001.始まりの日
「予想が外れてよいものほど、当たるのは嫌がらせじゃな、まったく……」
山間に広がる鬱蒼とした森に、不釣り合いな女性の気だるそうな声が響く。普通ならば木々のざわめきに、かき消されてしまうはずなのに、女性の声は不思議な存在感をもって森を駆ける。
彼女は浅葱色の仕立ての良さそうなローブを身につけていた。フードを深く被っているため、彼女の容姿はわからない。
しかし、ローブの上からでも彼女が人並みはずれたプロポーションの持ち主だと言うことだけはわかる。
彼女はローブの裾をなびかせながら、獣道もない道を軽い足取りで抜け、ひときわ目立つ大木を目指す。
彼女は、うねる木の根を飛び越え、草の隙間を縫うようにして歩く。まるで街中を散歩しているかのように。
常人ならば三十分は、かかりそうな道のりを、彼女は五分ほどで踏破する。
山歩きになれた熟練のマタギでも真似できないほどの健脚ぶりだった。
「ふむ、死んではおらぬようじゃな」
彼女は大木の幹に向かって呟く。
木の幹に背を預けるようにして、ぐったりとしている少年の姿があった。彼は育ちの良さそうな顔立ちに、彼女が見たこともない素材で仕立てた変わったデザインの服を身につけていた。
彼女は興味を引かれ、少年の服に右手を伸ばす。が、すんでのところで右手首を左手で掴んで止める。
「ふぅ、危ないところじゃった。まったく珍しい格好しおって」
錬金術師という職業柄、少年の衣類に使用されている素材に気を取られそうになってしまう彼女。そうなれば、現状の解決が二の次になるのは彼女自身が重々承知している。
彼女は「ふぅ」と息をこぼし、深く被っていたフードをあげて、わざとらしく額をローブの袖で拭う。
誰か見ているわけではないが、彼女なりの気持ちを切り替えるための所作なのだろう。
同時に露わになったのは、彼女の白磁のような白い肌と銀糸のような細く艶やかな髪、切れ目の双眸に輝く黄金の瞳。誰が見ても若い美女と答える容姿だった。
ただし、目を惹くのは容姿だけでない。頭にピンと立った三角の耳とフードの裾から見え隠れする尻尾の先端が、彼女をただの人ではないと主張していた。
彼女はしゃがみ込むと目を細め、少年をしばし少年を観察する。
「童と呼べぬ程度に歳を食っている様だの。……この世界とは違うどこかから現れる"世界を渡るモノ"じゃろうな」
彼女は自分の言葉に深いため息をこぼす。
彼女にとって"世界を渡るモノ"は、手放しで歓迎できる存在ではない。転がり方次第では、争いの種になることが分かりきっているからだ。
「ここで死に絶えるのが一番の幸せの可能性も捨てきれぬが、妾の夢見が悪くなるのは困る。これも運命と思うしかないの」
彼女はどこか達観したような声音で呟きながら、フードの袖の中を探る。袖から手を引き抜くと、コルクで栓をした小さなガラス瓶が握られていた。
彼女は眼前に小瓶を掲げて揺らし、あきらめたような表情でため息をこぼす。
そして、心底イヤそうな顔で、ガラス瓶の栓を抜く。ツーンと鼻にくる異臭に彼女は顔をしかめる。
少しの間をおいて、彼女は、意識のない少年の口を細い指でこじ開ける。
「さてさて、話が通じるとよいのじゃが……。気付け薬の金額請求ともかく、事情の確認や説明が出来ないのは勘弁願いたいのじゃ」
彼女はガラス瓶の中身――真緑色のドロリとした液体――を少年の口へ流し込んだ。
色々と生活環境が変わり、なんとなく何かを書いてみようと思い立ったので投稿してみました。よろしくお願いいたします。