票を手に立っていた。
彼女は少し驚いた顔をしながらも、はにかみながら声をかけてきた。
次の瞬間、ゾクリとした寒気が俺の背筋を襲う。
「……貴女が何故ここに?」
感情を削ぎ落としたような冷たい声で、テトラが訊ねる。
俺は反射的に身を強ばらせるが、六花は特に意に介した様子もなく、首を傾げる。
「何故と言われても、某は烏兎で生活しているからだ。つけ場で調理をしているのが兄で、店内をちょろちょろしているのが妹になる」
「……嘘でしょ?」
「こんな嘘をついて、某になんの得がある」
何の嫌みも感じさせない六花の指摘に、テトラはわずかに顔をしかめる。
「まーまー、テトラっち、話はそれくらいにしておこうじゃないか。店員さんに絡むのは、迷惑行為だよ」
「……そうですね。失礼した」
「いや、某も貴女には無礼な振る舞いをしてきた。不審な目で見られるのは、某の行いのせいだ。某の方こそ、すまない」
テトラと六花は互いに謝罪し、何とか場が収まる。
テトラか六花が「表に出ろ!」とか言い出さなくて、俺はホッとしてしまう。
だって、俺が二人を止められるはずないからな。
「む、クォート殿の姿が見えぬが、あとから合流されるのか?」
「お兄様も一緒にくるつもり満々の様でしたが、公務が残っているようで従者に引きずられていきました」
「そうか、それは残念だ。春兄の料理の腕は確かなので、クォート殿にも食べていただきたかった」
心底残念そうな六花。
今日の敵は明日の友みたいなやつなのか、それとも単にクォートがイケメンでモテているだけなのか。
そこまで考えて、俺は頭を振る。
下世話なことは考えるものじゃない。俺の心にダメージが返ってきそうだから。
「えーっと、六花。定食とかあるの?」
「あるぞ。オススメは日替わりだ。今日は確か――」
六花は口をパクパク動かした後、腕を組み眉間に皺を作る。
誰がどう見てもメニューが思い出せないことがバレバレだ。
六花は少し拗ねたような顔で、カウンターにいる春陽さんに顔を向ける。
「――春兄……」
「またカ……。翠雨はすぐ覚えたゾ。それでは、どちらが姉カ分からナクなるな」
春陽さんは肩を窄めながらため息をつく。
あきれた雰囲気はあるものの、決して六花をバカにするような気配は微塵もない。
妹を見守る兄、という感じが伝わってくる。
「ホラ、これを袖二忍ばせてオケ」
春陽さんは手首のスナップだけで何かを投げる。
パシッと音をたてて、六花が受け取ったのはトランプより少し大きい木片だった。
それを確認し、六花は声をあげる。
「さすが春兄! 恩に着る!」
振り返った六花は、瞳を輝かせながら、木片に書かれている内容を読み上げる。
「今日の日替わり定食は――
・甘辛く煮付けた魚
・葉野菜のおひたし
・乾酪を入れただし巻き玉子
・根野菜の味噌汁
・白米
――以上だ。白米は三杯までは無料でお代わりが出来るぞ」
ふんふん、と鼻を鳴らして、得意顔の六花。
俺の中で、六花の凛々しいイメージがガラガラと音をたてて崩れ、ぽんこつなイメージで再構成されていく。
なんだか既視感な流れ。
俺はチラリと横目でテトラを確認すると、澄まし顔をしているが、聞いたメニューへの期待感が、全身からじわじわと滲み出している。
それに気づいているアリシアさんは、微笑ましそうに目を細めて、テトラを眺めていた。
「よし! ならば、それにするしかないね。ソーマくんとテトラっちも、日替わり定食で問題ないかな?」
「……問題ないです」
「俺も日替りで大丈夫です」
「承知した。では料理が出来るまでしばし待たれよ」
踵を返していく六花。
すぐに翠雨ちゃんが俺たちの席に駆け寄ってくる。
「すいまセン。六花姉はせっかちなんデス。オシボリとお水デス」
翠雨ちゃんは、オシボリを渡して、水の入った木製のカップをテーブルに置くと、小さく会釈をしてカウンターに戻っていく。
テキパキと接客する翠雨ちゃんと、動きのぎこちない六花。
俺の中で、六花のぽんこつ度が順調に加算されていく。
料理が運ばれてくるまで、俺たちは店内を眺めながら、他愛もない雑談をして過ごした。




