絵の具をかるく超える、ウソ臭いみどり
不意に綺麗な絵の具を店で見かけると、思ってしまうことがある。
「こんな鮮やかな色が、自然にあるもんかよ」
よく風景に感動しながら生きていても、たいていは人の作ったものに囲まれて生活する毎日。
ふだん、驚きはどこか色あせて遠くにある。
「……おお、やっぱりこの家やったか」
昼間あるいていて知り合った、70過ぎのおじいさんが、柿を持ってきてくれた。
ちょうどその日の午後、田園の中で列車の写真を撮りに来ていたらしく、すれ違った。
「これから、近くの家に柿をもらいにいくよ。実がなりすぎてて、困ってるらしい。あんたもいるか?」
そう言われて、まあもらえるなら、と答えておいた。
また写真を撮っている所を通りがかった時に、一つ二つもらえれば良い。
そんなつもりだった。
前から、「ヒマだから飲みにでも来てくださいよ」と伝えていたこともある。
そのおじいさんは、夕方に電動自転車をキコキコこいで、坂の中腹にある我が家まで、柿を40個持ってきてくれた。
「多いですね!?」
「やから、困っとると言ったやろう。それにしても、ここがあんたの家かどうか、分からんかったよ。……でもほれ、その札で」
おじいさんが指す先には、我が家の玄関にかかった、にっくき”4丁目東 自治会長”の文字。
最近は、地区の年中行事を三つやらされることになり、たまに過去の資料を投げ出したくなる日々。
そんな中、柿を受け取って「お茶でも飲んでいきますか?」とよその地区のおじいさんを誘う。
いや、もう帰らにゃ、妻が”何しとんや”と心配する、と彼はそのままキコキコと帰っていった。
「……」
チーン。
仏壇に柿をいくつか供え、手を合わせる。
おかん、果物好きやったよなあ……
ビールを飲みながら、しみじみとしてみた。
……おお!?
ふと手に取った柿に葉がついていて、その色に驚く。
「ここまで、鮮やかな深緑があるものなのか……」
アマガエルの艶々した肌の色も捨てがたいが、それもまた、小さく感動するくらい、美しい色合いだった。
もちろん枯れた部分もあるし、欠けた所もある。
しかし、それらを含めて一枚の葉っぱが”世界”を表しているように、作品として完成しているように思えたのだ。
「俺は、ここんとこサッパリ書けないのに……。この葉は、ある種完璧だな……」
その手の平ほどの自然作品に、小さく完敗した。
秋の夕方のビールは、一人ぼっちで飲んでも、やはり美味かった。