65.扶桑の留学生
「扶桑の民は、大陸式の魔術が苦手とは良く聞くが、見事な魔術制御です。学園長の道楽だろうと侮っていましたが、キミは良い生徒のようですね、ソーマ」
第三魔術実習場で、少し神経質そうな妙齢の女性教師が、俺に淡々と告げる。
言葉のわりには全然驚いたようには見えないが、俺は素直に喜んでおく。
今回の講義は強化魔術についてだった。
無属性の魔術で、属性適正がなくても使える魔術らしい。
講義自体の内容は、数名のグループに別れて、配られた五十センチくらいの細い棒に、魔力を流して強化し、木偶に叩きつける、といたってシンプル。
俺の強化した細い棒は、木偶に切り傷のような跡を付けるという快挙を成し遂げた。
クラスメートでも、それが出来たのは一握りしかいなかった。
ま、俺の場合は、人工精霊が上手い感じで魔力制御をやってくれた結果だったりするのだけど。
俺は、一息ついてから、念のために教師に訂正をしておく。
「先生、俺は扶桑生まれではないので、扶桑の民ではありません。ただの辺境から出てきた見た目が扶桑の民っぽいだけの庶民です」
「そうですか。それは失礼。ですが、魔術制御が見事なことにはかわりありません。これからも精進してください」
一言謝りをいれて先生は、次の生徒に歩いていく。
特に因縁を付けられることなく、訂正が済んだことに、俺はホッと胸を撫で下ろす。
「上々な評価で羨ましいぞ、リンタロー」
いつもと違って、覇気のないクォートの声。
視線を向けると、彼は、短い竹箒のような物を握っていた。
「……それ、なに?」
「ハッハッハ。我輩の強化魔術の洗礼を受けた、ただの棒切れのなれの果てだ」
いつもより力なく、クォートは宣言すると、俺に握っていた元ただの棒切れ――竹箒モドキを手渡してくる。
俺は受け取った竹箒モドキを確認する。
木の繊維が解れて、一つ一つがピンと竹ひごのようになっていた。
軽く振るとビュン! と鋭い音がする。
俺は、竹箒モドキから伝わってくる感触に、首を傾げてしまう。
「クォート、これで木偶を殴ってもいい?」
「構わんぞ」
訝しげな顔で俺を見るクォート。
俺は手にした竹箒モドキを、木偶に向かって力一杯振る。
ギャィィィン! と金属じみた音を立てて、木偶に無数の引っ掻き傷を作り出す竹箒モドキ。
明らかに、俺が強化した木の棒より強力な武器と化してるんだけど。
これで強化魔術が上手く出来ないって言っているクォートは、自己評価が低すぎないか?
「強化魔術とは、ただ強化すればよい魔術ではありません。いかに少ない魔力で、効率的に強化することが大事です。クォート様はただ魔力を流し込んだだけで、強化魔術とは言えないものです」
「――ッ!」
気配もなく、急に背後から声が聞こえ、俺は反射的に飛び上がりそうになった。
なんとか踏み止まり、心臓をバクバクさせながら、背後を確認すると先生が立っていた。
「ソーマ。もう一度、それで木偶を殴ってみなさい」
「は、はい!」
先生の淡々とした口調に謎の凄みがあり、俺は背筋を伸ばして返事をしてしまう。
一度、深呼吸を挟んで、俺は木偶に竹箒モドキを振るう。――が、ペチンと頼りない音をたてるだけで、先程みたいに、木偶に傷は付かない。
「あれ? なんで?」
「それが強化魔術が出来ていない証拠です。本日の講義で行った強化魔術が、きちんと発動することが出来ていたのならば、数十分で強化が解除されることはありません。ただ魔力を注ぎ込んだだけでは、すぐに魔力が拡散してしまい、強化が解除されるのです。まったくもって美しさがありません」
先生は淡々と言葉を口にする。
感情的な言葉であれば、クォートも相づちを口にしていたかもしれない。彼は、先生の言葉に、ただただ凹んでいた。
俺は思わず、クォートの肩をポンポンと優しく叩いて慰めてしまう。
「おぉ……さすが我輩の心友――」
不意に聞こえてきた歓声に、クォートの言葉が掻き消される。
視線を向けると生徒が人垣を作っていた。
「素晴らしい。木偶に傷を付ける生徒は年に何人かいましたが、斬り倒してしまう生徒は久々です」
少しだけ感情の混じった先生の声が聞こえてくる。
人垣の隙間から、上半身を地面に転がした木偶が見えた。
「うわー、本当に木偶が斬れてる。誰がやったんだろ」
「ふむ、我輩の記憶には目ぼしい生徒はいなかったはずだが、確認するしかあるまいな」
俺とクォートは、人垣に歩みより、囲まれている人物を確認する。
そこには黒目に黒髪を少し高い位置でポニーテールにした女子生徒がいた。
それは以前、声をかけてきた扶桑出身の女子生徒に違いなかった。
「ふむ、あれは我輩たちが学園に通う前から、留学生としてに滞在している女子だな。名前はなんと言ったかな」
「クォートが女子の名前を覚えてないとか珍しいね」
「ハッハッハ。リンタローに褒められると照れるではないか」
嬉しそうに微笑むクォートに、俺はあえてつっこまないでおく。
もう一度、実演を頼まれたのか、新しい木偶が女子生徒の前に準備される。
彼女は、鞘から刀を抜くような動きで、握る木の棒を撫でる。
ただそれだけなのに、彼女を中心に場が清められるような気配があった。
さらに俺の目には、撫でられた木の棒から、微かな燐光が舞い上がっているように見えた。
目を瞬かせていると、彼女は木の棒を正眼に構える。一呼吸おいてから、木の棒を木偶に振り下ろす。
カッ!
静まった実習場に乾いた音が響く。
次の瞬間、木偶がゆっくりと二つに分かれ、歓声が巻き起こる。
「すごい……」
「ほほう、中々の腕前ではないか。騎士団にスカウトしたいくらいだ」
二人で感嘆していると、女子生徒と目が合う。
彼女は、木の棒を血振り――血の類いは付着していないが――を行うと、木の棒の握っていた方を俺に向かって差し出す。
「教官殿が、正しく強化魔術が出来ていれば、他者に渡しても、しばらくは強化が持つと話されていた。試してくれないか?」
「え、あ、はい」
予想していなかった申し出に、俺はしどろもどろになりながら、木の棒を女子生徒から受け取る。
チリッとした感触が手の平から伝わってくる。ただの木の棒のはずなのに、懐炉の様に温かい。
「ソーマ、新しい木偶を準備しました。試してみてください」
「わ、わかりました」
俺は集まった視線に表情が強ばっていく。緊張で、背中を汗が伝っていく。
なんでクォートじゃなくて、俺に渡したんだよ……。
口に出さずに弱音を吐きながら、俺は女子生徒の様に、木の棒を正眼に構える。
一度、目を閉じて深呼吸する。
キッと木偶を睨むと、木偶に踏み込みながら、木の棒を振り下ろす。
木偶に接触した瞬間、軽い衝撃が手から伝わってくる。
「お見事です」
女子生徒の呟きが聞こえた気がした。
再び巻き起こった歓声に、俺は逃げ出したい気持ちでいっぱいいっぱいになるのだった。
やっぱりクォートに変わってもらうべきだった、と俺は一人呟いた。




