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第2話 第1章 結晶花

 メルヴィルが教室を水浸しにした翌日、まことは教わったとおりに学用品の準備を済ませて、白く輝くエントランスでジャックと供に主人を待っていた。


「遅いですね、メルヴィル様」

「そうですね。本日は珍しくご自分でご起床なさっていましたが」


 昨日と同じように少々勢いよく起こす、と思われたが、今朝はノックに返事があった。寝起きでもよく通る声は変わらず、ノックの役目を仕ったまことが肩を揺らしたのは記憶に新しい。


「元気になったと思ったんですが、やっぱりどこか…」

「確かに昨日は少々消沈していましたが、朝さっさといらっしゃらないのはよくあることですよ」


 差し入れる朝日に照らされたジャックの笑顔が眩しい。そわつくまことを、通りがかる使用人たちは生ぬるい笑顔で見ていたが、エントランスでジャックが待ちぼうけを食らうのはままある光景らしい。


「他の者が何も伝えに来ないのですから、とくに問題はないでしょう」

「なら、いいんですけど」


 しかして、姿勢を正して二人で行儀よく待っていたが、エントランスが青白い空気から黄金色に輝き始めても主人は現れなかった。


「あ、あの、いつものこと、みたいですけど」

「砂時計半分までは待とうと思っていましたが、とっくに一本分過ぎてしまいました。仕方ないですね」


 行儀よく佇んでほとんど動かなかったジャックがとうとう階段の方を振り返る。その気配をまるで読んだように、磨き抜かれた靴の爪先が現れた。


「待たせたな、二人共」

「参りましょう、フォーラとアリスも待ちきれないとばかり」


 そう言って玄関を開け放すと、もうすでに馬車が準備されていて、繋がれた二頭の馬が鼻を鳴らし、蹄を踏み変えた。


「どなたが待ってるのかと思いましたが、この馬たち、フォーラとアリスっていうんですか」

「そういえばご紹介していませんでしたね。話は馬車に乗ってからといたしましょう」


 馬車に乗り込むと、御者の短い声とともに走りだす。心なしか昨日よりも軽快な振動を感じる。いらついたような様子だった馬たちが、やっと走れて逸っているのかもしれない。


「メルヴィル様、二頭とも興奮してますよ」

「いつもフォーラとアリスには頭が下がるな。待たせた礼に、帰ったら厩舎に伺うとするか…」

「ぜひそうなさってください。いつも我々のために走ってくれていますから」


 和やかに話している主題は馬たちのようだ。親しみを込めたその様子だと、二頭とも昔からキャンベル家にいるのだろうか


「フォーラとアリスは、いつからあのお邸に?」

「ボクの生まれたときからだ。もう14年になるか」

「へえ…じゃあずっと一緒なんですね。お姉さんみたいなものでしょうか」

「姉…そうだな、確かにあの二頭には良くしてもらってる」

「二頭とも、誇り高いですから。メルヴィル様でも礼を失すると背に乗せてもらえませんでしたね」


 まるで本当の家族のように二頭のことを語っている。いや、本当に家族なのかもしれない。馬も乗せる人を選ぶというから、パートナーみたいなものなのだろう


「ちなみに、どちらがどちらなんですか」

「青毛のほうがアリスで、黒鹿毛がフォーラだ。とくにフォーラは頼りになるが気が強いから、失礼のないようにな」


 聞いてみたものの、馬の毛色の種類がわからない。真っ黒ツヤツヤと、少しアンバーがかった大柄なほう。どっちがどっちなのか… 今ここで聞くのは恥ずかしい気がして、へえ、とだけ言っておいた。あとでジャックに聞いたら教えてもらえるだろう


「では、行ってくる」

「いってらっしゃいませ」

「い、いってらっしゃいませ」


 昨日と同じように校門に馬車が着くと、メロは先に降りた二人の前を颯爽と歩いていく。


「おはよ~メロちゃん!」

「メロ、今日は少し遅いんじゃないか?」

「ああ、今日は少しな」


 すぐに生徒に囲まれて見えなくなる主人を見送ってふ、と息をつく。今日もこのまま控え室に行くのだろうか。御者が去ってしまう前に二頭の馬の名前を確認しておきたい。


「あの、ジャックさん」

「はい、難でしょう、マコト様」

「先ほど、その、二頭の名前を聞いたのですが……」


 もじもじとするまことをじっと見ていたジャックだったが、ちらちらと馬車の方を見る様子を見て、にこりと笑う。


「ふふ、マコト様、二頭にしっかりとご挨拶しておきましょうか」

「あ、そ、そうですね!えーっと」


 ジャックはまず青毛の方に近づき、優しい手つきで首を撫でた。


「今朝もお世話をかけましたね、アリス。いつもありがとうございます。ほら、マコト様も」

「は、はい! アリス…さん、ありがとう」


 体の大きな馬にあまり近づいたことはない。よく手入れされた毛並みに粗暴なところなど全く見受けられないが、ついびくびくとなるまことの手つきにも、おとなしく撫でられてくれた。


「フォーラ、今日も美しいですね。邸に帰ったらしっかりブラッシングしてもらいましょう」

「フォーラさん、ありが……うわっ」


 つやつやの黒い毛並みに手を伸ばしたら、顔を大きく動かして鼻を鳴らされた。思わずびっくりして後ずさってしまう。


「ふふ、フォーラにはフられてしまいましたね」

「ご、ごめんなさい、フォーラさん。気安く触ろうとして……」


 ふん、と言わんばかりに首を動かす様子を見ていると、本当に気位の高いお嬢様のようだ。しかしなかなかその様子がつやつやの毛並みと長めの鬣と相まって不思議な上品さを醸していた。


「はは、お客人さん、フォーラお譲と仲良くなるのはなかなか長い道のりだぜ」


 そんな様子をいつの間に見ていたのか、御者が低い声でもごもごと呟いた。


「メルヴィル様が言ってた、フォーラさんは気が強いって本当だったんですね……」

「メルヴィル様も小さな頃は、よくからかわれておいででな」

「そうなんですか?」


 くつくつと笑う御者は楽しそうだ。


「そんな話もありましたねえ。あのときのメルヴィル様ときたら……ふふっ」


 こらえきれない、と言う様子で笑う二人は新鮮だ。まだ二日しか経ってないけど、こんな風に笑っているのは初めて見た。いや、御者の人とは話したこともなかった。


「さあ、マコト様。本日も控え室に参りましょう。シュタット、よろしく頼みます」

「ああ、朝はさんざ待たされたお嬢様方のご機嫌をとりながら、待ってるよ」


 姿勢を直して手綱を握る御者――シュタットさんは、二頭とともに森の方へ消えていった。


 控え室は相変わらず人はまばらだ。こんな風に毎日来る従者はそれほどいないのだろうか


「マコト様、本日はミアさんにお会いしましょうか」

「ああ、飴の材料……ですか」

「はい。メルヴィル様もご所望でしたし、先に伝えておくに越したことはないでしょう」


 確かに、メルヴィルに「欲しい」と言われれば、用意するしかないのだろう。心なしか楽しそうなジャックを見ると、なんだかんだこの人も世話好きだな。


「私がもらった飴……すごくきれいな色でしたけど、味も美味しかったです。それになんだか、あの飴を食べたら気分が良くなって」


 あの、結晶花……と呼ばれていたものは、なんだったのだろう。入っていたのはそれではなかったらしいけど……。


「昨日お二人が言っていた【結晶花】とは、いったいどんなものなんですか」

「【結晶花】とは、その名の通り葉や茎、花の周りに結晶を作る珍しい花です。魔力を増幅する力があり、重病人には回復の手助けともなりますが、強力すぎて普通は使いません」

「薬草……のようなもの、ですか」

「いえ……薬草と呼ぶにはあまりに強力で、古い言葉(アンシャン)を知る人々には【毒の花】とも呼ばれています」


 要するに芥子とか、マヤクの類のようなものか。どうりで、そんなものを食べていたら今頃私はここにはいないだろう。


「それは……昨日の飴に入ってなくてよかったです」

「ええ、それに薬になるといってもまず、色が出ないほど酒や水に薄めて使います。あんなに濃い色になるまで結晶花を混ぜたら、劇薬に違いないでしょうね」


 昨日の飴玉はまるで翡翠の玉のようだった。色が出ないほど薄めて使うというなら、たしかにあんなものはおよそ人の食べられる代物じゃないってことだ。本当に、メルヴィル様は恐ろしいことを言っていたのね……


「私も同じ飴を食べていますが、こんなにぴんぴんしていますから。ご心配なく」


 それでも、こんな話を聞いたら、次に飴玉を差し出されたら躊躇してしまいそうだ。少なくとも、ミアからもらうハーブで作ったものなら、大丈夫だとしても。


「ぜひ、ハーブをもらって飴玉を作るときはご一緒させてくださいね」

「もちろんですが……なぜそんなに念押しなさるのでしょう」

「……」


 不思議そうに首を傾げるジャックさんには、この気持ちは伝えないで置こう。善意で飴をくれたのは事実なのだから。


 今日もやっぱり音と文字の結びつかない言葉の授業はなかなか難しかった。でも、ジャックさんもどこか楽しそうに教えてくれるから、気づいたら昼食の時間だ。


「ジャックさん、ミアさんはもう食堂にいるでしょうか」

「まだかもしれませんね……メルヴィル様のクラスは午前の最後の授業は剣術でしたから、着替えに時間がかかるかも――おや」


 まばらに生徒たちがいる食堂を見回しながら従者の席に向かおうとすると、廊下から少々賑やかな声がっ聞こえてきた。


「ミア、なんか今日すごいね!」

「うん、なんだか冴えてる感じよね!」


 そちらを向くと、他の生徒より少しだけ高いところにある金髪が目に入ってきた。生徒に囲まれている。


「あのメロから一本取っちゃうなんて!クラス……いや、学園で初めてなんじゃない?」

「そ、そうかな~? なんだか自分でも信じられなくて」

「いや、あの動きは良かったぞ、ミア。一体どんな特訓をしたんだ?」

「め、メロちゃんまで……照れちゃうな~」


 後ろから追いついたメルヴィルも賞賛の声をかけている。中心にいるミアはいよいよ赤くなった頬を隠せずに照れ笑いを浮かべていた。


「メルヴィル様」

「ジャックか」

「はい。ところでメルヴィル様、この賑わいは何があったのですか」

「さっきまで剣術の授業だったんだが、ミアがボクから一本とったんだ」

「ええ!? あの鬼と言われたメルヴィル様に」

「鬼は余計だ」


 メルヴィルは相当に強いのだろう。昨日窓から見た動きを思い出す。昨日の様子では、ミアが一本取ったとは信じられない。


「あ、あの、ホントに何もしてないんだよ? 昨日もクラブで忙しかったし……たしかに、今日は体はすごく軽いんだけど」

「何にせよ、ボクは前からミアは筋がいいと思ってたんだ。謙遜はいらないさ」

「あ、ありがとうっ」


 もともと赤い顔をさらに染めて照れ笑いをするミアがかわいらしい。すらっとした体躯とは裏腹に相変わらず子犬みたいな感じがある。


「ミアさん、少しよろしいですか」

「はいっ なんでしょうジャックさん」

「先日いただきましたハーブ、もしよろしければもう少し分けていただけないでしょうか?アレを使って飴を作ったところ、なかなか邸で好評でして」

「それは良かったです! まだまだあったから、大丈夫だとは思いますけど……一度確認して、明日お返事しますね」

「ありがとうございます、今度飴を作ったらミアさんにも差し上げますね」

「いいのですか?ジャックさんのお菓子、おいしいから楽しみですっ」


 そう言ってぺこりと頭を下げると、他の生徒達と一緒に去っていった……が。


「おい、ジャック。食事を終えたらそちらに行く」


 メルヴィルはその場に残っていた。さきほどにこやかにミアに接していたのとはずいぶん雰囲気が違う。声を潜めてジャックに近付くと、ポソリ言い放った。


「あの飴のことで話がある」

「……かしこまりました」


 そのやりとりだけで、メルヴィルは他の生徒達のほうへ向かっていってしまった。温度差についていけず、少しポカンとしてしまった


「……」

「ああ、お待たせして申し訳ありません。食事に向かいましょう」

「……はい」


 すぐにいつもの雰囲気に戻ったジャックに促されて、席に向かう。先ほどの二人の態度は気になるけど、ご飯を食べ終わったら、何か話が聞けるだろう。




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