63.サボりの弁解
「スライムの体液って、何に使うんだろ」
武芸大会から一ヶ月ほどが過ぎた、少し喧騒が収まった昼下がり。
アキツシマ錬金工房の店舗エリアで、俺は一人呟く。
俺が座っているのは、清算カウンターそばに、新たに設置した簡易作業台。
その上に鎮座するビーカーは、薄い水色の液体で充たされている。
「ろ紙で濾しているときも思ったけど、少しとろみがある以外、変わったところはないよな」
角度を変えてビーカーを眺めてみると、かすかに振動しているように感じる以外、ただの液体に見える。
依頼人――蒐集師ギルドマスターで、魔術師ギルドでも偉い人――エフィルディスさんに、何に使うのか、納品するときに訊ねてみるかな。
「原材料がスライムだから、割りと簡単に捕まえられるけど、一週間も絶食させる必要があるのは、スライムでも少し気が引けるよな……」
シノさんに相談して、街の外で捕まえた数匹のスライム。
一匹ずつ大きめのガラス容器に入れて、一週間ほどスライムを絶食させる。面倒くさがって、スライムをまとめて容器に入れると共喰いしてしまうので、手間を惜しまないのがコツらしい。
絶食で体のサイズを維持することが出来なくなる個体が出てきて、スライムから解放された液体が、スライムの体液(未処理)となるらしい。
ちなみに凶暴化する個体も発生するので、その場合は責任をもって処分する必要がある。
「今回、体液が採取できた個体は、温厚で人に懐くって、シノさんが教えてくれたけど、どうしょうかな。日々の生ゴミと、コップ一杯くらいの水で、飼えるならエコだよな」
自室に残しているスライムに、愛着がわいてきたところなんだよな。
スライムの体液を濾したときに使ったろ紙や道具を片付け、俺は雲母のようなキラキラした粉――魔石の粉末を保存している小瓶を取り出す。
「最後に魔石の粉を適量混ぜれば、スライムの体液完成、らしいけど。適量がくせ者だよな。魔石の粉も指先くらいの量を買うの、めちゃくちゃ躊躇してしまうほど高級品だし……」
手元が狂って中身をぶちまけないように注意しながら、俺は小瓶の蓋を開ける。
薬さじを手に取り、「ふぅー」と深く静かに息を吐き、気を静める。
薬さじを、魔石の粉が入った小瓶に突っ込み、息を殺しながらソッと魔石の粉を掬う。
薬さじで掬った魔石の粉と、ビーカーを見比べながら、魔石の粉の量を微調整する。
「たぶん、これくらいで、適量の――」
「こんにちわー! リンタロー、いる?」
「――ッ!」
突然、店内に響いてきた声に驚いて、薬さじを握る右手が飛び上がりかける。とっさに左手で押さえ込んで、魔石の粉が散乱する自体は免れる。
俺は安堵のため息を洩らしながら、声のした方に視線を向ける。薬さじに掬っていた魔石の粉を小瓶に戻して蓋をすることも忘れない。
パタパタと軽い足取りと共に、澄んだ青空のような瞳と、背中まで伸ばした明るい金髪が印象的な美少女――テトラが現れた。
もう見慣れたと言いきれるほど、学園帰りのテトラがアキツシマ工房に入ってくる姿をみたわけだけど、俺は未だにドキドキしてしまう。
だって、制服姿の美少女だぞ。緊張するなってのが無理だろ。
「ん? 何してるの、リンタロー。右手に封じた何かが疼いていたの?」
「静まれ、俺の右手――って、違うよ。エフィルディスさんから依頼があって、作業してたんだよ」
俺のすぐ近くまで歩み寄ってきたテトラは、作業台の上を確認したあと、ぷくぅと頬を膨らませて抗議してくる。
「む、依頼があったって、私、聞いてない」
「いやいや、先週話したよ。ほら、素材採取のために、スライムを捕まえに行くって」
「……依頼があったからとは聞いてない」
テトラは眉値を寄せたままで、俺の弁解は聞き入れられなかった。
どう説明すれば、テトラの機嫌が治るのかと、俺が思案していると、彼女が先に口を開く。
「そんなことより、リンタロー! なんで学園にきてないのよ! サボりは良くないわ!」
「んー、俺は正式な学園の生徒じゃないから、毎日通う必要がないらしいよ。それにクォートも騎士団に呼ばれたらしくて、今いないし」
決して、学園でボッチだから行きたくないではない。
武芸大会で、俺の名前も多少生徒の間で広まったみたいで、会話する生徒もチラホラ増えた。
それに比例して、突っ掛かってくる貴族様も増えた。正直、クォートがいないと貴族様をあしらうのも面倒なんだよな。
ルドルフさんに相談したら、クォートがいないときは、学園にこなくてよいとお墨付きを貰っている。
「なんでよ! お兄様がいなくてもいいじゃない! もー、ここ最近、休み時間はリンタロー探ししていたのに! お兄様より、私の方がリンタローと知り合ったのは先なのに、なんでよ!」
「ご、ごめんなさい」
激おこなテトラに、俺は反射的に謝る。
俺、悪くないよね?
思わず、口に出さずに同意を求めてしまう。
「ねぇ、リンタロー。明日は学――」
「失礼します。ご機嫌ようです、テトラ様、リンタロー様」
タン! と靴先で床を叩く音とともに、若い女性の声が響く。
俺とテトラが視線を向けると、メイド服のスカートを指で摘まんでお辞儀をする女性――クォート付きのメイドのリズの姿があった。
テトラ以外に店内に入ってくる人の気配なんてなかったんだけど。
「ご機嫌よう、リズ。貴女がこんな時間に、アキツシマ工房を訪れるなんて珍しいわね。お兄様は?」
「クォート様は、王宮を抜け出そうとしたところを団長様に捕まって、お仕事の手伝いをさせられてます。なので、今日はリズだけで、アキツシマ工房にお邪魔してます。先程、アキツシマ様に、挨拶させていただいただきました」
ニコニコと微笑みながら答えるリズ。
シノさんにも挨拶済みとか、素早すぎだろ。やっぱりこの世界のメイドは何かしら特殊技能持ちなのだろうか。
考え込んでいると、リズがトトトッと軽い足取りで俺に近づいてくる。
テトラにも十分聞き取れる音量で、俺に耳打ちをする。
「ご安心ください、リンタロー様。本日、ラズは不在ですよ。クォート様と団長様のお手伝いをしておりますから」
ラズの心配はしてなかったのだけど、俺が不機嫌そうな顔をしているように見えたのだろうか。
彼女の吐息が耳にかかり、背筋がゾクゾクしてしまう。
思わず弛みかけた顔を、必死に引き締める。
テトラの視線が少し冷たい気がするが、きっと俺の気のせい。
「……で、リズ。用件はなんなの?」
「今日は、テトラ様ではなく、リンタロー様にご用があるのです」
そういうとリズは改めて俺の正面に移動するとニッコリと微笑む。
営業スマイルと分かっているのに、反射的にドキドキしてしまう。
「お、俺に?」
「はい。リンタロー様、明日はお暇ですか? クォート様が明日は絶対に学園に行くと申されております。そして、絶対にリンタロー様と会いたいから、必ずリンタロー様が学園に登園させるようにと命じられています」
「依頼品――スライムの体液も一息つくし、学園に行くのは全然問題ないよ」
「本当ですか! ありがとうございます! リンタロー様が、登園しないと言われたならリズは、最終手段を取るところでした……」
俺が瞬きをする間に、リズは大鎌を握りしめていた。
その大鎌、どこに持っていたのか?
そもそも、その大鎌で何をするつもりなのか?
リズな訊ねると後悔しそうなので、俺はあえて気づかないことにする。
「もー! リンタローのバカ!」
そう声をあげると、テトラは洗い足取りで、アキツシマ工房から出ていってしまう。
あまりにも突然のことに、俺は呆然としてしまう。
「テトラ、どうしたんだろう……」
「リズのタイミングが悪かったようですね。リンタロー様、テトラ様にお会いしたら、かまってあげてください」
リズは少し困ったような顔をするが、すぐに表情を戻す。
「リンタロー様、嫌いな食べ物はございますか?」
「特にないけど、なんで?」
「アキツシマ様から、ご提案がありましたです。今日の夕食と明日の朝食を作れば、一泊してよいと言われました。アキツシマ錬金工房に泊めさせていただければ、リンタロー様を確実に学園へお送り出来ますので、リズに選択の余地はありませんでした」
ふん、と両手を握って気合いをいれるリズ。
彼女は、くるりと回って俺に背を向けると、トトトッとアキツシマ錬金工房から出ていった。
あの動きなら、リズが建物に入ってきた時点で気づける筈なんだけどな。
俺は首を傾げてしまう。
「とりあえず、スライムの体液の処理を終わらせよう」
リズの作る夕食は楽しみだし、明日は学園に行くなら、今日終わらせておくべきだよな。
俺は気合いをいれて、作業を再開するのだった。




