異世界への扉
その日、王宮では国が始まって以来、もしかすると戴冠式と同じかそれ以上の催しが行われていた。
巻き起こる喝采、降り注ぐ紙吹雪、この国の歴史に刻まれるであろうこの良き日に主役にまつりあげられた俺は今すぐ家に帰りたかった。
何故こうなった。
俺はただ後輩から恋愛相談を受け、この世界では身分の高い人だっていうからどうすればおとせるか一緒に考えてアドバイスをしただけなのに、なぜ今王宮のど真ん中に、いくらするともわからない無駄に背もたれの長い、いかにも純金使ってます、みたいな座り心地最高の椅子に座らせられているんだ?
俺の正面にはこの国の王族や数百人の貴族が跪き、それぞれの両手を握って祈りをささげている。その先頭、俺から一番近い所にいる新国王と目が合った。
するとそいつは俺にパチッとウインクをかましてくる。
自分のこめかみがピクッと動くのを感じた。ぶん殴ってやろうか。
だが俺の気持ちなど全く分かっていない様子のこの新国王は再び目を閉じ祈り始める。
どうすんの、これ。
前国王が急死し、新国王が定めたのはこれまでこの国にはなかった国教だった。
前国王は国民が信じるべき神は自由だとして何も手を加えなかったらしいが・・・なんで俺がこの国の国教になってるんでしょうねえ・・・
ハッキリ言ってしまおう、ここはいわゆる異世界だ。なんの脈絡もなく言われてもは?と思うかもしれない、だけどそれが事実である。
だが別にトラックに轢かれて異世界に~だとか、気が付いたら異世界に~みたいな異世界転生とかそういう話ではなく、科学技術の進歩が生み出した空間移動、その結果が本来俺たちがいた日本、地球という枠を超えて世界という枠を超えて誰も到達しえなかった異世界への扉を開いた。という話である。
空間移動を研究しその第一人者となった黒木場征大は、政府の多額の援助を拵え、見事『異世界への扉』を完成させた。が、のちに彼は消息不明となる。
彼が生み出した『異世界への扉』は文字通り見かけはただの両開きの扉である。その扉をくぐるには多量の電流をナントカとかいうエネルギーに・・・悪い、あの変態じじいの脳内は俺なんかにはわからん、というか地球上を探しても異世界への行き方をあのじじいと対等に議論できる奴なんかいないと思うんだけど。
まぁとにかく、扉は完成しまずは実験として黒木場征大、実験室の研究員、計5人で扉の向こうへ行った。確たる証拠を持ち帰り政府へ提出しなければ成功とは認められないからだ。だけどなによりも黒木場征大は確証が欲しかったのだろう。自分のこれまでの人生をかけた研究、その成果と扉の向こうにあるはずの異世界。
あの白髪と白ひげを生やしたじじいが豪快に笑いながら俺に言っていた。
『確かにそこにあるはずなんだオレが求めていたものは、オレの人生全てを使ってでも見つけなきゃいけねえものが、そこに行くまではオレは死ねねぇんだよ』
その努力と決意の賜物か異世界への第一陣は見事、帰還を果たし、あちらの世界の土と扉を出てその周辺の数十枚の写真と映像を持ち帰った。
異世界への訪問一回目という事もあり、その世界に存在する生物などとは接触を避け持ち帰った土壌と写真、映像の解析を行った。その結果木々や植物などは見た限り現在の地球に植生しているものと似通ってはいるものの細部に違いが見られることから次回に採集、結果を持ち越した。そして土壌に関してだがこちらは基本的に含まれている物質は地球と同じ、しかし微量に今まで地球では発見されていない未知の成分が検出された。
その結果を政府に提出、受理され第二回の異世界調査は政府が選出した科学者が黒木場征大主導の下に行った。
そしてその時持ち帰って来たのが、手のひら程の植物5種類と、木の幹をナイフで剥いだもの、そしてその世界の空気だった。
その研究結果は、植物5種類のうち1本が新種、木の幹は地球にも存在する既存のものだった。そして第二回目の調査で一番の成果と言えたのが空気の分析だ。採取した空気からは地球と同じように酸素、二酸化炭素など人間が生きていける条件は揃っていたが、解析した成分の中には土壌に含まれていた成分と同じものが見つかった。だがその成分は空気の中の方に多く含まれており、土壌から検出されたものは空気中に漂っていたものが地面に付着していただけではないか、という見解がなされた。
第二回調査が終わり第三回調査の三日前、それは起こった。
このプロジェクトの要である黒木場征大が消息を絶ったのだ。彼無しでは正直言って調査の続行は難しい。というのも『異世界への扉』の整備方法は彼しか知らないのである。データでも紙でもいいからやり方を残しておいてくれればいいものを。
黒木場征大という男は昔からそうだった、優れた頭脳を持つがゆえに己の考えを己の中だけで完結させてしまう。他者にやり方の理解を求めない、全て自分がやればいい、とそれが見事に裏目に出た訳だが。
黒木場征大が消息不明になったことにより本来第三回調査に向かう予定だったメンバーが難色を示し始めた。彼ら曰く
『安全性の問題から辞退させていただきたい』
だそうだ。元々未知の世界に行くのに安全性もクソもないだろ。
結局メンバー全員が辞退し、黒木場征大研究所に募集がかけられ、俺と後輩の2人だけが参加した。
別に安全性だとかそういう不安はなかった。前回の調査後にメンテナンスは済ませてあるだろうし、なによりあのじじいが目指した異世界をこの目で見てみたかった。
第三回目の調査で持ち帰るものは3つ、土壌、できる限り多くの植物、空気、これまでと同じものしかねえな。もっと多くの研究材料が欲しいって事か。いくら平研究員の俺でもおつかいくらいはできるさ、頼りにならない後輩も一緒だけどそれはそれ。むしろピクニック気分で気軽に行こう。異世界に弁当持ち込むのってありなんだろうか、こっそりおにぎりくらい持って行ってもバレんだろ。
第三回異世界調査当日、扉をくぐるのは12時ちょうどその一時間前になっても黒木場征大は現れない。今回の調査は異世界に関する情報を多少なりとも集めたい政府が半ば強制的に決行したものである。おかげで責任だのなんだのの誓約書を3枚ほど追加で書かされた。
話は変わるが『異世界への扉』が完成し現在調査中であることはメディアなどには伏せてある。テレビやネットニュースを見ていてもその筋の記事はなかった。ちょっとだけ緊張してきたな、コーヒーでも買ってくるか。
『異世界への扉』は黒木場征大研究所の三階、エレベーターや厳重なロックをいくつも超えた先にある。その部屋では現在黒木場征大抜きでもできる所までの最終メンテナンス中。俺は別室で待機、コーヒーを入れるだけなら備え付けのコーヒーメーカーでできるのだが、今は自販機に売ってあるのが飲みたい、微糖な、ブラックなんて以ての外だ。一階まで行くか。
部屋を出ようと自動ドアの前にたった。当然横にスライドして開く、が俺の進行方向には腰に手を置き鼻をフンスッと鳴らす男が立っていた。
「先輩!おはようございますっ!」
「失せろ」
「えぇ!なんで!?」
「コーヒー買い行くけどお前もくる?」
「奢りですか!?行きま~す!」
「絶対奢らねえ」
初めて聞く人がいればパワハラと思われるかもしれないこの会話、だがほぼ毎日俺たちはこういう会話を繰り返している。いわば俺たちなりの挨拶だ。
だから別に、俺の隣を歩く栗色の髪をしたいかにもお姉さん方に好かれそうな顔のこいつは気にしないし、俺も言い過ぎたとかはない。
エレベーターのボタンを押し乗り込む。壁に貼ってある『白衣は清潔に保つ事!』という張り紙をボーっと眺めてふと、今着ている白衣の裾に目をやると茶色いシミができていた。うおっマジかよもう少しで異世界に行くって時に・・・替えの白衣あったかな。
「先輩」
一瞬誰の声だとも思ったがエレベーターには2人しかいないし、いつも能天気なこいつにしては随分と真剣そうな声色だった。
「どした~」
「もうすぐ時間・・・ですね」
「そうだな」
なんとなくこいつの言いたいことがわかった気がした。
「緊張してんのか」
「それなり、ですかねもちろん楽しみでもあるんですけど、先輩はどうですか?」
「ああ、俺も緊張してるし不安さ昨日も8時間くらいしか寝れなかった」
「めっちゃ寝てるじゃないっすか」
「ところでお前今日はちゃんと弁当なりパンなり持ってきたか?」
「なんでっすか?調査から帰って来た後に外食しようと思ってましたけど、帰ってこれるかは分かりませんが」
「はぁ、お前は分かってねえなぁ」
小首を傾げる童顔野郎に俺は家から持ってきたおにぎりを見せる。
「おにぎり?」
「これ持ってってあっちでピクニックしようぜ」
「うわーこの人全然緊張してないしむしろ楽しみにしてる~」
チン、とエレベーターが1階着いたことを知らせた。
「ほれ行くぞ」
自販機で微糖のコーヒーとイチゴオレを買った俺たちはちびちび飲みながら待機室まで戻る。
それにしてもイチゴオレて、女子か。どこまでも年上受けしそうなやつだな。しかも狙ってるわけじゃなく天然っぽいのがさらに怖い。ちなみにこの男は現在彼女とかはいないらしい。まぁ一ミリも興味はないがこの間飯食ってた時に言っていた。もちろん俺も言わずもがな。だいたい結婚とかは今年26になった俺にはまだ縁遠い。縁遠いのか?縁遠いってことにしておこう。しておいて。
部屋に戻った俺たちは今回の調査の資料を読み直す。壁に掛けられた時計の秒針がえらく大きな音をして煩わしい。どうやらその楽しみ、という感情に起因した妙な緊張はこの部屋の俺だけでなく後輩も感じているようでパラパラとせわしなく紙をめくる音が聞こえる。
カチッと針と針が重なる音。それと同時に待機室のドアが開かれた。
「失礼する」
そう言って入って来たのは黒いスーツに身を包んだオールバックの男。眼光鋭く突き刺すような視線で俺たちに告げる。
「時間だ、『扉』の準備は既に出来ている。準備でき次第こちらの部屋まで来るように」
それだけ言って踵を返す。だが歩き出さない。
「言う必要はないと思うが、間違っても余計なものをあちらへ持ち込まないように、これから君たちが行うのは調査であり、遊びではない」
「そんな馬鹿なことしませんよ、俺達だってそこはちゃんと弁えてる」
フンッと鼻を鳴らし部屋を出ていく。あの黒服は政府から派遣されたこのプロジェクトの監視員であり、上層部への報告係。
あの態度は気に食わんが、俺たちがやっている事の重大さを考えればあの威圧も仕事の内なのかもしれない。
「よし、行くか」
膝を打って椅子から立ち上がり、あらかじめ持って行く物をリュックにまとめておいた俺たちは忘れ物がないか、確認を手短に終わらせ部屋を出る。
「でも先輩、あの黒服の人も言ってましたけど、おにぎり持って行くのってアウトじゃないですか?」
「あ?おにぎりは俺の昼飯だぞ余計なものなんかじゃねぇよ」
「あっそっすか、まぁ確かに何が余計なものか言われませんでしたしね。指定しなかったあっちが悪いってことにしときましょ」
「そうだな」
何度もカードキーをかざしながら俺たちは進む。待機室と目的の部屋は同じ階にあり距離もそんなに離れてない。だがその間には計6枚のロックが掛けられた扉があり一枚ずつ違うカードキーの認証が必要となる。俺たちは5枚目の扉の認証を終え、最後の扉を前にする。この扉だけはカードキーだけではなく、指紋と虹彩の認証も必要になる。
「開けるぞ」
「・・・はい」
俺はカードキーを差しパネルに手を当てレンズに瞳を写した。
電子音と共に扉がスライドする。部屋の中には白衣を着た研究所の人間と外部から派遣された科学者、黒服を纏った政府の人間、総勢20名弱が俺たちの到着を待っていた。俺たちはそいつらの視線を浴びながら奥へ進み、現れたのは黒木場征大が血と汗を滲ませ作り上げた夢への入り口。
『異世界への扉』
扉の前で腕を組み待っていたのはあのオールバックの黒服。こちらの存在に気付くと腕時計をチラと見て
「まぁ、誤差の範囲ですかね、では説明を始めますよ。扉の前へ」
人が大勢いるからって喋り方変えやがったこいつ。
「誤差の範囲とはいえ当初の予定より数分押しているのは確かです。手短に今回の調査の目的を浚います。まず、あなた方にはこの扉をくぐり異世界へと行って頂きます。この扉の先は見晴らしのいい草原へと繋がっており、あなた方にはそこで前回、前々回同様に土壌、植物、そして空気の採集を行って頂きます。もちろん寄り道や余計な散策などは許されません。目的を果たしたら直ちに、早急に、帰還して下さい。なお、不測の事態が発生し、あなた方の生命が失われたとしても我々は一切の関知を致しませんので。そこの所は誓約書にサインして頂いた通りです。私からは以上となりますが何かご質問は?」
ねぇよ。俺たちが死んだ時の説明までしていただき大変分かりやすうございました。もうちょっと愛想良くできないのかね、そんなんじゃ結婚とかしても奥さんとうまくいかねえぞ。
俺たちは沈黙をもって答えた。
「よろしい、時計は持参していますね?どんなに遅くても一時間で帰還するように」
これまで扉の前に立っていたオールバックが道を開ける。心臓が高鳴る。胸をギュッと掴んでも中から心臓が叩いてくる。もしかしたら移動に失敗して死ぬかもしれない。だけどもしかしたら俺が今まで見たことのない世界へと行けるかもしれない。
後輩と顔を見合わせる、木製にも見える茶色い扉その金色の取っ手に手をかけ開く。
この先は異世界の草原―――!
飛び込んだ俺たちの目に入ったのは
―――様々な人が行きかう、喧騒に溢れた街だった。
扉がひとりでにカチャッと音を立てた。
異世界って打つとなぜか伊勢丹って変換されるんです。