医務室にて
日はすっかり沈みきり飯が食いたいと言ったはずが、俺たちは敷地内の医務室で診察を受け
『記憶喪失なんだって?それはそれとして汚いから湯あみしてきなさい』
といかにもな女医者に言われたあと、風呂に入り再び医務室に戻ってきていた。
医務室とは言っても消毒の匂いがするわけではなく、患者用のベットと椅子、この世界では医者の役割を果たす治癒術師の机が置かれた簡素な部屋だった。部屋は全体的に白で統一されており花瓶に入れられた青い色のバラがよく映える。
「お、戻って来たね随分と綺麗になったじゃん」
机に向かって資料に目を通していた、肩口で切りそろえられた淡い青髪が印象的な女性がこちらを向いて話しかける。
「おかげさまで、そこそこの距離引きずられましたし」
この人も他の人と同じ制服なんだな、ただ最初に医務室に案内してくれた赤髪の女性やユーリスはプリーツスカートだったのに対してこの人はタイトスカート、改造したのか?
ちなみに俺たちを案内した後あの二人は
『終わったら食堂まで来るんだよ』とだけ言って去ってしまった。
ここの飯をご馳走してくれるんだろうか、今日は歩きっぱなしなのに何も腹に入れてないせいで今にも腹と背中がくっついてしまいそうだ。
「ユーリスにやられたんでしょ?話はアリスから聞いてるよ」
「アリス?」
誰だろう、そんな人と会った覚えはないが。
「あれ?名前聞いてないの?君たちを案内してきたあの赤髪の子だよ」
「ああ、あの人」
あの人アリスって名前だったのか。なんていうかこう・・・かわいらしい名前の割に姉御肌なのがミスマッチというか・・・
「あ、今容姿と名前が合ってないなって思ったでしょ?ダメだぞアリスもそれ気にしてるんだから」
「なるほど、気を付けます」
一種のコンプレックスみたいなものか、誰にでも一つや二つそういうものがあるからなぁ。せっかく俺たちの処遇は保留っていう悪くない落としどころに収まったのに気分を害してやっぱり拷問!となっては元も子もない。
「お前も気を付けるんだぞ」
「了解っす」
後輩にも一応釘を刺しておく、さっき共に風呂に入った時に追及を逃れる為に記憶喪失になっている設定だとは後輩に説明しておいた。俺たちは互いの名前も知らない、記憶をなくす前何をしていたのかも分からない。そう振る舞おうと。
「それじゃあ診察の続きをしようかね、さっきは君たちが砂にまみれすぎてて擦り傷も打撲も後回しにしちゃったからね」
そう言って椅子から立ち上がり棚をあさり始める。
「君たちはそこのベットにうつ伏せになって服を脱いでて、あ~、そういえば自己紹介もまだだったね。私はベルベット・リリアン・ハーパー、アリスとは魔法学校の同級生で24歳、まだまだ若いね!ベルベットお姉さんって呼んでもいいよ」
棚をあさりながら肩越しにパチッとウインク。
俺よりも年下だった。この場合お姉さんって呼んでいいのだろうか。むしろ俺がお兄さんの立場だろう。でもまぁ記憶喪失だから自分の年齢忘れてるしあまり気にしなくていいか。
俺たちがベットにうつ伏せになってからもベルベットさんは『ちょっと待っててね~』と棚をあさっていた。
ふわふわの枕に顔をうずめる、いい匂いするなこれ。
そういえばなぜだろうアリスさんには意図せずタメ口になってしまってたなベルベットさんには敬語なのに。話しやすさの差なのか、あの人はいい意味の気安さがあるように思う。
・・・話しやすさ?そういえばベルベットさんも俺たちとは言葉が通じないはずなのにちゃんと意思疎通できてる、アリスさんに話を聞いたって言ってたからその時に聞いたのか?
そんな風に思案を巡らせていると
「おまたせ~」
ベルベットさんがベットのわきまでやってきた。腕に数種類の小瓶を抱えて。そのまま小瓶を枕もとの台に並べる。中身は一体なんだろう、赤、青、緑、紫、黄、と様々な色が並ぶが何かの薬なのだろうか、少なくとも元の世界では見たことがない。
「すっごい色してますねそれ」
隣のベットで見ていた後輩が言う。
「まぁね~劇薬もあるからね」
「「劇薬!?」」
思わず声が重なる、なんてもの持ってきてるんだ。しかも俺の近くに置くのはやめて。
「まぁまぁ落ち着いて、もちろん君たちには使わないから安心して、棚の中が暗くて見えづらいから瓶を全
部出しちゃっただけだから。今回使うのはこの緑の瓶だけだよ」
劇薬なんて使わないのは当然だ。早急に元の場所へ戻してほしい。
「でもこれを使う前に少しだけ試したいことがあるの」
「なんです?」
「痛くないし危険な事でもないからそのままにしてて」
暗かったっていう理由で劇薬持ってくる人に危険な事じゃないって言われてもな。
未だに半信半疑だったがひとまず大人しくしておく。するとベルベットさんは俺の背中に手をかざした。
「それじゃあいくよ『回復』」
彼女はそう言ったが、うつ伏せの俺は今どういう状況なのか、背中で何が行われているのか見て判断するこ
とができない。
「今どうなってる?」
後輩に聞く。
「えっと、ベルベットお姉さんのかざした手に魔法陣が出てます、薄緑色ですかね」
こいつ本当にお姉さんって呼んでやがる。まぁ一応お前よりベルベットさんは年上だけど。
十秒もしないうちに試したい事とやらは終わったようでベルベットさんが口を開いた。
「う~ん、アリスから聞いてた通り魔法が効かないねぇ。言語変換魔法が効かなかったって聞いてまさかとは思ってたけどヒールもダメとは」
「今のがヒールの魔法・・・」
俺の背中にはあの子に引きずられてついた擦り傷や打撲が多数あるはず、何もしていなくても痛みを感じる。本来ヒールの魔法がどういう形で作用するのかは知らないが少なくとも痛みが引いた様子はない。
う~~んと唸り続けるベルベットさんに後輩が聞いた。
「ヒールの魔法っていうのは発動したらすぐに傷は治るんですか?」
「傷の度合いにもよるね、君たちみたいな擦り傷打撲くらいならすぐに治るけど重度の深い切り傷とかだったら上級のヒール魔法を使わなくちゃいけないし」
「上級?」
「そう、魔法にはランクっていうのが存在してね。今使ったのは初級のヒール、日常生活でつく傷くらいだったらこれで治せる。中級はお腹を裂かれたくらいだったら治せるかな、そして上級になると腕がもげて薄皮一枚繋がってる状態なら治せる」
「腕が完全に切断されてたら?」
「それは治せない、そこまで行くと治癒じゃなくて再生だからね」
「へ~」
なんだかおもしろいな。俺たちの世界では存在しない概念だ。
俺たちの興味ありげな反応に気をよくしたのかベルベットさんはまた語り出した。
「ちなみにね、初級ヒールと上級のヒールじゃその差は歴然だけど別に初級のヒールで重傷の傷を治せないわけではないんだ。ただものすごく時間と手間がかかるだけ。初級と上級の違いっていうのはその効果の範囲と魔法が影響を及ぼす力の強さの差だ。だからもし初級魔法から上へ行けないっていう子がいたらそれはマナを効率よく変換させられてないってことで・・・あ」
唖然とする俺たちの視線に気づいたのだろう。ベルベットさんは少し頬を紅潮させ笑った。
「あ、あの・・・ごめんね、夢中になりすぎちゃった。手当の途中だったね、君たちに魔法は効かないみたいだから薬草を塗っていくね」
一見知的そうに見えて実は話だすと止まらないようだ。
そそくさと瓶を手に取ったベルベットさんはコルクを抜き、中身を手に出した。
緑色のそれは液体よりかはドロドロとしていて、薬草というより薬草をすり潰したりしてスライム状になったものという方が正しそうだった。薬草に何を混ぜたらああなるんだろう。
「少し沁みると思うけどそこは我慢してね」
人差し指と中指で薬草スライムをすくって傷をなぞるように塗る。
「いっつぅ・・・」
歯をかみしめても声が漏れる、大人になって転ぶことなんて久しくなかったせいで傷口をに何かを塗られる痛みを子供ぶりに感じた気がする。
「はい、背中終わり他の所にも塗るしそのまま服をそのまま着たら薬草ついちゃうから乾かしといてね」
「わかりました、そういえばこの服って・・・」
風呂から上がった後用意されていたのは元々俺たちが来ていた服ではなかった。恐らくもうボロボロで砂まみれだったから気を利かせてくれたのだろう。
「ああ、せっかく湯あみして綺麗になったのにまたあの服着たら意味がないからね。勝手ながら私が取り換えさせてもらったよ」
「わざわざありがとうございます」
用意されていた服は入院患者が着ているような患者衣によく似ていた。真っ白なのは汚してしまわないか少し心配だが。
俺が薬草を乾かしている間ベルベットさんは後輩にも薬草を塗る。
「うわっいった何これ超沁みる痛い痛い!」
痛みに悶える後輩を、さして気にする様子もなく彼女は続けた。
「ほらここって女の子ばっかりじゃない?だから君たちのサイズに合うか心配だったんだけどちょうどいい
みたいで良かった」
「やっぱりここって女性が多いんですね、男の人を見ないなって思ってたんですけど」
「多いっていうか女の子・・・だけ?」
「え・・・?」
「アリス・・・言ってなかったのね・・・」
俺の言葉を聞いて薬草の付いていない手の甲で額を抑えるベルベットさん、というかマジで?
「その辺の説明はアリスからこの後あると思うからその時聞いてね」
「・・・了解です」
そうして全身に薬草を塗り、乾燥させた俺たちは服を着る。ベルベットさんは桶に入っている水で手を洗い、言った。
「じゃあそろそろ食堂に行こうか、あの二人ももう待ちくたびれてるかもしれないし」
俺たちはベルベットさんを先頭に医務室を出て食堂へと向かう。
この敷地内にある建物は大きく分けて三つで、一つは一番最初に俺たちが連れていかれた場所、二つ目は医務室やこれから向かう食堂がある一際大きな建物、三つ目は最初に行った建物から対角線上にある天井が体育館の様に丸みを帯びた建物。
今いるところは本館、とでも言うのだろうか三階建てのようで見方によっては大きな学校の様にも見える。
「あ~本当にお腹空き過ぎて僕死にそうですよ」
「お前は昼に食ってただろ」
「食べたっていっても少しだけじゃないですか、あんなのじゃ全然足りませんって」
「君たち仲いいね、お昼ご飯何食べたの?」
やべ、ついいつもの調子で話してしまった。顔も名前も知らないって事で通さなきゃいけないのに。
「二人で街を彷徨ってたらいつの間にかって感じっすかね~、一蓮托生みたいな?」
「なるほどね、運命共同体だったんだもんね」
ナイスフォローだ後輩、この世界に来て初めて役に立ったんじゃないか?
「昼飯は持ち物の中に入ってたよく分からん白いのを食べた」
「よく分からんって・・・よくそんなの食べようと思ったね・・・」
ただのおにぎりだけど説明の仕様がないからな。
「いや、食べたのはこいつだけで俺はあの金髪の子に襲われて食べれなかったんだけど」
「ユーリスか、本当にごめんね同じ団員として謝るよ」
ベルベットさんは頭を下げる。
「いや、もうあの子にも謝られて悪気はなかったって分かってますから」
「そっか・・・ありがとうね、ところで・・・君たちって荷物を持ってたの?ここに来たときは何にも持ってなかったって聞いたけど」
再び歩き出しながらベルベットさんが聞く。
「まぁそうっすね、でも金髪の子に捕まった時に置いてきちゃったんすけど」
「ふ~んそうなんだ、結構無理やりだったよね・・・そうじゃないとあんなに傷はできないもの」
俯いて申し訳なさそうな顔。いい人だなぁベルベットさん。
「ごめんなさいね、もう許してくれたっていうのに。さぁ着いたよ食堂に!」
きっと意識して明るく振る舞ってくれているんだろう。医務室と同じ一階にある食堂の扉前に到着した。
もうすでにいい匂いが漂ってきている。ベルベットさんが両開きの扉に手をかけ開いた。
鼻の中を吹き抜ける数十時間ぶりの食べ物の香り。食堂の中はまるで貴族の食卓のような深紅を基調とした内装になっている。そして長テーブルと椅子に座り食事を楽しむ女性たち。彼女たちは一様に同じ制服を着ていた。
その中からこちらへ勢いよく駆け寄ってくる二人の影がある。
「おそーーーーーーーーい!!」
赤髪の女性と金髪の少女。
食堂の中は走っちゃダメだろ・・・。
あ・・・よく見ると金髪の子、めっちゃ早歩きしてる。
そこまで真面目を通してるのね・・・
前回した次回予告の場面まで行けなかった。申し訳ない。次の話では確実に行けるはず。
次回『あんた、その子と同棲しな』