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夏の川岸‐大阪雑感その5

作者: 矢積 公樹

 先日読了した開高健の『破れた繭 耳の物語❋』には、まだ学生だった頃の小説家が7歳年上の女‐後の妻‐と性愛に耽る様が描かれている。それによると、戦後間もなくの扇風機もエアコンもない時代、当時の女の住まいにほど近い大和川の川岸の夏草の茂る中に身を横たえ、物陰から子供達がのぞき見る中で体を交わした、とある。


 現在の住所に移り、職場が変わり、さらに長距離や砂利道を苦にしないマウンテンバイクを入手したことで、勤務先と自宅のほぼ真ん中に位置する大和川の河原もそれほど遠い場所ではなくなった。

 はるかかなたに入道雲が見える夏の昼下がり、出来るかぎり川沿いの裏通りを選んで走る。大阪市の大和川沿いの街は戦時中の空襲の影響が少なかったことと、また川沿いをかつて鉄道が走っていた名残もあり、戦後に整備された他の街区のような東西南北をまっすぐ走る街路が少ない。小回りの効く自転車でさえも進入をためらうような細い路地に出くわすこともしばしばで、以前勤務していたリサイクル店の、配達の軽トラックの助手席でケータイの地図アプリを必死になって検索していたことを思い出したりもする。職場が変わったことでエアコンのない15年物のトラックで走り回らなくてもよくなったが、そのかわりかつての勤務先のほぼ倍の道のりを自転車で走って通勤するようになった。


 心地よい汗が肌に浮かんできた頃に歩道の切れ目を見つける。そこから急な砂利道の坂を慎重に降りると、細いながらもアスファルトで舗装された道にたどり着く。

 対岸には中世の古城を思わせる壮大なマンションがそびえ立つが、その左右に並ぶのはおそらく戦後あたりから住み続けているであろう人達の、30年近く前に建てたであろう小さな2階建てがほとんどである。夏草は舗装路の左右いっぱいにまでせり出し、先を走る自転車の姿はたちまちのうちに蔓や葉にうもれて見えなくなる。

 マウンテンバイクを停めて、バックパックから保冷ボトルを取り出す。氷水でひと息入れ、汗をぬぐうためにサングラスを外すと道の砂利が思いのほか強い光を反射してくるのに気づく。


 小説家が大阪から東京に移ってからしばらくすると大和川は深刻な汚染に見舞われ、やっと最近になって水生生物が棲めるぐらいの水質まで回復しつつある。河が汚濁にあふれるよりもずっと前、戦火が全てを焼きはらった大阪の街を彷徨うのに疲れ果て、女との交歓に没頭していた頃の小説家はむせかえるような草いきれと、工場の排気や自動車の排ガス、夜を徹して街を照らす灯りに荒らされる前のひたすらに広い夜空と、その中でまたたく星に囲まれながらこの河原に身を投げ出していたことであろう。


 70年以上経った今も夏はこの河原に焦げるような熱波と、川面を渡る涼やかな風を連れてくる。アカトンボがどこからか飛んできて、草むらの向こうに去っていくのが見える。

(了)

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