自白
「ユーリス、あなたの名前はねお母さんとお父さんが困っている人を迷わず助けられるような強さと優しさを持つ女の子に育ってほしいって想いを込めてつけたものなのよ」
暖炉の前で安楽椅子に揺られる金色の髪の女性。その膝の上には同じ髪の色の女の子がうつろうつろしながら座っている。
「だからね、あなたがもし大切な人を見つけて赤ちゃんができた時にはうんと悩んでこれが一番だ~っていう名前をつけてあげてね、妥協なんてしちゃダメよ一生自分を表す言葉になるんだもの」
ゆっくりと女の子に語りかけるその瞳には愛おしさと慈しみが溢れている。
「あら、私ったらなにを言っているのかしら。この子はまだ2歳になったばかりなのに気が早すぎるわよね。・・・でも」
すやすやと寝息をたて始めた娘への視線が悲しみのものへと変わった。
「私はきっと孫の顔は見られない、それどころかこの子が大人になるまでも・・・だからせめて悔いのないように伝えるべき事は伝えなきゃ」
これは少女が夢と現実の狭間で唯一覚えている母の記憶。
時が過ぎ3歳を迎えた頃にはもう母親の姿はどこにもなかった。
―――――――――
「シーズリー・アーツ・フェイシア、なかなかいい名前じゃないか」
フィアナさん、ベルベットさん、後輩、俺とユーリスでテーブルを囲み昨日考えてくるよう言われていた名前を発表しながら朝食をとっていた。
といっても俺とユーリスはもう食べた後だったためカップに野菜入りスープを注ぎ手元に置いてちびちび飲んでいる。食事中の三人も俺達にじっと見つめられたままじゃ食べにくいだろうしな。
「俺の事を呼ぶときはシズって呼んでほしいな、ユーリスもそうしてるし」
「シズ、ね。いいじゃない呼びやすいし」
フィアナさんとベルベットさんにお墨付きをもらい隣に座るユーリスは安心したように少しだけ表情を緩めた。
「じゃあ次は僕の番っすね!僕の考えた名前はスゴイっすよ~かっこいいっすよ~」
やけに自信ありげだな一体どんな名前なんだ?
「そこまで言うなら聞かせてもらおうじゃないか」
興味を煽られたフィアナさんも食事の手を止め後輩の自慢の名前に耳を傾ける。
「よく聞いてください!僕の名はアマナ・リニアル・ウォルハングっす!かっこいいでしょ?」
一人盛り上がっている後輩をよそに俺達の視線は冷たい。
「なんかこう仰々しいな」
「悪人が使ってそうな名前だねぇ」
「あっこのスープ美味しい」
「僕の名前に否定的すぎません!?ベルベットさんに至ってはもう話聞いてないし!」
俺達のあまりの反応の悪さに後輩は腕を組んでふてくされる。
「別に褒めてもらわなくても僕はいいと思ってるんで傷つきもしないですけどね!」
「まぁまぁ、それで何て呼べばいいんだい?アマナかい?」
「うーん個人的にはウォルハングってとこが気に入ってるんすけど呼びにくいならアマナで大丈夫っす」
ウォルハング、ね。呼ぶには少し長いな、あとちょっと恥ずかしい中二っぽくて。俺もアマナって呼ぶことにしよう。
「分かった、シズとアマナだね」
そう言ってフィアナさんは席を立つ。それに続いてベルベットさんも食器をまとめ始めた。
「どこか行くんですか?」
「これから騎士団員全員で朝礼さ、二人にも前に立って話してもらうからね」
うげ、マジかそういう目立つのって嫌いなんだけどな。今までだってなるべく大勢の目に晒されないように生きてきたってのに。
意図せず顔に出ていたのだろう、フィアナさんは俺の表情をよんで続ける。
「悪いがこれは強制だ、これから一緒に働くってのに挨拶もないんじゃ上手くいくもんもいかなくなるだろう?」
その言い分は理解できる。日本でも新人社員が挨拶をするのは当然だ、それで会話のきっかけを作ったり人間関係を円滑にすることもできるだろう。
「分かりました・・・自己紹介程度でいいんでしょう?」
「ああ、じゃあ15分後第一修練場に来ておくれ。案内はユーリスに任せる」
「了解です」
そのまま二人は食器を厨房に返し食堂を後にした。
しかし自己紹介か・・・新人の気分になるのも久しぶりだな。これから雑用とはいえ騎士団の一員になる、フィアナさんに昨日は敬語を使ってはいなかったが改めないとな。入ったばかりの新米が団長にタメ口なんて使ってたら他の団員になにされるか分かったもんじゃない。
だがそうなるとユーリスにも敬語を使わなきゃならん。なんたって騎士団のナンバー2だ、幸い俺には年下にさん付けで敬語を使ったところで傷つく自尊心はない、というかそういうプライドみたいなものが極端に低い。だから例え後から入社した新人に先を越されて上司と部下の立場が逆転したとしても全く気にはしないのだ。
「では、少し早いですが私達も移動を始めましょうか」
フィアナさん達がいなくなってから5分後ユーリスも席を立つ。
5分前行動どころか10分前行動とは、真面目さが滲み出てるな。
「分かりました、ユーリス・・・さん」
俺の言葉遣いの違いにすぐさま気付いたユーリスは首を傾げた。
「何故、突然敬語なのですか?」
まぁそう思うよな、いきなり他人行儀なんだから。しかしそっちの方が立場が上だからと俺から言うのもな、こういう時の空気を察するってのは日本独特なんだろうか。
遠回しにどう伝えようかと頭を捻っていると後輩が口を開いた。
「この人今日から立場が上のユーリスさんや周りの人に気を使ってるんすよ」
「私や他の騎士団員に、ですか?」
「そうっす、ユーリスさんはいわば僕らの上司に当たる人なんすから。それに騎士団員の皆さんから見れば
新参者が副団長に敬語を使っていないんすよ、常識がなってないって良く思われないっすよねぇ普通は」
後輩が俺の言いたいことを全て言ってくれた、がお前も俺に対する態度は相当のものだったけどな。今も。
「確かにそう・・・ですね。役職がある以上は態度や言葉遣いも改めないといけませんね」
心なしかユーリスの表情は暗い。だがこれが社会においてのマナーだ、ユーリスが良くても周りが許さないだろう。しかもここは騎士団上下関係が崩れては様々なバランスも崩壊する。
「私はこれまでのように接して欲しいと思うのですがそれではシズの肩身も狭くなってしまいますよね」
「そうだな、俺達はこの騎士団内で生活することになる。なるべくいさかいは避けたい」
「・・・分かりました、今後仕事で私と関わるときは敬語で話すようにしてください」
「そうする、・・・そうします」
目の前にいるのが一回り年の違う少女なだけにどうしても敬語が最初に出てこない、これは意識がけて慣れるしかなさそうだな。
「多少時間が遅れ気味です、朝礼に急ぎましょう」
遅れ気味というのはユーリスの中でだけで実際には朝礼の開始まで5分以上の猶予があった。だけど上司の言う事には従わないとな、フィアナさんとベルベットさんにならい俺達も食器を返却口に返し食堂を出た。
「第一修練場に集合って話だったがどれなん・・・ですか?」
本館から出た俺と後輩はユーリス先導の下一度外へと連れてこられていた。この本館というのは敷地内に3つある建物の中で一番大きいから俺が勝手にそう呼んでるだけなのだが、本来はなんて呼ばれているんだろう。
「第一修練場はあれです」
ユーリスが指をさした先にあるのは屋根が丸みを帯びた木造の建造物だ、例えるならまさしく体育館。
「あれだったのか」
「ていうか第一修練場があるなら第二修練場もあるんすか?」
「ありますよ、と言っても第二修練場はただの平地なんですけれど」
ただの平地って俺が想像するにそれ運動場なんだが、いよいよ学校っぽくなってきたな。
「その二つの修練場って用途によって使い分けてる感じなんすかね?」
「はい、第一修練場は防御魔法の詠唱練習や基本的な剣技を個人で磨くための施設です。一方第二修練場は攻撃魔法の詠唱練習、剣での対人訓練を目的とした場所です」
「第二修練場の方が実践的なんすね」
「そうですね、だからこそ野外に修練場を作りました。魔法の失敗で周囲を塵にされても困りますから」
塵って・・・そんなおっかない魔法を日々練習してるのか、普通の人間にそんなの使って大丈夫なのか倫理的に。
昨日ユーリスが国の外を守っている騎士団の話をしてくれたがこんな魔法を練習してるくらいだしそいつらは一体何と戦っているんだろう人間ではないのかな。
「ついでにその他の建物も説明しておきます、私たちが先ほど居た食堂や医務室のある一番大きな建物は本館と呼ばれています。あの中には図書館や談話室など様々な部屋がありますが二人の仕事にはそこの掃除なども入るかもしれません」
俺は振り返りここからでも目視できる本館を眺める、外観だけでも3階建てでその大きさが十分分かるがまさかあれ全部の掃除を・・・?ダメだ考えるだけで頭が痛くなってきた。
「修練場の話はしましたし後は会議室ですね、会議室は昨日私が最初に二人を連れて行った場所です。普段
は利用されることがないので団長が書類整理に使っていたりします」
俺と後輩がユーリスに連行された場所、大きなガラス窓と長机が印象に残っているあそこが会議室か。なら昨日初めて会ったフィアナさんは書類を片付けている途中だったのかもしれない。夜飯の時だって他の団員がまだ食べてるのに一人仕事へと戻っていってた、騎士団の長は俺が思っているよりずっと多忙なのかもしれない。
「着きました」
左右を芝に挟まれた砂地の上を歩くこと数分第一修練場へと到着した。
「お、やっときたね~もうすぐ始まるよ~」
両開きのドアの前で俺達を待っていたのはベルベットさん、その腕には布が掛けられている。
「すみません遅くなりました、それは?」
深い緑色の地面についてしまいそうなくらい長い布、その布の厚さも中々のもので冬の寒さも凌げてしまいそうだ。
「これは君たち用のマント、さすがに今の恰好じゃ皆に見せられないでしょ?ほんとはちゃんと服を用意してあげたかったんだけど街の服屋さんはどこも開くのが遅いからね、少しの間これで我慢してもらえないかな?」
「いえいえ、ありがたく使わせてもらいます」
それぞれベルベットさんからマントを受け取る。
「これ割と重いっすね」
「ああ」
「そりゃね、騎士団愛用の遠征にも使われるマントだからね。ちょっと重いけどその分機能性に優れてて汚れもすぐに落ちるし冬でも寒くない、ちなみに君たちに渡したのは深緑で私たち騎士団は深紅で統一しててねそれ着て整列した時の壮観さといったらもう―――」
湧き出る湯水のように止まらないベルベットさんのマント演説、どうやら好きな物の話になると止まらないみたいだ。少々気が引けるがここらでおさめてもらわないとマジで遅れる。つかユーリスが止めてくれるのが一番角が立たないんだけどなんで静観してるんだ。
直立不動で佇む姿は美しさも相まってまさしく彫刻、ってあれ寝てないこれ?大丈夫?目は開いてるのに呼吸は一定でなんかスース―聞こえるんだけど。
「・・・ハッ!寝てません」
ペンギンか。一人は延々としゃべり続けてるのに一人は寝てる、なんだこのカオス空間は。
「あの~ベルベットさんそろそろ」
マントの良さから騎士団の魅力に派生した話を打ち止めたのは後輩だった。
人が気持ちよく話してる所によく躊躇なく水をさせるな、俺お前のそういう所尊敬するぞほんとに。
「あっそうだった!時間時間!二人とも急いでマント羽織って!」
羽織るったってこんなの着た事もないから勝手が分からんぞ!?
一応纏ってみたのはいいが首元の留め具が上手く締まらず手こずる、あーでもないこうでもないと色々試していると
「シズ、貸してください」
俺の真正面に立ったユーリスが手を伸ばしてきた。
「あと、少し屈んでください」
「お、おう」
手慣れた手つきでシュルシュルと留め具に紐を通していく。
ち、近い・・・!首元をユーリスへ近づけるため俺は前屈みの体勢、この状態でユーリス自身の顔も接近しているのだから意識しないようにしようとしても無理な話だ。とりあえず息を止めておこう。
「できました」
ものの10秒ほどで締め終わりユーリスは一歩下がる。
「ああ・・・ありがとう」
「いいえ」
我ながら恥ずかしい話だ、たった10秒とはいえ9つも年の離れた少女に見惚れてしまっていた。日本なら事案か?いやこれくらいの事ならセーフだろう。しかもユーリスは眉一つ動かさず特に気にする様子もない、俺の顔がもっと良ければ反応も変わっただろうか。
・・・きっと将来はさらに美人になるんだろうなぁ。
「さ、そろそろいいかな?」
後輩とベルベットさんがニヤついた顔でこっちを見ていた。
「・・・手間取りました大丈夫です」
「じゃあいいものも見れたことだし張り切っていこうか~!」
冷やかしはやめてくれ、思わず額に手を当てる。
「あ、自己紹介の事だけど先にアリスが全員に事情の説明と言語変換魔法かけてるから気にせずそのまま話してね」
「了解っす」
ベルベットさんが扉に手をかけ開く、鉄の擦れる音と共に少しずつ中の様子が見えてきた。
修練場の中は広く長さは40メートルほどあるか、天井は俺がボールを精一杯投げたとしても届くかギリギリなくらいには高く、風を通すための窓も開け放たれて朝の新鮮な空気を室内へ取り込んでいる。
その中で俺達から向かって左に立つ赤髪の女性へ肩幅に足を開き一ミリもはみ出すことなく縦5列に整列した純白の騎士たち、俺達の存在には気づいているはずだが誰一人として目を向ける者はいなかった。
衣擦れの音一つしないこの空間に俺達は足を踏みいれる、張り詰めた空気には緊張感が漂い自分の足音でさえもうるさく響き渡る。
ベルベットさんとユーリスの後に続き連れてこられたのは赤髪の騎士団長、フィアナさんの隣だった。フィアナさんと同じように正面へ顔を向けると見目麗しい女騎士が並ぶ。
「この二人が今日から共に働くことになったシーズリー・アーツ・フェイシアとアマナ・リニアル・ウォルハングだ。二人共、挨拶を」
騎士たちへ呼びかけた声がこだまし俺と後輩に前へ出るよう促す。
この状況で自己紹介か、無理やりにも程があるだろう。できれば転校初日のホームルームでざわつく教室ぐらいには場を温めてからバトンを渡して欲しかったもんだ、こんな雰囲気で小粋なジョークでもかました日にはド滑り確定、冷ややかな視線を浴びせられる事になるぞ。
ここは名乗ってよろしくお願いしますって頭下げるのが無難か。
俺は一歩踏み出しいつもの調子で声を発する・・・つもりだった。
先に前へ出る奴の姿を見るまでは。
「――僕の名前はアマナ・リニアル・ウォルハングです!異世界から来ました!」
「・・・・・・は?」
意図せず間抜けで素っ頓狂な声が漏れていた。
たこ焼き食べたい




