054.控え室・裏側
「クソが! クソが! クソどもが!」
ラゼルが唾を飛ばしながら喚き散らし、控え室の備品――椅子やゴミ箱など――を蹴り飛ばす。
苛立ちを隠さないラゼルの機嫌を、更に害はないように、チームメートの三名は、控え室の隅で震えながら縮こまっている。
パウルがこの場にいれば、ここまでラゼルが荒れた姿を見せなかったかもしれない。
不運なことに、パウルは両親に呼び出されて、控え室に姿はない。
「クソが! クソが! クソが! アースドラゴンは、ドラゴン種だぞ! ドラゴン種で一番下位の魔物だが、スライムじゃないんだぞ! なんでレクス家の愚子が、アースドラゴンを倒すんだよ!」
ラゼルが怒号とともに、壁に椅子を投げつける。大きな音をたてて、跳ね返った椅子に、チームメートたちが悲鳴を上げながら避ける。
ラゼルを置いて、今すぐにでも控え室から逃げ出したいチームメートたち。
逃げ出した後、ラゼルの機嫌が更に悪くなることは明白なので、チームメートたちは、目尻に涙を滲ませながら、必死に耐えている。
肩を上下に動かしながら、荒々しく呼吸するラゼルに、一番体格の良い男子生徒――ダズが意を決した顔つきで声をかける。
「ら、ラゼル様。い、いくらアースドラゴンでも、再現魔術で造り出したから、実物より弱かっ――」
「あぁ? なら、お前は、アースドラゴンを倒せるというのかよ、ダズ!」
「む、無理だよ……」
ダズは、ラゼルの怒号に大きな体を縮こませて、震える。
彼を庇うように女子生徒――トワが半歩前に出る。
「で、でも、ポイントは、ボクたちが高かったから、ボクたちが有利――」
「馬鹿か、お前は! ポイントなんて意味あるわけないだろ! アースドラゴンとゴブリン、どっちを倒した方が実力があるか、一目瞭然だろうが! リリーシェルの連中がアースドラゴンを倒せば、まだ上手く誤魔化せたというのに!」
悪態をつきながら、ラゼルは椅子を蹴飛ばす。壁に当たって跳ね返ってきた椅子を、慌てて避けるトワ。
冒険者ギルドで、アースドラゴンは特に脅威度が高い魔物ではない。それなりに腕に覚えのある冒険者が、パーティーを組んで、きちんと準備すれば、問題なく倒せる魔物だった。
逆に言えば、学園の生徒が簡単に倒せる魔物ではないことになる。ましてや単独でアースドラゴンを制圧することが出来る生徒など、例外――テトラやクォート――を除いて存在するなんて、誰も考えもしなかっただろう。
荒れるラゼルに、小柄な男子生徒――ルッツが、恐る恐る声をかける。
「ラ、ラゼル様、まだポイント戦が終わっただけですよ」
「あぁ? そんな分かりきったことを口にして、俺様に殴られたいのか? 他のチームの連中は、臆病風に吹かれやがって、軒並み棄権しやがった。リリーシェルのチームと戦って、少しでも消耗させることすらしねぇ! なにが『一般教養科の生徒にやられたらメンツがたたない』だ! 連中は頭が腐ってんのかよ! 格下相手に逃げる方が、よっぽど致命的だろうがよ!」
「お、落ち着いてください、ラゼル様」
「あぁ? こんな胸クソ悪い状況で落ち着けだと? お前、俺様を馬鹿にしているのか?」
「ち、違いますよ。自分は建設的なことに時間を使うべきだと進言させていただきたいだけです。幸い、本日のチーム戦は、無くなったわけですから、策を講じる時間が出来たと、切り替えるべきですよ」
逃げ出したい気持ちをぐっと堪えるルッツ。引きつった笑顔で、声を震わせながらも彼は、ラゼルの機嫌を損なわないように話を続ける。
「そ、即試合であれば、対策を講じることは難しいです。でも、明日の試合ならば、運営委員会に圧力をかけて、何かしらの制限を追加できれば、ラゼル様が優位に試合を進めることが可能かと……」
「……ふむ」
ルッツの言葉に、ラゼルが動きを止める。そして、何かを考えるような仕草をみせる。
ダズ、トワ、ルッツは、一瞬視線を合わせると、ここぞとばかりに口を開く。
「いくら武勲のあるリリーシェル家がいるとはいえ、所詮は過去の話だよ」
「そ、そうだよ。ラゼル様の知略に、脳筋なヤツラが対応出来るはずがないよ」
「ポイント戦になったのも、ラゼル様の機転の素晴らしさです。次もラゼル様が策を講じてくだされば、封殺出来ると自分は信じております」
ラゼルがギロリと三人を見渡す。
三人は慌てて口を噤むと、顔を青ざめさせて、ダラダラと脂汗を流し始める。
ラゼルは、三人を視線から外すと、瞳を閉じて思案する。
三人は息をひそめ、身動きもせずに、ラゼルの様子を窺う。
実際は、数秒にも満たない時間だったのだが、三人にとっては、永遠ともいえる沈黙の時間を、必死に耐える。
「……そうだな、そうだよな。俺様が少し本気を出して、知略を巡らせるだけで、戦うだけしか脳のない野蛮な輩に負けることなど有り得ないはずだな」
目を見開くラゼル、血走った瞳に、持ち上げられる口の端。彼の全身から、じわりと滲み出してくる狂気。
本能的に悲鳴を上げかけた三人は、それぞれの口を手でふさいで、なんとか耐える。
「俺様が、頭の足りてない愚民どもに、分からせてやるべきだな」
三人の姿は、ラゼルの目にはとまらない。彼は口許を手で覆いながら、低い笑い声をこぼす。
「おい、俺様は所用が出来た。お前らは、控え室をゴミどもに見られて非難されない程度に片しておけ」
そう言って、控え室を後にするラゼル。遠退く彼の足音に、控え室の三人は、ただただ安堵の息をこぼすだけだった。