第1話 第2章 ローラントの街
第2章 ローラントの街
話し合いを始めてわずか10分足らずで就職が決まってしまったが、メルヴィルが街を案内したいと言いだした。マクガイアがそんなことを言っていた気がしたが、本当に行くとは思っていなかった。
「さて、君の仕事は明日からにしよう。今日は街を案内してやる」
「はぁ……」
「ん?なんだそのつまらない返事は。すばらしい街だぞ、ここ【ローラント】は!」
そう言って得意げに笑うメルヴィルは少し子どもっぽく見える。楽しそうな子どもの頼みは、断りずらい。
「で、では、よろしくお願いします」
「まかせろ! マクガイア、馬車を出せ!」
「かしこまりました」
恭しく頭をさげてマクガイアは部屋を出て行ってしまった。落ち着かない気持ちでちら、とメルヴィルを見たまことは、ばっちりメルヴィルと目が合う。
「うん? なんだ、馬車は嫌だったか」
「あっいえ、そういうことではなく」
慌てて首を左右に振った。馬車が嫌かどうかと聞かれてもそもそも馬車乗ったことがない。そんなまことを尻目にメルヴィルは優美な仕草で立ち上がると、不思議道具がずらりと並んだ棚へ向けて歩き出した。
「ちょうど良かった、球地図を直してもらわないといけなかったんだ。それに、オードの店にも最近行っていないからな」
「何か用事が」
「もちろん、君を案内するのが一番の目的だ。ついでにな」
メルヴィルがガラス棚から取り出した、まことが地球儀だと思っていた道具はやはり知っているものとは違うらしい。それを慎重に机へ置くと、口の奥でぶつぶつと何事かを呟くと、それはみるみるうちに小さくなって、メルヴィルの小さな手の中に収まった。まさに目の前で不思議が起こった。
「……うわぁ……信じられない」
「うん? そんなに特別なことをしたつもりはないんだがね」
「私には、とても不思議です」
呆けた顔でメルヴィルの手の中を見つめると、メルヴィルはそんなまことに気づき、手を差し出した。
「……ほら、手を出せ」
「えっ……あ、はい」
とっさに出した手の上に、小さくなった球地図がころんと転がる。
「うわっとと」
「落とすなよ」
焦りながらも興味津々で見つめてしまうまことに笑みをこぼすと、メルヴィルは歩き出した。
「球ばかり見ているなよ!本当にすばらしいんだからな!この街は」
マクガイアの手配した馬車には立派な毛並みの馬が4頭。床を滑っているんじゃないかと思うくらいに静かな馬車の中、まことは膝に球地図を載せて町並みを眺めていた。
「ほ、ほんとに御伽噺だ……」
「はっはっは、マコト、口が開いているぞ」
指摘されて一度は口角を引き締めるもののしばらくすると口が開いていく。街は鮮やかな緑色の屋根で彩られ、太陽の光に照らされた噴水がいたるところできらきらと輝く。いいにおいを振りまくパン屋らしき店先で買い物をしていた、赤ん坊を抱いた若い女性は馬車に気づくと会釈をするし、朗らかな様子で客と話していた花屋の店主らしい中年の男は快活な笑顔で手を振っていた。噴水のまわりで遊んでいた幼稚園くらいに見える子ども達は大きな声で馬車に向けてあいさつをした。
「な、なんだかずいぶん有名人なんですね」
「当たり前だ。ボクの家はこの街の領主だからな。街のもので知らぬものはないだろう」
「ろ、ろいやる」
すべてが豪邸に見えるこの街の中でも、自分の出てきた邸は郡を抜いて荘厳だったし、貴族というものだろうとは思っていたが、領主とは。貴族制度には詳しくなかったが、随分地位があるのだろうということはわかった。
「まあ、ボクはまだ当主ではないから、領主というわけではないんだがな。この街の皆にはとても良くしてもらっているんだ」
「そのようですね」
街行く人が皆笑顔でまこととメルヴィルの乗る馬車を見送っている。愛されているんだろう。
「……まあ、今から行く店の主人は、少々くせがあるがな」
「はい?」
「会って見ればわかるさ」
どこか遠い目をして口はしを引きつらせるメルヴィルを見て、まことはひどい違和感を覚える。人形以上に美しいかんばせが俗っぽく歪むのは、合成映像を見ている気分がした。
ほどなくして馬車が止まり、マクガイアが扉を開けた。
「お疲れ様でございました。到着いたしました」
「ああ」
マクガイアに手をとられ、メルヴィルが馬車を降りた。続いてまことも降りると、そこにはそこだけ異次元のような店先が広がっていた。くるくると回るたくさんの球が並ぶ水盆、その横にはざわざわと風の音が聞こえる線のいっぱい描かれた古ぼけた紙、真鍮製の、目盛りがついた定規のような棒が、小指の爪の先ほどのものから物干し竿大のものまで行儀よく並んだ壁、ガラスケースに収まった色とりどりの羽の羽ペン、そのどれもがちらちらと光を反射して店内全体の飴色に輝かせている。
「オード、いるか」
「はい、いらっしゃいませ、メロ様」
慣れた様子で棚と棚のせまい間を抜けるメルヴィルにおっかなびっくりついていくと、吊り戸棚とカウンターに挟まれた狭い隙間からしわがれた声が聞こえた。
「オード、久しぶりだな」
「……10日と、砂時計が3回ひっくり返る分、でございますな」
「相変わらず、よく覚えている」
手元でかちゃかちゃと音をさせながら作業を止めることなくオードと呼ばれた老人は会話を続ける。ついつい手元を覗き込んでしまっていたまことに、オードは視線を向けると片眉を上げた。
「……そちらのお嬢さんは」
「明日から奉公してもらう。ローラントは初めてらしいから、案内しているんだ」
「そうですか」
それだけ聞くと、また手元に視線を戻してかちゃかちゃをやりだした。
「それでなんだがな、オード。球地図に穴が空いてしまってな」
「……ほう」
「マコト、球地図を出してくれ」
「あっ、はい」
両手で包んでいてもぬるくならない不思議な球体を、カウンターにそっと置く。オードは手元の道具を丁寧に脇のガラスコップのようなものに戻すと球地図を手に取った。
「……ふむふむ、なるほど、26.0度121.8度に髪の毛一本分」
「直せるか」
「3日と水時計1回半いただければ」
「わかった、預けていこう」
それだけ聞くとオードはカウンターの裏側の戸棚を開けて光沢感のある布を取り出すと、素早く何かを呟き、布を被せた。そうすると、その布が独りでに球地図をくるくると巻いていき、最後にできた結び目の下に小さく文字が浮かび上がった。それを指先でつまむと、ゆっくりと立ち上がりカウンターの裏側、同じような布の包みが並んでいる一番右端にをそれを並べた。
「さあ、行くぞマコト」
「え、も、もうですか」
「オードは忙しいからな」
そういわれてオードを見ると、まるで先ほどのやり取りがなかったように来たときと同じ姿勢で作業を始めていた。その姿を見て一瞬自分の目を疑うも、メルヴィルに促されて店を後にした。振り向く前に会釈をしてみたがやはり反応はなかった。
「……まあ、見ての通り真面目なお人でな。仕事は正確、のひとことに尽きる。それこそ星時計1回分も遅れない」
「その、さっきからお話に出てきた時計……って」
「うん?マコトの世界には時計はないのか」
「いや、ありますけど、星時計っていうのは聞いたことがなくて」
「そうか。星時計っていうのは、瞬きの間よりももっと短い時間を計る時計でな。ことわざみたいなものなんだ。星時計一回分、っていうのは。実際は一回分は人間には数えられん」
「ふーん……?」
メルヴィルは肩を竦めて首を横に振った。メルヴィルはどうやらオードがあまり得意ではないらしい。時間にものすごく厳しいということなんだろうか。
「さて、用事も済んだことだし、街を案内しよう。ここにはいろんな楽しいものがあるからな! 楽しみにしていろ!」
かくして街案内をしてもらったが、ハードスケジュールだった。自分が案内してもらっている側なのに、メルヴィルが次から次へと行きたいところを思いつくものだから、まことはただただ付いていくので精一杯。喉が渇いたといってカフェに入っても本当に飲み物だけをさっと飲んで、次は教会があるんだと行って大きな城に連れて行かれ、中を見るのかと思いきや次は公園だ!と言って草原広がる広場に連れて行かれ。しかも不思議の連続で頭もパンク寸前。気づくと自室のベッドに突っ伏していた。頭がぐるぐるとしているが、まことはマクガイアからの言葉をしっかりと思い返す。
「明日は5時に応接室、明日は5時に応接室……」
応接室までの道のりを思い返しながら眠りにつくと、その夜は邸の中を歩きさまよい、応接室を探す夢をみた。応接室にたどりつけなくて時間に遅れそうになって飛び起きてほっとするのは明日の話。