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第1話 第3章 お嬢様の秘密

第1話 第3章 お嬢様の秘密


 カーテンから差し込む青い光と、チリリン、チリリンという鈴の音で目が覚めた。まどろむこともなく覚醒した頭は、すぐに部屋の中を眺め始めた。見慣れないオレンジ色のカーテンは複雑な唐草模様の凹凸を微かに輝かせ、その薄暗さにげんなりする。やはり夢ではなかったんだ、という気持ちと、めったなことでは起きることのない早朝に起きたことに対する疲労感で、なんだか気分が乗らない。以前だったら迷わず二度寝するところだが、慣れないベッドと枕のおかげか眠気はさっぱり吹き飛んでしまった。もそもそと起きだしでベッド脇に足を出すと相変わらず毛足の長い絨毯が心地よい。行儀が悪いが靴をはかずにその感触を楽しみながら洗面所へ行き洗顔を済ませる。顎から少し水滴を垂らしながらクローゼットの前まで来ると、そうっと扉を開けて中の服を一着取る。その服を眺めてまた少し気分が下がった。メイド服……というにはスーツに近いが、シンプルながらその上品な光沢感や、縫製のよいきれいなひだを見せるスカートや白いカフスはなんだか気恥ずかしいものだ。しかも随所に控えめにではあるがレースが付いている。もともとフリルやレースがあまり好きではないのでこんなものを着るのはいつぶりになるのだろう。きっとランドセルをしょっていた時分以来に違いない。寝巻きとして着ていたスリップを肩から静かに落とし、黒いストッキングをはいてワンピースを着て背のファスナーを閉めると、どうしてか心地よい絶妙なフィット感。昨日の寝巻きやドレスもそうだが、なぜ自分にぴったりの衣服が用意されているのか甚だ疑問だが深く考えては自分の恥を増すだけだと思考をストップした。そうして服を身に着けたら次は身だしなみだ。控えめながら重厚感のある装飾を施されたドレッサーにつくと、近くのランプをつけた。ぼうっとゆっくりと灯った明かりは、ガラス球の中でふよふよと浮いていて、また不思議に出会ってしまった……と半ば諦めに近い気持ちで鏡に向き直った。幸い、ドレッサーの棚を開けると、用途不明の不思議と出会うことはなかった。手早く化粧を済ませて、昨日見方を教えてもらった時計を見ると、ちょうどよい時間。肩につかない髪の毛を櫛でなでつけ、靴の紐を縛りなおす。


「さて、いきますか……」


 普段の出勤よりもいっそう気を張り、真鍮のドアノブへと手を伸ばした。

 ふかふかと心地よい感触の絨毯の廊下を進んでいくと、何人もの使用人とすれ違う。まだ5時にもなっていない早朝から多くの人が働いている光景に、感心しながら、自分も使用人の立場であることを思い返して身が引き締まる思いだった。応接室の前にはすでにマクガイアが待機していて、相変わらず早朝とは思えないしゃんとした佇まいでまことを迎えた。


「おはようございます、マコト様。昨晩はよく眠れましたか」

「おはようございます、マクガイアさん。ええ、よく眠れました。でもこんなに早く起きたのは久しぶりで」

「これから嫌でも慣れますよ。では、中へどうぞ」


 中へ入るとまず目の前にあったのは掃除道具だった。まこともよく見慣れた形のほうき、ちりとり、ブリキのバケツにモップがあった。


「ご覧の通り、一番最初のお仕事は邸内の掃除でございます」

「はい、わかりました」


 一緒にバケツに近づいたが、そこでおかしなことに気づいた。


「ええっと、このバケツ、底がありませんが……」

「おかしなところがありましたか?まこと様のところではこうではなかったようですね」

「……おかしいというか、これに水をためて使うもの、だと思うのですが」

「ああ、なるほどそういうことでございますね」


 バケツを持ち上げて底を覗いているまことからバケツを受け取り、床において指をパチン、と鳴らすと、水がブワッと底のないバケツの中を回りだした。


「わあ!」

「この道具は、中に魔力を循環させる術が施されていて、こうして水の魔力をこめると中で水が回り続ける仕組みなのです」

「便利ですね……」


 まことは掃除道具を手にしてマクガイアについて廊下へと向かった。任される場所は応接室ではないらしい。マクガイアについていくと、すれ違う使用人達は皆、まこと一人だったときとは違い丁寧に頭をさげていく。なるほど、マクガイアはやはり上の立場の人間らしかった。2人がたどりついたのは、昨日来たメロの部屋の前の廊下だった。そこには一人、男性がすでに掃除を行っていた。


「おはようございます、ジャック」


 マクガイアが声をかけると、男性が振り向いた。全体的にやわらかな雰囲気をもつ青年で、下がった眦と、少ししまりなく緩められた口元が印象的だった。男性は丁寧に壁に箒をたてかけると、2人のほうへ近づいた。


「おはようございます、マクガイア様。彼女が、新しい従者見習いの方でしょうか」

「マコト様といいます。従者見習いと伝えましたが、あくまでお客様です。失礼のないように頼みますよ」

「承知いたしました。はじめまして、マコト様。メルヴィル様の従者を勤めております、ジャックと申します」


 そう言って礼をする動作はマクガイアよりもゆったりとした動きだったが、見るものを不快にさせない上品なものだった。まことは一瞬呆けてその様子を見ていたが、慌てて挨拶を返す。


「初めまして!本日より勤めさせていただきます、まことと申します。ジャックさん、よろしくお願い致します」

「丁寧にありがとうございます、そんなにかしこまらなくて結構です! マコト様はお客様なのですから」

「そ、そう……ですか」


 そう言われるとよけいにかしこまった態度を崩せなくなる性分で、背筋を伸ばすまことをマクガイアとジャックはにこにこと見守っている。


「ええっと、そう、お仕事!お掃除!をしなくてはいけないのでは……」


 雰囲気に耐えられずまことがそう言うと二人は思い出したようにポン、と手を打った。


「そうですね、7時までもうあまり時間もありません。マコト様、では早速始めましょうか」

 やはり口元の緩んだ笑みでジャックは立掛けていた箒を手に取った。


 掃除の仕方は、水の回るバケツでモップを洗うこと以外はよく知った手順だったのは幸いだった。絨毯の敷かれた部分はほうきで掃き、両脇の大理石の出ている部分はモップをかけた。問題と言えば、廊下のはずなのに軽いオフィス程度の広さがあったことくらいだった。使った道具を道具小屋へ返し片付けをしながらジャックは懐中時計を取り出した。


「さて、そろそろメルヴィル様を起こしにいかなくてはいけません。マコト様、ついて来てください」

「はい!」


 次に向かったのはメルヴィルの部屋の前。昨日メルヴィルがいた部屋とはまた別の部屋のようで、その扉の前に立つとジャックが神妙な面持ちでまことに問いかけた。


「マコト様、覚悟はよろしいですか」

「か、覚悟ですか?失礼ですが、何に対する……」

「……言葉で説明するのは非常に難しいのですが、平常心を保つ覚悟、でしょうか」

「……」


 何の冗談かと思ったが、ジャックのいかにも重要なことである、という表情に、まこともゆっくりと頷いた。数度のノックの後に、ギィ、と重い音をたてて扉を開けると、部屋はまだ暗い。足音をたてずに窓際まで行くと、ジャックは思いのほか勢いよくカーテンを開け放った。


「おはようございます、メルヴィル様!」


 もっとこう、恭しく(どうやるのかはわからないが)起こすものだと思っていたまことは体の正面で手をそろえたまま目を見張った。そのまま成り行きを見守っていると、カーテンを丁寧にタッセルでまとめたジャックはまた驚きの行動に出た。バサッと小気味良い音をたてて主人の上掛けを剥いだのだ。


「ちょっ、ジャックさん、そんないきなり!」


 さすがにまことの足が一歩前に出たところで、声が響いた。


「……ん、朝か……」


 気だるい、小さな小さなその一言だったが、鼓膜を真っ直ぐ射抜いてきたような錯覚にかられる声だった。またしてもバクン、と大きく脈を打った心臓に、まことは自分で驚く。するすると衣擦れの音をさせて起き上がる人影、から目が離せない。


「おはよう、ジャック……」


 光に照らされてキラキラと光る髪に、瞳に、まことは見入る。ジャックはそんなまことを見て苦笑した。ベッドの下に履物をそろえてメルヴィルの起床の用意を整えると、ポン、とまことの肩を叩いた。


「マコト様、お気を確かに」

「……んぐっ」


 しゃっくりのような変な声が出た。拍子に息を吸い込むと、まだ心臓がうるさい。入室する前に言われた一言を思い出して、まことはジャックを見た。


「だから言ったでしょう、マコト様」

「……」


 それだけ言うとジャックは扉を内側からノックした。すると数名のメイドが出てきて、朝食の用意を着替えの用意を始めた。それを確認すると、ジャックは軽くまことの背を押して部屋を出た。


「いったい何なんでしょうか……メルヴィル……様を見て、前もこんなふうにぼーっとしちゃって」

「マコト様は女性ですから、やはり反応してしまうのでしょう」

「それはどういう……」


 ことですか、と続く言葉を、白い手袋に包まれた指がそっと塞いだ。


「主人のことを詮索するものではありませんよ、マコト様」


 そう言われてしまってはどうしようもない。そのまま歩き出すジャックの後ろを静かについていくしかなかった。次に連れられてきたのはエントランスらしい場所だった。埃一つなく磨きぬかれたシャンデリアが、窓からの光を受けてキラキラと白く光っている。


「さて、次はメルヴィル様のご出立の用意でございます。本日は私と一緒に、メルヴィル様と学校までご一緒していただきます」

「承知しました」


 出立の用意と言われて向かったのはメルヴィルの部屋の隣の部屋だった。巨大なウォークインクローゼットのようになっていて、手前には靴が並び、中ほどからずらっと煌びやかな洋服が並んでいた。しかし洋服たちには目もくれずジャックは真っ直ぐ歩いていった。


「こちらです」


 そう言ってキャビネットを開けると、鞄がずらり。その中から一番左のものをとって、まことに手渡した。


「こちらに学用品の用意を行います。リストはこちらです」


 そう言って金で縁取られた木製のバインダーにはさまれた羊皮紙を渡される。不思議な光沢があり、思わず指でさらりと撫でると、文字が身震いしたように見え、パっと手を離す。そんなまことの様子を知ってか知らずか、ジャックはにっこりと笑った。


「まずは、教科書。つづいて筆記具の確認。ああ、ペンのインクが少なくなっていますね――」


 次々と説明をして、まことに見せながら整頓して鞄に入れていく手つきは鮮やか。自分では、そこまで手際よくはできないな、そう思いながら、ペンを分解するジャックを見ると、ぱちっと目があった。


「それでは、仕上げでございます」


 悪戯っぽく笑ってポケットから取り出したのは、水色の飴玉だった。


「本日は、フェアリーミント味をご用意いたしました」


 丁寧にシルクのハンカチに包むと、いかにも楽しそうに鞄の隙間に"フェアリーミント味"を差し入れた。

 ―マクガイアには、内緒でございます。そう言って口元に指を立てるジャックは、どこかのホストみたいだ、とホストクラブに入ったことの無いないまことは思った。







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