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第1話 第1章 はじめまして、ご主人様

第1章 はじめまして、ご主人様



 「ようこそ、キャンベル家へ!」


 そう言った高い声と、差し出された小さな手は、記憶にある。けれど、それ以降覚えていないのに、どうしてか自分は着心地のいいシルクの何かを着て、埋まってしまいそうなふかふかのベッドで眠っていたらしい。半身を起こして周りを見渡しても、そこにはリゾートホテルの一室かと見まごう豪奢な一室があるだけで、まことの疑問には答えてくれない。そっと毛足の長い絨毯に足を下ろしてみるも、恐ろしいくらい静かに衣擦れの音が響くだけで、どこか心細い。重厚なひだが重なっているカーテンを開けてみると、絶句。鮮やかな緑の屋根屋根が広がる、御伽噺のような町並み。しかもどういう仕組みだか、シャンデリアの小さい版のようなものがあちこちに浮いている。夢だろうか、と現実逃避してベッドを振り返った瞬間、控えめなノックが響く。


「よろしいですか、マコト様」


 老紳士の声だった。知らないものばかり、飲み込めない状況の中で、聞いたことのある声が少し安心する。すうと軽く息を吸って、吐いて返事をすると、音をたてずに扉が開いた。


「お目覚めでしたか。気分は、いかがですか」

「……あまり、良くはありませんが」


 老紳士は持っていたティーセットをサイドテーブルに下ろすと、手際よくお茶を淹れ始めた。くゆる湯気を目で追いながら、まことはちらと老紳士を見た。


「……これは、夢なんでしょうか」

「そうお思いになりたいお気持ちもわかりますが、残念ながら」


 カチ、と軽い音をたてて置かれるカップに、手を付ける気にはなれず椅子に座り会釈だけした。聞きたいことばかりなのに、頭がパンクしたみたいに何も言葉が出てこない。


「……災害にあった、とでも言いましょうか。そう、あれは天災のようなものなのです」

「……さっきの、あれ、ですか」

「そうです。あれは普通マコト様たちには降りかからぬもの、のはずなのですが」

「えっと、貴方の主人のせい、といってましたか」

「……申し訳ございません。その通りなのでございます」


 また老紳士は頭をさげた。天災なのに、誰かのせい、とはどういうことなのか。本当に申し訳なさそうな様子に、何も言えなくなってしまったまことはやっとお茶に口をつけた。ぬるくなって少し渋い。


「……まず、この場所についてお話しましょう」


 そういって老紳士が語り始めるのは途方もない御伽噺だった。


「ここは、マコト様がいたところとは似て非なる場所。向き合いながらも決して互いに行き会えぬ場所なのです」

「……よく、わかりません」

「マコト様のいらっしゃる、世界とでも言いましょうか。その世界のすぐ隣にある別の世界、のようなものでございます。しかし、周波数の違い、とでも言いましょうか。普通の人間には感ずることのできない世界なのです。もちろん、マコト様にも」

「……、あるけど、見えない。そんなところ、だと?」

「無理にご理解なさろうとしなくても、大丈夫ですよ。そうですね……どうしようもない大災害にあって、突然別の国に非難してきた、そう思ってくださってもよろしいかと」

「そのほうが、なんとなくわかる」


 難しい顔で頷くまことに、老紳士は穏やかに笑いかけて、お茶のおかわりを注ぎはじめた。


「そして、マコト様を保護したのが、私どもの主人なのでございます」

「災害は貴方の主人のせいなのに、保護してくれたの」

「言ったでしょう、マコト様にはわからないはずのものだと。マコト様に被害をこうむらせたのは、主人ですが、災害そのものは主人が引き起こしているわけではないのでございます」

「……よく、わからないけど、私は巻き込まれた一般人、ってこと」

「そのように考えていただいてけっこうでございます」


 老紳士は苦笑して、もう一度お茶をまことに差し出した。今度はそれを素直に受け取り、口をつけた。どういうわけか沸騰したてのような熱さが、唇にしみた。


「そして、保護された貴女はしばらくは元の場所へは戻れません。このまま戻れば、また災害の憂き目にあうことでしょう。しかしご安心ください。私どもが責任をもってマコト様を保護いたします」

「……難民、ってわけか」


 そう呟いてお茶を飲み干すと、老紳士はおかわりをすすめるがまことは断った。もうお腹はいっぱいだった。


「とりあえず、そういうことにしておくよ。夢でも、夢じゃなくても」

「さすが、聡明な方でございます」

「とりあえず、お世話になります。いろいろ聞きたいことはありますけれど、これ以上きくと頭が追いつきません」


 とりあえず、夢だと思って乗り切るしかない。だって、窓の外はすでに御伽噺だし、老紳士の話もあまりにも現実味がない。自分は仕事で疲れて公園で眠ってしまっているんだ、きっと。態度には出さずともそう割り切った。


「改めまして、私キャンベル家の執事をしております、マクガイアと申します。これからマコト様がお帰りになるまで、どうぞよろしくお願いいたします」

「こちらこそ、マクガイアさん。私は、岡野まことと申します。お世話になります」


 まるで社交辞令のようなあいさつだと思った。いや、マクガイアは優しい口調で話してくれているし、不快な思いなどないのだが。マクガイアは茶器を片付けながら自身の懐中時計を取り出した。


「おや、少し時間がたってしまいましたね。マコト様、お召し替えくださいませ。お嬢様とご挨拶していただかなくてはなりません」

「お嬢様? 主人……旦那様? ではなく」

「申し訳ございません。旦那様は遠方へ出ていらっしゃいまして……。今はお嬢様お一人なのでございます」

「一人……」


 奥様は、と疑問に思うがそんなことに安易に首を突っ込んではいけないだろう。黙るまことを尻目にマクガイアはクローゼットのほうへ歩いていき、恭しく扉を開けた。瞬間、眩しさがまことの目を刺す。いや、まぶしさというには語弊があるが。


「わ……なんだかすごいお洋服ばっかり」

「お好きなものをお選びくださいませ。サイズは邸のものが合わせておりますのでご心配なく」

「えっと……じゃあ」


 そうは言うものの、なんだか気恥ずかしいようなドレスが多い。いつもはあまりきれいに着飾ったりはしないため、消極的な意味で目移りしてしまう。結局無難そうな、少しひかえめにリボンのついた乳白色のワンピースを選ぶ。


「そちらでお決まりでしょうか。では手伝いの者をお呼びしますのでかけてお待ちくださいませ」

「え、いや、いいです! 自分で着れます、から!」


 そう慌てて断ると、なぜかマクガイアは少し残念そうに肩を落とした。見ていて申し訳ないが、そんなところまで気を使わせるのもこちらの気がひける。心なしかまだ名残惜しそうに見られているが、気づかないふりをするしかない。


「では、私は下がっておりますので、お召し替えが終わりましたらこちらのベルでお呼びください」

「はい……」


 そう言ってどこから取り出したのかサイドテーブルの上に濃紺色のガラスのベルを置くと、マクガイアは部屋から出て行った。

 手触りからも上質な生地とわかるワンピースを恐々着たまことは(寝巻きらしい服も普段の倍気を使って畳んだ)ガラスのベルを鳴らそうと振った。


「あれ、うん?」


 もう一度振ってみる。やはり部屋の中はシンと静まったまま。思わずベルをひっくり返してみると、そこにあるはずのクラッパーがない。


「鳴らないベルなんて、マクガイアさんは渡しそうにないし……間違えたのかな」


とりあえず誰か呼ぼうと思い、ドアに近づいたその瞬間、ドアは向こう側から開いた。


「失礼いたします、マコト様……おや」


 ドアを開けたマクガイアと至近距離で目が合い、え、と小さく声が漏れた。


「ああ、なるほど……。これは失礼いたしました。マコト様には見慣れないものでしたね、私としたことが失念しておりました」

「いえ、あの、びっくりしました。間違えたのかと……」

「ふふ、音が鳴るものではないのです。私のみにお呼びの合図がわかるものでございます」

「不思議です……」


 少し悪戯っぽい目で笑うマクガイアをみると、わざとではないかと疑いたくなったが、柔和な笑みに、何もいう気は起きなかった。


「改めまして、よくお似合いです、マコト様。さあ、慌しくはありますがお嬢様がお待ちです。こちらへ」


 そういって開かれるドアの外に足を踏み出すと、そこもやはり少し硬めではあるが毛足の長い絨毯で覆われていた。廊下にも燭台が浮いており、思わずきょろきょろとしてしまう。少し薄暗い廊下が浮いた燭台に照らされて飴色に輝いている。磨きぬかれた大理石の柱に間抜けな顔をした自分が映り、思わず恥ずかしくなって前を向くが、少しすると自分の顔が緩むのを感じた。


「さあ、しっかりとついてきてくださいませ。こちらでございます」

「すみません、ボーっとして」


 足音の響かない廊下をしばらく進むと、広い渡り廊下に出た。そこからはやはり先ほども見た御伽噺の世界が広がっていて、なんだか自分がお姫様にでもなったかのような錯覚を覚えた。


「後ほど街もご案内いたしますので、どうぞ楽しみにしていてください」

「あ、いいんです、そんな! 気を使っていただかなくても!」

「そうしたいとの、お嬢様たってのご希望でございますから、どうかお付き合いくださいませ」

「お嬢様が、ですか」


 これから自分が会うことになる「お嬢様」とはどんな人物なのだろうか。頭の中には勝手に金髪のお姫様が浮かんでくる。きっと、豪奢な椅子に座って、優美なしぐさでお茶でも飲んでるんだろう。明るい渡り廊下を過ぎ、再び飴色の廊下へと進む。どれほど歩いただろうか、と考えるのも億劫なほど歩いた後、目の前に重厚な扉が聳え立った。マクガイアがまことを手で制し、立ち止まらせるとコン、コン、コン、コンと控えめなノック。すると重くもいやみの無い音で扉が開き、その先には少女がいた。が、それよりも部屋の様子のほうがよほどまことの目を引いた。壁一面にはサイズも厚さも色合いや古さも様々な本が並び、ガラス扉のある棚の中にはゆらゆらと動く地球儀や、理科の実験道具のような、しかし記憶にあるそれよりは奇妙な形をして、そして装飾のあるものが所狭しをばかりに並んでいて、そのどれもがよく手入れされていることがうかがえた。思わずほうけてしまっているまことに、涼やかで通った声が呼びかけた。


「客人、中へ入れ」


 すうっと引き寄せられるようにその声のほうへ向くと、そこには人形がいた。いや、人形のような少女がいた。金髪のお姫様ではない、しかし自分の想像上のお姫様がチープな道化に思えるほどその姿は鮮烈だった。濡れ羽色の、不思議な光をたたえた長い髪、遠目なのにこちらを射抜く瞳の煌き。一切のくもりない白い肌はそれだけで魔法をかけられたようにまことの目をひきつけてやまない。どうしようもないくらいドキドキした。それは、トキメキとも違う、しかし激しい衝動。時が止まったかのような錯覚を覚えていたが、まことの背を誰かが押した。


「マコト様、中へお入りください」

「あっ……はい」


 マクガイアが促さなければ、ずっと扉の前で少女を見つめていただろうが、まことはなんとか掠れた声で返事をし、ふわふわとした足取りでその少女の前へと立った。


「かけてくれ。マクガイア、茶を用意してやれ」

「し、失礼します」


 就職面接のときだってこんなに緊張しなかった。こわばった腕でひいた椅子が嫌な音をたてたが、少女は何も気にしてないふうに話し出した。その唇の動きですらいけないものを見ているような気持ちになって、まことは下を向くしかなかった。


「さて、まずは父が迷惑をかけてすまなかった。マクガイアから説明は受けただろうが、できる限りのことはするから、遠慮なく言ってくれ」

「……」

「自己紹介が遅れたな。ボクはメルヴィル・キャンベルという。気軽にメロと呼んでくれ。其方は?」

「……」

「……聞こえなかったか? それとも……」


 下を向いたまま、どころか話もまともに聞こえていない様子のまことに、すっと手が伸ばされる。


「ボクに、みとれていたか……」


 とろけるような手触りの指が、顎下へとかけられ、まことは強引に上を向かされた。心臓が、破裂しそうだ。手の届く距離で見る瞳の輝きは、一度見たらもう目が離せなかった。その目が弓なりに細くなり、優美な口端がにやりと笑うのを見て、まことはカッと頬が熱くなるのを感じた。


「……客人、名を教えてくれ」

「……まこと、です」


 蚊の鳴くような声で、返事をしたまことに満足げに笑いかけると、指は顎から離れ、宝石の瞳は元の位置へ戻っていった。まことはもうずいぶんと呼吸をしていなかったような気持ちで大きく息を吸った。その様子を見て、しばらく顎に手をかけしげしげと考えていたかと思うと、メルヴィルは突然まことを指差して言い放った。


「マコト、ボクは気が変わった。君、ボクの召使いになれ」

「……え」


 心なしか、扉の傍に控えていた召使が動揺している気配を感じた。どういう意味か訊こうかと考えていると、扉をあけてマクガイアが中に入り、固まった部屋の空気を感じたのか苦笑した。


「メルヴィル様、少々お戯れが過ぎますぞ。……マコト様、失礼いたします」


 固まっているまことの前に、お茶を差出しながら、マクガイアはしばしまことの様子を見ていたが、それにまことが気づくと、何も言わず柔和な笑みで下がった。


「固いことを言うな、マクガイア。いいじゃないか、ボクは彼女を気に入ったんだ。客人のままじゃ、あまり一緒にいられないだろう」

「いきなり避難先でそのようなことを言われても、マコト様は混乱なさっていらっしゃいますよ」

「いきなりでなければよいのか」


 先ほどまでのつややかな雰囲気を少し和らげ、少し不機嫌な様子でマクガイアと話すメルヴィルを見て、どこか他人事のように思っていたのを感づいたのか、メルヴィルが乗り出してきた。


「マコト、どうなんだ。ボクの召使いになるのは嫌か」

「ええっと、急にそのようなことを言われても……!」


 夢とはいえ突拍子がない。思わず助けを求めるようにマクガイアを見ると、マクガイアはにっこりと笑った。


「マコト様、お嫌であればお断りしていただいて、構わないのですよ」

「マクガイア、ボクはマコトに訊いているんだ!」


 2人ともに同時に見られて、まことは決断を迫られた。急に召使といわれても、それがどんなことをする仕事なのか、そもそもわけのわからない場所にきて、何をいきなり言ってるんだ、とか様々な思いがあふれてきて、思わず言い放ったのは。


「ええと、試用期間、というのはどうでしょうか……!」


 何を言っているんだ、自分は。試用期間とか言ってしまったが、できるわけないだろう知らない場所で知らない人の召使なんて。自分は事務職しかしたことがないのに。しかし言い放たれた2人は目を丸くして沈黙した。


「……試用期間、とは。初めてきくぞ!」

「なるほど、面白そうですね」


 食いついてきた。信じられない。


「つまり、君が使えるか考える、ってことだな」

「お嫌でしたらマコト様の意思でおやめいただくこともできる、と」


 カタッと軽い音をたててメルヴィルが立ち上がり、びしっとまことを指差した。


「よし、明日から君はボクの召使いだ!」

「期限つき、ですよ、メルヴィル様」


 ぽろっと口走ったことが採用されてしまった。これは困った。しかしもう撤回できる雰囲気ではなさそうだった。不安な顔でいるまことの肩にぽん、と手が置かれた。


「ではマコト様、明日から私がお仕事を教えていきますので、よろしくお願いいたします」

「はい……」


 今気づいた。マクガイアもけっこう楽しんでいる。穏やかな表情にほだされるが、どこか悪戯っぽい目をしていることが今ならわかる。なんて夢だ。明日になったらどうか目が覚めていますように。部屋を移動しなければ、だとか、まずは基本マナーのチェックから、とか楽しそうに話している主従を無表情で見つめながら切に願った。

 







 

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