66.手合せ
「ねぇ、リズ。無事に終わると思う?」
講義がなく、利用許可の降りた第三魔術実習場の隅で、俺は横に立つリズ訊ねる。
彼女はニッコリと笑ったまま――だけど、目は全然笑ってない――俺の方を向くと、わざとらしく首を傾げる。
「何か合ったとしても、リンタロー様がどうにかして下さるのですよね? リズは平々凡々な学園生活をクォート様が送れるように、苦心していたというのに。それをリンタロー様が……えーんえーん」
リズは顔を伏せると、大根役者も真っ青な嘘泣きを始める。
あからさま過ぎて、さすがの俺でも動揺しない。
「俺と六花だと実力差がありすぎだったから、不可抗力だと思わない?」
「思いません」
俺の問いに、リズはピタリと泣き真似を止めて、キッパリと言い切る。
その言葉に込められた凄みに、俺は思わずたじろぐ。
俺は選択を見誤ったのか?
テトラがどれくらい強いのか、一緒に戦ったので感覚的に理解している。クォートはテトラの兄で近衛隊の副団長なので、さらに強いだろと予想はしている。
魔術で作り出した雹弾――氷の塊を、木剣で斬り払うなんて、実力の片鱗も見せてない感じがした。
六花ほどの実力があっても、クォートが後れを取るとは思えない。
「リンタロー様。リズが何を心配しているか分かりますか?」
「く、クォートが六花に不覚を取るとか?」
淡々としたリズの声音に、俺は内心で滝汗になりながら答える。
リズは憐れむような感じで、鼻先で笑う。
「あのクォート様が、扶桑のただの武芸者ごときに不覚を取るなんて、あり得ません。クォート様から、リンタロー様と手合せした話を伺いました。その時、リズは感動してしまいました。よくもまあリンタロー様を五体満足のままで、心も壊さずに手合せを終えることが出来たと」
「そ、それって……」
「リンタロー様は歩くときに、足を踏み出す先に虫がいないか確認されますか? されませんよね。それくらいクォート様とリンタロー様の実力差があるとお考えください。あ、過去に小さな虫でも体内に入れば、などと屁理屈を口にされた方もいらっしゃいますが、リンタロー様は、そのような世迷い言は口にされませんよね? 口に入る前にプチッと踏み潰されるってリズは申しているのに、踏み潰された後にどうやって口に入るのかとリズは不思議でなりません。いったい――」
リズの全身から染み出してくる狂気の気配。
俺は無意識に彼女から半歩ほど離れてしまっていた。
クォートなら、絶対に六花の相手が出来ると踏んで、軽い気持ちで提案してしまったけれど、かなりマズイことをしてしまったんだろうか。
リズの態度に、俺は不安が募ってしまう。
頬を冷たい汗が流れ、握りしめた手は汗で揺れていた。
「それでは、よろしく頼む」
「うむ、では始めるとしよう!」
クォートと六花の声が実習場に響き渡る。
俺とリズが見守る中、クォートはバスターソードを鞘から抜き放つ。
対する六花は刀を鞘に納めたまま帯刀し、腰の高さで構えていた。やや前傾姿勢に見えるが、居合いを放つつもりなのだろう。
二人とも得物は刃引きしているとはいえ、防具を身に付けているわけではない。一撃が大怪我に繋がる可能性がある。
高まる緊迫感に、俺は無意識に唾を嚥下していた。
「はむ、後の先が狙いか。では遠慮なく初手はいただくぞ!」
クォートが散歩でもするような足取りで、六花との距離を詰める。
無防備な動きに、六花は一瞬、呆気にとられたような顔をするが、すぐに表情を引き締める。
「ハッハッハ! 捌ききれるか?」
クォートは軽い口調で、手にした剣を無造作に振るう。
俺なら持ち上げることも難儀しそうな剣を、クォートは小枝のように振る。
暴風のような風斬り音に、俺は唖然としてしまうが、六花はクォートを鋭い視線で捉えたまま、動揺は一切感じられない。
クォートの剣を冷静に最小の動きでかわす。
「疾――」
「慌てるな! 初手が一撃とは限らないぞ!」
踏み込もうとした六花の出端を折るように、クォートの剣が閃く。
一回、二回、三回――
剣の勢いは収まるどころか勢いを増していく。
後の先を狙って、最小の動きで剣を回避していた六花は、たまらず大きくバックステップでクォートから距離を取る。
「フハハハッ! 距離をとっては興がさめ――」
「せやぁぁぁッ!」
裂帛の気合とともに、六花の刀が煌めく。
ほぼ同時に、クォートが剣を地面に叩きつけるように振り下ろす。
ガラスを擦るような不協和音の後に、落雷のような爆音が実習場を埋め尽くす。
もうもうと立ち込める土ぼこりに視界を奪われ、俺は咳き込みながらも二人の姿を探す。
「うむ! 飛ぶ斬擊とは面白い! 実に良い!」
「……あれを初見で防がれるとは、噂に違わぬ、いえ噂以上の猛者だな、クォート殿」
楽しそうに毒気のない笑顔のクォートに対して、六花の表情はどことなく硬い。
「先ほどのは、武芸大会で使われた武技ですね。あ、リンタロー様は、武技はご存じですか?」
「あーつって言葉は聞いたことないかな。あ、でも、武芸大会で、斬擊飛ばしには、魔力が必要ってテトラから聞いたよ」
「さすがテトラ様。簡潔で適切な説明をされています」
こほん、とリズが咳払いをする。
「色々な意見がありますが、リズも武技は魔術の一種と教わっているので、それが前提でお話しします。魔術は詠唱、印、触媒といくつか発動方法があるです。いずれも魔力が必要になります。武技は、発動方法が動作になっているとお考えください」
「動作って、拳を突き出すとか、剣を振るうとか、そんなことでいいの?」
「はい、そうです。厳密に言うと、気を静めるなど、体の動きだけでなく、精神的な部分を含んでいます。リズの武技、家政婦魔闘術・ハガク流――」
リズは、自分のふくよかな双丘の間に、左手を無造作に突っ込むと、木札のような木片を取り出す。
そのまま、右手でトンという感じで木片に触れる。
「――さいの目切り、です」
リズが言い終わると同時に、木片はサイコロのような小さな木片に変わる。
リズが木片をさいの目切りするような動きはなかったし、そもそも素手で木片がスパスパ切れるはずがない。
「ちょ、どうやったの?」
「さっきほど口にした通りです。つまりこれが武技というわけです」
いやいやいや、リズは木片を指先で突っついただけだよね。それでサイコロみたいな木片に変わるとか俺の理解の範疇を越えているんだけど。
反射的に色々と出てきそうになった言葉を飲み込み、俺は深呼吸を一つする。
「ごめん、もう少し詳しく説明してもらえない?」
「えーっ、今のでリンタロー様は理解してくださらないんですか」
「ご、ごめんなさい……理解できなかったデス……」
「そうですか。でも、今のは軽いジョークですから、気にしないでください」
悪びれた様子もなく、言い切るリズ。
ツッコミを一つや二つ、彼女に入れてやりたいと思ったが、反撃が怖くて俺は踏み止まる。
クォートと六花が、軽い小競り合いしている間に、武技の説明を終わらせて欲しいんだけどな。
俺が顔の表情筋をピクピクさせていることを気にした様子もなく、リズは説明を再開する。
「魔術の『術式を展開し、魔力を流す』を、武技は『精神面を含めた、所定の動き』で行います。魔術の印を結ぶに近いです。また武技は、個人差が激しいです。リンタロー様が、リズと同じ動作をただ真似ても武技は発動しません」
「えっと、俺は俺で武技が発動する動きを見つけないといけないってこと?」
「はいです。でも、修練で会得が確立しているような武技も存在します。武術の流派ごとに秘伝と扱われ、門下生のごく一部が会得し――」
「そぉぉぉらぁぁぁ!」
クォートの楽しそうな声と炸裂音がリズの声を遮る。
見るとクォートが剣を無造作に振り回していた。剣が触れた地面は、爆弾でも爆発したように陥没する。
六花は苦々しい顔で、大きくステップしながら、クォートの剣を回避する。
「疾ッ!」
「甘いぞ!」
疾風のような踏み込みで、六花が斬りかかるが、クォートが即座に剣で受け止める。
「ハッハッハ! なかなか良いぞ! 体も温まってくるな!」
「……そう、ね」
六花が一撃を繰り出せば、クォートが少なくとも十倍くらいの反撃を繰り出す。
一撃を繰り出す隙を探りつつ、クォートの無茶苦茶な攻撃を回避し続けているためか、六花の顔には少し疲労の色が見える。
その一方、クォートは全く疲労は感じられない。
俺は違和感に、リズに視線を送ってしまう。
「……リンタロー様、リズにご用ですか?」
「えーっと、ご用というか、なんというか、クォートって何かおかしくない? 全く疲れた感じがないんだけど……」
俺の言葉に、リズは「はぁー」と演技がかった大きなため息をこぼす。
「リンタロー様。テトラ様から〝神の恩恵〟について聞いたことがありますよね」
「うん。テトラは未来が視える魔眼を授かったって教えてもらった」
「リリーシェルの家系が戦神から授かると言われている〝神の恩恵〟――先天性魔術とか固有魔術とか言われておりますが、クォート様は他に類がない力を授かられています」
「他に類がない?」
「はいです。スイッチの入ったクォート様は、延々と魔力が供給され続けます。身体強化や疲労回復など、補助魔術が途切れることなく発動し続けます。そのため、クォート様は疲れ知らずになります」
リズの言葉に、俺は思わず唖然としてしまう。
なにそれ。
完璧にチートだろ。
俺はチートっぽいスキルとか全然無いのにさ。クォート、ズルくない?
「ま、魔力って、どこから供給されているわけ? 世界から供給される的な感じだったりするの?」
「分かりません。魔術師ギルドが調査したことがありましたが、クォート様の周辺で魔力が焼失する事象が発生しないため、周辺の魔力を強制吸収はしていないことは確かだそうです」
うーわー。なんかもうクォートは神々に愛された英雄じゃん。
俺もクォートみたいなチート能力が欲しかったなぁ。
若干、現実逃避の思考に逃げてしまう俺。
その間もクォートが無邪気に剣を振り回している。
このままでは、実習場が壊れるか、六花が大怪我をしてしまいそうだ。
だが、どうやって二人――いや、クォートを止めればいいんだろう。
チラリ、とリズに視線を送る。
「リズには無理です。クォート様が満足するまで待つしかないです」
「お、俺は何も言ってないよ」
「その顔で、よくそんなことが――あ、ラッキーですね。今回はもう終わりますです」
「え、マジ!」
リズの言葉に、俺は歓喜の声をあげてしまう。
間を置かず、疾風と化した人影がクォートに斬りかかる。
「お兄様ッ! 戯れもほどほどにしてくださいッ!」
「おお、妹ではないか」
学園の制服に、盾と剣を身に付けたテトラは、臆することなくクォートに肉薄する。
テトラは盾と剣で、クォートの剣を捌くだけでなく、クォートに反撃を繰り出す。
しばらく、剣戟の音が響いていたが、ピタリと収まる。
「ハッハッハ。我輩としたことが、少し熱を入れすぎたようだな。すまんな」
「お兄様、軽い感じで話しても誤魔化されませんよ。手加減が下手なのに、留学生と手合わせなど止めて下さい」
悪びれた様子もなく笑うクォートに、呆れ顔のテトラ。
二人の姿に毒気を抜かれたような顔で、納刀する六花。
「間に合った?」
「うん、ナイスだったよ、ラズ」
俺の橫でハイタッチするリズとラズ。
クォートを止めるために、ラズがテトラを呼んできたのか。
こうして唐突にクォートと六花の手合わせは終わることになった。




