61.祭りの後
「おかえりなのじゃ。思ったより、早く帰ってきたのー」
「た、ただいまです」
日付が変わるには、まだ早い時間帯。
アキツシマ錬金工房の裏口から、ソッと中に入った俺に、シノさんが声をかけてきた。
裏口なんて、普段から用事があるような場所ではない。
きっと工房を包むように展開されている(らしい)結界が、俺の侵入に反応し、気づいたシノさんが、俺を出迎えてくれたのだろう。
「朝までバカ騒ぎをしてから、帰ってくると思うたのに、凛太郎は真面目じゃな」
「試合の疲れが思った以上にあって……」
ポリポリと頭をかきながら、俺はシノさんに、ぎこちなく笑い返す。
学園では後夜祭で、今もどんちゃん騒ぎが続いていると思う。
「あの悪ガキが、祭りを放っておくはずがないのじゃ。凛太郎が早々に解放されたところから察するに、はしゃぎすぎて呼び出しでもくろうたか?」
「えーっと、クォートは急用が出来たと言って、テトラとリズ、ラズを連れて、どこかに行ってしまったんですよね」
「ほう、存外真面目に仕事をしておるのか。まあ、だいぶ出てきた膿の後始末じゃろうな」
「やっぱり貴族って、色々あるんですか?」
「当たり前じゃ。貴族として、きちんと責務を果たすことを第一にして生きておる貴族もおるが、腐った連中の方が、したたかな輩が多いのが悩みの種じゃな」
シノさんが、肩を竦めて嘆息する。
世界は違えど、悪代官みたいな連中が、権力を掴んで離さないんだろうな。
清廉潔癖な人だと、権力争いとか不得意そうなイメージあるし。
そんなことを考えていると、シノさんがニヤニヤと笑いながら、口を開く。
「他にガルムの娘と拳闘士の娘がおったじゃろ。凛太郎が付き添わなくて良いのか?」
「えーっと、アリシアさんは、出店の店番だったんです。チーム戦に参加するために、店番を後夜祭期間にしてもらったみたいなんですよ。出店も評判が良かったみたいで、混みまくって姿も見えないくらいでしたよ」
「む、それは残念じゃな。では拳闘士の娘は、どうしたのじゃ?」
「ナリーサさんは――」
俺は、先程の光景を思い出し、思わず苦笑いしてしまう。
武芸大会で、予想外の活躍をしたナリーサさんは、一躍時の人みたいになっていた。
大勢の生徒が、彼女に群がってきた。
大半がナリーサさんを称賛するために声を掛けてくる生徒だが、厄介な連中も多かった。
ナリーサさんが、没落気味の貴族ということで、不快な態度で接してくる。
武芸大会のナリーサさんを見て、見下すような態度をとれる連中は、ある意味スゴいと俺は感心してしまう。
竜を、拳だけでボコボコにしたんだぞ。ナリーサさんを怒らせたら、素手でスプラッターに早変わり間違いなしだと思わないのか。
勘違いした連中は、自分の下僕になれ、とか愛人になれ、とか下女になれ、とかお決まりの台詞しか口にしないのは、テンプレートでも出回っているのか訊ねたくなった。
武芸大会で、はっちゃけたたはいえ、ナリーサさんは、深窓のご令嬢という見た目だ。「妻として迎え入れる」ぐらいじゃないと話にならないと俺は思う。
でも、文化祭とか学校のイベントを、異性と過ごすって、憧れる青春のワンシーンだよなぁ。
異世界にきてから、考えることの少なくなった元の世界の記憶に、懐郷病が疼く。
「有象無象が寄ってたかって雰囲気ぶち壊し、というわけじゃな」
「ッ! そ、そんなんじゃないですよ!」
しんみりしてしまった俺の姿に、誤解したシノさんがニヤケながらチャチャを入れてきた。
脊髄反射で否定したけれど、シノさんがどの程度、意を汲んでくれるだろうか? ゼロかなぁ。
ふぅー、と息を吐き、俺はシノさんの認識を改めさせるために気合いを入れる。
「ナリーサさん、武芸大会で活躍したじゃないですか」
「そうじゃな。往年のナージ――昔のレクス家の当主を見ているようじゃった」
「だから、一般の生徒は、ナリーサさんを見かけると声をかけてきて、貴族の連中は……勧誘してきて、大混乱だったんですよ」
「拳闘士を勧誘してきたのであれば、そやつは先見の明があるの。ちゃんと勧誘しておれば、じゃがな」
シノさんは、含みのある台詞を口にすると、小さく笑う。
あえて言葉を濁してみたけれど、シノさんには意味がなかったようだ。
「人混みに飲まれて、俺がグロッキーになっちゃったんです。情けないことに、武芸大会で思った以上に、疲れていたみたいで。なので、ナリーサさんは早々に女子寮の 自室に引きこもることになったんですよ。女子寮は女性――寮長が門前で立ち塞がるようにして、待機されていたので、女子寮の敷地には一歩も足を踏み入れることは出来なかったです」
「……なんじゃ、つまらぬの」
シノさんが話を振る前に話題を潰しておく。彼女は不満そうな顔で嘆息する。
「寮の自室に引き籠もれば、変に騒動にならなくて済むし、良い判断だったと自負してます」
「良い判断が、必ずしも良い結果をもたらすとは限らないのじゃが、今回は見逃してやるのじゃ。それはさておき……」
シノさんが、しずしずと俺に歩み寄る。
あまりにも自然体すぎて、彼女が近づいてきていると認識しているにも関わらず、何の反応も出来ずに、彼女を眺めていた。
ふわりと甘い香りが鼻腔をくすぐり、シノさんが呼気の届く距離まで近づいたところで、ようやく俺の意識が彼女に反応する。
気恥ずかしさで、体を強張らせていると、彼女は俺の頭を優しく撫でる。
シノさんは、初めてあったときのような、神秘的な笑みで、俺を見つめる。
ドキリ、と俺の胸が大きく跳ねる。
恥ずかしさに彼女から視線をそらしたいのに、俺は彼女から視線をそらすことが出来ない。
「凛太郎を拾うたすぐは、この世界で生きてゆけるか心配じゃった。野に放てば一日も経たずに屍になると思うたからの」
シノさんのゆったりとした優しい声が、空間に解けてゆく。
「だが、妾の心配をよそに、凛太郎は生きる術を身に付けつつあるのじゃ。凛太郎が思うた以上に成長する姿は、妾も驚かされたのじゃ」
シノさんに褒められ、カーッと胸の内が熱くなる。気恥ずかしさに背中がむず痒くなるが、それ以上の幸福感が俺の内側を満たしていく。
「おっと、言い忘れるところじゃった。武芸大会で、凛太郎が見せた疑似魔術は、妾の想定以上じゃ。あそこまで見事に疑似魔術を制禦するとは畏れ入ったのじゃ。錬金術師として、世の理をあれやこれや調べて驚かされることはあるが、それ以上の驚きを妾に与えたわ」
「ありがとう、ございます……」
「ふふふっ、素直な男子は、善きかな善きかな。このまま凛太郎が、すくすくと成長してくれることを願うばかりじゃ」
シノさんが評価してくれた俺の実力が、いったいどれ程のものか、訊ねたい気持ちがあった。しかし、頭から伝わってくる撫でられる心地よい感触に、どうでもよくなってしまう。
しばらく、この幸せ空間が続けば良いと、俺は願って――
「お師様ッ! 優勝しましたッ!」
工房に突然響き渡るテトラの声。
いつもなら門限があるため、こんな遅い時間に彼女の声が、アキツシマ工房に響くことはから、あり得ない。
もしかして、後夜祭だから、今夜は門限なしとかなのかな。
俺が推察していると、シノさんが「ふぅー」とため息をつく。
「まったく、愛弟子は、よきところで、ぶち壊しにくるの……。しかし、弟子を褒めるのも師の務めじゃな」
優しい笑みを浮かべたままシノさんは、テトラの声が聞こえてきた方――店のエリアに歩いていく。
「ほれ、凛太郎も早うこい。これから祝賀会じゃ。なあに、食べ物は心配するでない。ガルムの店に使い魔を行かせたからの」
いつものように、楽しそうに笑うシノさん。
ガルムのおっちゃんは、災難かもしれないけれど、『ワイルドベアーの巣穴』の料理は期待しかない。
テトラもいるし、これから夜通し騒ぐことになるのかな?
俺も笑いながら、シノさんのあとを追いかけた。
とりあえず、ここで章の区切りにしようと思ってます。
色々と整理してから次章を始めたいと思います(整理出来る可能性は、お察しください)




