052.一人反省会?
遠くに聞こえる喧騒を耳にしながら、俺は盛大なため息をつく。
場所は学園の隅にひっそり営業するカフェの店内。その更に奥の人目につかないテーブル席に、俺は伏していた。
どこもかしこも人で溢れ返っているが、カフェの店内は、いつもと変わらない静寂に満ちていた。
見慣れた客が、学園の熱気に我関せずといった様子で、思い思いの時間を過ごしている。
それが俺にとって、せめての救いだった。
「アリシアさんもナリーサさんも強いし、戦力になってないのは、俺だけ……」
先ほどのチーム戦の自分の働きぶりを省みて、ため息がこぼれる。
疑似魔術でサポートしたといっても、アースドラゴンに与えたダメージはゼロに等しい。
そもそもサポートメンバーだったはずのナリーサさんが、ほぼ単独でアースドラゴンを殴り倒してしまった。
後衛――肉弾戦とは無縁そうなナリーサさんが、拳だけで魔物と渡り合えるなんて想定外すぎる。
「ナリーサさん、どう見ても細腕なのになー。腕は俺の方が多少が太いとは思うけど――」
同じようにアースドラゴンを殴って、ダメージを与えられる気がしない。と口には出さずに続ける。
アースドラゴンを殴ってダメージを与えられるナリーサさんに、腕力とかで大負けしてると思うけど、なけなしの自尊心が声に出すことを拒んだ。
「……俺、小物だな」
俺はテーブルに伏したまま、長い長いため息をつく。
「俺は、やっぱりキングオブ庶民だ。荒事には向いてないんだ……」
「これこれ、注文もせずに席を占有するものではないぞ、凛太郎」
澄んだ鈴の音のような声。
顔を上げると、フードを深く被った人影――シノさんが、テーブルの向こう側に立っていた。
彼女がフードを上げると、さらさらと銀糸のような髪が肩口から流れ落ちてくる。
現れた頭の上でピコピコと動く三角の狐のような耳を、白磁で精巧に作られたような手で、二、三度撫でて毛並みを確かめる。
そして、おもむろにシノさんはローブを脱ぎ始める。
「ちょ、シノさん! 人目のあるところでローブを脱いだ――」
「凛太郎、静かにするのじゃ。他の客の迷惑になるのじゃ」
その言葉で、俺は慌てて両手で自分の口を塞ぐ。
店内の批難めいた視線が俺に向けられていた。
俺は急いで立ち上がると、店内の客にペコペコと頭を下げて謝罪する。
「素直に謝れるのは美徳じゃ。ほれ、さっさと座るのじゃ」
「は、はい……」
おずおずと俺が椅子に座り直していると、シノさんは橫に立つマスターにローブを預ける。
近づいてくる気配はおろか、音すらしなかったんだけど。マスターって何者なんだろうか。
「アキツシマ様、ご注文はいつものでよろしいでしょうか」
「うむ、それで頼む。連れも同じ物を」
「かしこまりました。すぐお持ちしたします」
一礼すると、マスターは滑るようにカウンターへ戻っていった。客やテーブルなどで、マスターの下半身の動きを確認できなかったことが悔やまれる。
「ここは妾も馴染みの店じゃ。今、店内におる輩は、店主のより抜きばかりじゃ。つまり顔をさらけ出しても問題ないというわけなのじゃ。そんなことより、凛太郎は、何をそんなに落ち込んでおったのじゃ?」
「そ、それは……」
シノさんのストレートな質問に、俺は言い淀んでしまう。
そんな俺を彼女は、スッと目を細め、わずかに口の端を持ち上げて、微笑しながら見つめてくる。
俺の心の中を見透かしているようなシノさんの笑顔に、ゾクゾクとした何かが背中を駆ける。
「どうしたのじゃ、凛太郎」
「えっと、そのー……」
見栄を張って、悩みを誤魔化すか? いや、そんなことしても悪手だよな。
俺は「フゥー」と息を吐いて、姿勢を正す。
そして、真っ直ぐにシノさんを見る。
「さっきのチーム戦で、活躍が出来なかったことが、悔しくて……」
「ふむ。凛太郎は、どのように活躍するつもりだったのかえ?」
「疑似魔術を使って……」
「疑似魔術を、どう使うつもりだったのかえ?」
微笑みを崩さず訊ね返してくるシノさん。
華麗に動き回って敵の攻撃をひらりと躱し、疑似魔術を狙ったところに撃ち込んで、敵を怯ませる。
そんな実現できなかった妄想を口に出せと?
羞恥プレイすぎて、じわじわと耳が熱くなってしまう。
「アキツシマ様、若人を困らせて遊ぶのは勘弁してやってください」
「む、心外なことを申すな。妾はコロコロと表情を変える凛太郎が、愛しく愛でておるだけじゃ」
「多感な時期は、見栄の一つや二つ張りたくなります。寛大なお心遣いをお願いいたします」
いつの間にかテーブルの脇に立つマスター。
俺に掩護射撃をしつつ、淀みのない動きで、湯気立つ湯飲みと黒い物体の乗った皿を並べていく。
妄想を口にせずに済んだことに、俺は安堵のため息とともに、心の中でマスターに礼を述べる。
「扶桑から取り寄せた茶葉を一度焙じて煎じたお茶と、米を練ったものを餡で包んだ扶桑の菓子でございます」
「久々に顔を出したというのに、さすが準備がよいのじゃ、店主よ」
「恐悦至極でございます。当店にアキツシマ様が何時何時、足を運ばれても困らぬように常日頃から準備を怠らぬ様に心がけております。いつでも当店は、アキツシマ様がいらっしゃることを心待ちにしております」
そう言って、マスターは一礼すると去っていく。
シノさんは、ずずずっとお茶を啜ると、ふぅと幸せそうに息を吐く。
彼女は皿に添えられた木製の細い三角形をしたヘラみたいな食器――菓子切を摘み、ボタ餅を一口大に切って口に運ぶ。
咀嚼しながら、頬を掬い上げるように手を添えながら、幸せそうに顔を綻ばせる。
それだけでなく、頭の狐耳はピコピコと動き、尻尾が大きく左右に揺れる気配が伝わってくる。
よほどボタ餅が美味しいのだろう。俺もシノさんを真似て、ボタ餅を一口分、切り分けてから口に運ぶ。
「こ、これはッ!」
俺は、思わず感想を口に出してしまう。
異世界にきてから、甘味を食べる機会が減ったこともあるけれど、本当に美味しい。
なめらかな口当たりと、程よい甘さが口の中に広がる。
噛めば噛むほど、餅と餡が混ざりあって、甘味がじんわりと体に染み込んでいくような心地好さがある。
ボタ餅を飲み込んだあと、お茶を啜れば、口の中に残っていた甘さが消え去り、お茶の爽やかさが際立つ。
「どうじゃ、うまかろう。店主自ら扶桑に赴き、調理法を学んでおる上に素材も自ら育てる徹底ぶりじゃ」
「うまい以外にあり得ないやつじゃないですか。よく売り切れになってませんでしたね」
「ふふふ。それは品書きにない一品だからじゃ。さらに店主に認められた、限られた常連しか注文するとこが出来ぬので、売り切れになることもないのじゃ」
ドヤ顔をしつつ、菓子切でボタ餅を頬張るシノさん。
なんかチーム戦で、活躍できなかったことなんか、どうでもよくなってきた。
俺もボタ餅を口に放り込む。
広がる甘みに、生まれる幸福感。
思わず頬が弛んでしまう。
「うむうむ、ようやく笑顔になったのー。凛太郎は沈んだ顔より、そっちの方が男前じゃ」
ニカッと笑うシノさん。
その瞬間、ドキッと胸が弾む。
頬が赤くなっていくのを感じ、俺は反射的にうつむいてしまう。
一呼吸置いて、俺の頭をポンポンと撫でるような感触。
「慌てるでないのじゃ。凛太郎はちゃんと強くなっておるのじゃ」
「でも――」
「凛太郎は経験が不足しておる。それを補うにはどうすればよいと思うのじゃ?」
「……そのときの状況を分析し、どう行動していれば、良かったのか考えることですか?」
「うむ、その通りじゃ。悔しければ悩むと良い。そして、次に同じ様な状況が発生したときに、最善の行動をとれるように想像するのじゃ」
不思議と心の底に溜まっていた澱みが薄れていくのを感じた。
自分が出来ることは何か。それだけを考えることにしよう。
俺はそう決意するのだった。