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第1話 第3章 お嬢様の秘密4


 がやがやと人がいるのかと思ったが、食堂はそんなに混んではいなかった。まだ生徒は授業が終わって無いのだろう、燕尾服やスーツの人がまばらにいるだけだ。


「さてマコト様、従者の席はこちらでございます」


 そういって案内してくれるのは、ガラスで囲まれた離れのような場所だった。アンバーに塗られた落ち着いた配色のテーブルと椅子が並ぶそこは、昼間の太陽に照らされて暖かく、明るい。


「素敵な食堂ですね。それで、注文はどうすればよいのでしょう」

「注文?」

「あれ、自分で頼むのではないのですか」


 食堂といえばカウンターでおばちゃんに声をかけるもの。まことはきょろきょろと見回してみたが、それらしい場所はない。


「頼まずとも、私どもが着席したことは厨房に伝わります。じき運ばれてまいりますよ」

「選んだりは、しないんですね」

「残念ながら。マコト様は、お嫌いなものはありますか」

「元いたところでは、何でも食べましたよ」

「よいですね! 私は、実は肉類が苦手でして……」


 そういって頭をかくジャックは、どこか子どもっぽい。


「意外です。ジャックさんこそ、何でも食べそうなのに」

「はは、お恥ずかしい。食べられない、というわけではないのですよ、ええ」

「ふふっ……今日、お肉じゃないといいですね」


 しばらくして運ばれてきたのは、何かの白身の魚のソテーと、丸パン、バター、それから野菜のスープだ。運ばれてきた皿を一見して、ジャックの表情が和らいだのは、気のせいではないと思う。


「ではいただくと致しましょう」

「いただきます」

「……」


 上品にフォークとナイフを取り出したジャックにならい、両手を合わせる。さあ食べよう、と手を広げると、じっと見られていた。


「今のは、マコト様の国のマナーでしょうか」

「え?」


 まずいことをしただろうか。昨日、夕食の席でひととおりのマナーはマクガイアにOKをもらっていたのに……。


「こう、手を合わせられましたよね」

「ああ!『いただきます』のことですね」


 よく聞く話だ。何かの物語でも、海外の人や違う文化の人といっしょに食事して、『いただきます』で驚かれる、というくだりは。様々なシーンを思い浮かべながら、なんと説明したものか、と考える。


「そうですね、手を合わせるのは……私も細かいことはわからないんですけど」


 一度手に取りかけたフォークとナイフを戻し、もう一度手を合わせる。


「よく聞くのは、食材となった命に『いただきます』、あとは、食事を用意してくれた人に対して『いただきます』と……感謝の気持ちをこめるもの、らしいです」

「ほう……」

「普段意識しないんですけどね。幼い頃に、お母さんやお父さんの真似をして覚えるだけのことですから」


  自分で説明して、そんな意味だったのだな、と再確認させられた。改めて気持ちをこめて手を合わせていると、目の前のジャックもフォークとナイフを置き、手を合わせていた。


「『いただきます』、謙虚で、よい響きでございます」


 そう言うジャックは、楽しそうに食事を始めた。再度くぅ、とお腹が鳴ったことに気づき、まことも再びフォークとナイフを手に取った。塩味が少なかったり、鼻慣れない香りがしたりということはあったが、さっぱりとした味付けの洋食は食べやすかった。お腹が空いていたことも手伝って、少々早足で食べきった食事は、恭しく下げられていった。


「さて、少し急いで食べてしまいましたが、はじめましょうか」

「ん、あ、文字の勉強ですね!」


 ピッとたてた指先から光が漏れ、三十ほどの文字らしいものが空中に書かれた。


「さて、順番にご説明いたしましょう」

「よろしくお願いします!」


「マコト! 何をやっているんだ?」


 突然背後から声をかけられた。振り向いてみると、メルヴィルだった。その姿を認めてジャックは立ち上がり、席をすすめた。椅子に腰掛けると、メルヴィルは面白そうに頬杖をついてまことを覗き込んだ。


「ほう……そうか、マコトはこの世界の文字は読めないのだな」

「恥ずかしながら……。ジャックさんが教えてくださるとのことでしたので、お言葉に甘えて」

「なんだ、水臭いじゃないか! ジャック、それならそうと、早く言え」

「ご無理をおっしゃらないでください。つい先ほどお話したことでしたので」


 なんだか楽しそうなメルヴィルとジャック。これから勉強だ、というのに何が楽しいのだろう。


「ほら、言ったとおりでしょう、マコト様? メルヴィル様は『その気』でいらっしゃいますよ」

「え?」

「マコト、ボクが教えてやるから、心して聞くんだな!」

「ええっ」


 そういえば、メルヴィル様も、教えるのはやぶさかではないだろう……、とか、言っていたような気がする。てっきり馬鹿にされるか、興味ないだろうと思っていた。


「優秀な先生が現れました。マコト様、張り切ってくださいね」

「あ、ありがとう、ございます……」


 目を細めてこちらを見るメルヴィルに、スパルタ教育の気配を感じる。さあ早速、と言わんばかりの様子に、内心びくびくとしてノートとペンを取り出した。しかしそこに手袋をした手が割って入った。


「ですが、その前にメルヴィル様。まずはご昼食でございます。生徒用のお席にお戻りくださいませ」

「……そうだな、しかし少し教えてからでも」

「淑女たるもの、慌てて食事をするようなことがあってはいけませんね」

「……少しお茶の時間が減るだけだ」

「本日のメニューは、お魚がメインでございます。お好きでしょう?お魚」

「ちっ……お前のそういうところが嫌いだ」

「いってらっしゃいませ」


 今、ち、って聞こえたような……空耳だろうか。あの可憐な唇からまさか舌打ちが飛び出るなんて。

 

「まったく、困ったものでございます」

「……」

「さてマコト様、先に少し『予習』をしてしまいましょう」


 にっこりと笑うジャックは、ガラスごしの陽光に照らされて眩しかった。



「さあ、きっちり食事は終わらせてきたぞ!」

「あ、おかえりなさいませ……?」

「いささか早すぎるのではありませんか」

「そんなことはない」

「ま、まあまあ」


 三十分ほどで戻ってきたメルヴィルに、ジャックは少し眉をひそめていた。こちらの食事は、ゆっくり食べるのがマナーなのだろう。


「それで、どこまで進んだんだ」

「まずは文字の発音、簡単な単語などを」

「マコト、どうだ?」


 文字の勉強は、思ったより大変だった。何せ、どういう仕組みか彼らの話す言葉は日本語に聞こえるし、自分も日本語で喋っているつもりだったのだから。文字を見て、発音を教えてもらうとき、急に耳慣れない音が聞こえてきたように感じた。


「これがなかなか難しくて」


 自動翻訳でも行われているのだろうか。都合はいいが、文字と音が繋がってこないから性質が悪い。

なかなか難航しそうな勉強に、今から頭が痛い。


「話は問題なくできているのですし、ゆっくりと参りましょう」

「そうだな。焦って覚える必要もないだろう」


 二人に励まされ、なんだかみじめな気持ちになるまことだった。


「邸に帰ったら、書斎を案内してやろう。ボクが幼い頃に読んだ簡単な本があるんだ」

「お手数おかけします……」

「メルヴィル様、本日はレッスンがございますので、お忘れなく……」

「ああ、それなんだが」


 急にメルヴィルが不機嫌になった。びく、としてメルヴィルを見るまことに対し、ジャックはにこにことしていた。


「今日はその……、少し()()をしていくから、レッスンはキャンセルだ」

「ああ、本日は()()授業がありましたね」

「……」


 ぶすっとむくれているメルヴィルを見ると、今朝の馬車の様子が思い出される。自習でレッスンをキャンセルとは、どういうことなのだろう。


「マコト様、本日はメルヴィル様は少し残っていかれるようなので、続きはまた夕方に致しましょう」

「……わかりました」

「……」


 どうやらもう時間らしい。メルヴィルは静かに椅子をひいて立ち上がった。周囲を見ると、生徒たちも立ち上がり移動するところのようだった。



 授業が全て終了し、メルヴィルは教師と二人で再び水盆を見つめていた。


「メルヴィルさん、もう少しこう、リラックスして」

「……」


くるくると水盆に向けて八の字を描くが、相変わらず反応はない。軌道も完璧なのに、魔力が流れていないような様子だった。


「う~ん、でも、魔力もキチンとめぐってる感じはするのよね。ただ、こう指先まで届いてこないというか」

「……はあ」


 静かに腕をおろし、手を見つめる。


「(昔はこんなことなかった。それがここ二年ほどでどんどん魔法が出なくなっている。自分でも、しっかりと魔力がめぐっている感じはあるんだ……)」

「ん~ちょっとマッサージしてみましょうか。そうしたら巡りがよくなって、スルッと出てくるかもしれないわ」


 教師はメルヴィルの後ろに回って静かに肩甲骨から背中あたりまでをさすりだした。手には魔力がこめられているのか、ほんのり朱色に光っている。


「ちょ、っと、くすぐったいんだが……」

「そのままそのまま。もう一度チャレンジしてみて」


 背中でもぞもぞやられるとむず痒くてかなわない。だがこの課題が終わらないことには帰れないのだ。やるしかない。ふたたび集中して水盆に向かう。


するする、しゅるしゅる


 衣擦れと押し殺したような静かな息遣いだけが響く教室で、メルヴィルは少しずつ手が暖かくなってきているのを感じる。さきほどまでは腹にたまっていたものが、末端まで循環してくるような心地だ。


「あら、いい感じ、いい感じ。なんだかいけそうよ、メルヴィルさん!」

「……」


 じわ、じわと指先から白色の光が漏れ出る。それに呼応するように、ぷつぷつと水盆の底に水が浮かび始めている。確かな手ごたえだ。


「……(いける、このまま!)」


 腹に力を込め、思いっきり、流れを指先に集中する。途端――光がほとばしり、轟音が響いた!

天井に届く勢いで水が噴出し、あたり一面を瞬く間に水浸しにしていく。


「……成功だ! やったぞ!」


 興奮冷めやらぬまま振り返ると、教師はその場に座り込んでいた。びちゃびちゃになっていく床に座り込む様は異様だ。


「先生、どうしました? 立てますか」

「あっ……」


 心配になり手をさしだし、掴んだ途端、教師が硬直した。手は驚くほど熱く、メルヴィルは驚いて手を離した。


「……これ、は。あのときと、同じ」

「め、メルヴィルさん、やったわね……。先生は、びっくりして転んじゃっただけだから」

「……」


 思い出すのは入学の朝。メイドのマリアが、起しにきたときのこと。あのときも、急に熱を出したように具合を悪くした様子が、今の目の前の教師とそっくりだった。


「……このままじゃどうにもならん、とりあえず水は止めねばな」


 水をこんこんと吐き出し続ける水盆をひっくり返すと、水流はぴたりと止まった。


「(ジャックを呼ぶか)」


 かろうじてぬれていないスカートのポケットを探ると、細長い筒を取り出し、口元に持っていく。

そのまま笛を吹くようにくわえて、ふーっと息を吐いた。




 ジャックとまことは従者控え室に戻り、引き続き文字の勉強をしていた。終業時刻になり他の従者が部屋から出て主人を迎えに行くのを見送りながら、やがて二人だけになった室内でも、ゆっくりと講義は続いた。


「それではまとめておさらいいたします。まず、朝のあいさつは――」


 不自然に声がとまり、ジャックは無言で書いていた文字を消した。


「どうかしましたか」

「メルヴィル様からの呼び出しです。この笛を使うということは、何かありましたね」

「笛?」

「ご説明はまた今度。行きますよ、マコトさま!」

「あ、ちょっと、うわわっ待ってください!」


 手早く椅子を戻すと、突如早足で歩き出したジャックを、まことは慌てて追いかけた。

追いつけないことはないが、慣れない校舎をどんどん進んでいくジャックを追いかけるのはなかなか骨だ。行儀が悪いのは承知の上で、小走りになる。


「呼び出しって、悪いことでもあったんでしょうか!」

「わかりません、とにかく早く赴かねば」


 特別教室と思しき教室が並ぶ棟を進んでいくと、まことは異変に気づいた。


「なに、この匂い……花……?」

「これは……少々まずいかもしれませんね」

「ジャックさんもわかります?この匂い」

「はい。だんだんと濃くなってまいりますね……!」


 【第3教室】と書かれた札のかかったドアを、ジャックはノックとほとんど同時に開いた。

中に入ると、足元でぱしゃん、と水がはねた。


「わ、水! なんで……」

「メルヴィル様!」

「あ……!?」


 駆け出すジャックを目で追いかけると、まことの目に、飛び込んできた光景。

 

 そこには、教師に抱きすくめられているメルヴィルの姿があった。








 










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