第2話 第2章 乙女の熱情3
毒の花と言われる結晶花の種、とは何なのだろうか。項垂れるジャックが痛々しくて、まことは何も言えなかった。メルヴィルはそんな様子を一瞥して、早口に言い放った。
「そんなに落ち込むな。ボクは種と言ったのを聞いていなかったのか」
「しかし、結晶花、と」
「種と、花や茎では少し話が違うんだ。古い言葉、これが大いに助けになってくれた」
メルヴィルは先程ハシゴの上で読んでいた本をテーブルの上でドン、と開く。古本屋でかぐような、独特の香りが漂う。メルヴィルが爪先で、よく手入れされた深い艶のある黒のスピンを、本の上側へ払い除けた。まことは自然と目がいったが、まだあまり何が書いてあるかはわからない。ジャックは俯いたまま身を乗り出してページに手を添えて無言で文字を追いかけた。
「……信じられない。これは、お伽噺の中のものでしょう」
「確かにボク達には馴染みがないが、その本の著者は古植物学の権威だ。彼の本は他にも読んだが、その中で未知と言われた植物の大半が、時とともに認知されるようになっている」
「……」
やっと顔を上げたジャックは、まだ瞳を揺らしていた。一方そんな従者を正面から見つめ、じっと言葉を待つメルヴィルの瞳は、キラキラと輝いた。
「……それで、その違いとは」
「お前も良く知っているように、結晶花は強力だ。葉や茎を使うときは、極少量、煎じて使う。効果はすぐに顕れ、使用者は一時的に魔力量が増える。だが種は、そこまで急な効果はない。かわりに「芽吹く力」を持っている。効果が弱い分、継続使用しても問題はない。使用者の魔力量を長期的に増やすのに使える」
「では、すぐにマコト様に影響が出るわけではないのですね……」
ジャックの背中から力が抜けた。はあーと息を吐く音が聞こえた。
「よかった……もし、結晶花を食べさせてしまっていたらと、不安で」
「ジャックの味覚と嗅覚は鋭い。毒かどうかについては、判断に自信を持ったらいい」
「ありがとうございます。……マコト様、申し訳ありませんでした」
ジャックがソファの上で身をよじってまことに向き直ると、膝に手を添えて頭を下げた。黙って話を聞いていたまことは、同じように向き直って静かにそれを受け止める。
「いえ、あのときあの飴をいただいて、私、助かりました。結果的に大丈夫だったんだから、気にしてません」
「……ああ、ありがとうございます」
ジャックは下げていた頭をさらに下げる。さすがにまことも居心地が悪くなって、ジャックの肩に手を置いた。触れた肩は、ほんのり温かい。
「ジャックさん、頭を上げてください。あのお花の飴で、すっかり体調も元通りですし」
「うん? マコト、花の飴とはなんだ」
向き合う二人を黙って眺めていたメルヴィルが口をはさんだ。
「ほら、メルヴィル様にもあげた飴ですよ。まだ食べてないですか」
「ああ……そのまま持って帰ってきて、部屋に置いてあるが」
「どうやら、あの飴、結晶花の種、ですか?それが入った飴の効果を中和してくれたんです」
「……ほう、ジャック、詳しく話せ」
メルヴィルに問われたジャックは、もう背筋は伸びていた。しっかりとメルヴィルに向き直ってマコトに教えてくれたことを話し出す。その声は歯切れ良く続いた。
「なるほどな。それを食べて効果があったということは、やはりマコトにも少なからず種は影響があったということか」
「……自分の感覚では変化はありましたが、お話をきいている限りでは、効果があったのはおかしいと思うんです」
「……そう、だな」
部屋に沈黙が流れた。お茶はすっかり冷めて湯気もなく、わずかに明かりが揺れているのが目に入ってくるほどに。
「マコト、君に謝ることがあるんだ」
長い沈黙の後、メルヴィルが口火を切った。
「なんだか今日は、謝られてばかりですね?」
「君に魔力がないことを知っているのは、ボクが君に魔法をかけたからなんだ」
「え」
想像の斜め上から差し出された言葉に、まことは目を丸くして息を飲んだ。嫌な汗が背中を伝う。
じっと見られたメルヴィルはテーブルの上に手を組んで、目をそらしながら話し出した。「君に魔法をかけた」なんていうロマンティックな響きとは関係ない話が語られるだろうことを察したまことは、ソファに深く腰掛ける。沈み込む背中を上質なやわらかさが包み込んだ。
「誤解しないでもらいたいのは、君に何かしようと思ってかけたのではないということだ」
「はあ」
「先生が倒れて、君が部屋を片付けてくれたあの日」
あのとき教室で、花の香りがして暑いといったまことにメルヴィルは不安を覚えた。マリアが自分を起しに来て倒れたあの日以来、数度、そういうことがあった。さすがに何かあると違和感を覚えて自身のことについて調べてもいたし、「花の香り」をさせる自分を前にするとおかしな様子になる人がいる、ということは自分の中で紐づいた。たいがいはあまり好ましくない状況になるということもわかっていたから、まことが目の前で変貌するのではと怖くなったのだ。だから、せめて「香り」を飛ばそうと、感覚を鈍らせる初歩的な魔法を、こっそりかけた。
しかし、かけた魔法はまったくまことには通じていなかった。それどころか自分に跳ね返ってきたような感じすらした。帰ってきた自分の魔力に、他の誰の魔力も混ざっていなかったから、そのとき気づいたのだ。
【まことには、魔力がない。魔力を受け入れる器がないのだ】、と。
考えてみれば当然だった。彼女は自分でも「魔法は使えない」と言っていたし、そもそも違う場所から来た客人だ。自分たちと体質が違うことに違和感はなかった。
「……だから、ボクは君に魔力がないことを知っている。ないどころか、魔力の影響を受けることができないのだと」
「あのとき、そんなことされてたんですね……。ぜんぜん気づきませんでした」
「黙って勝手なことをした。すまなかった」
あの、メルヴィルが頭をさげてきた。思わず、ソファに沈んでいた背筋が真っ直ぐに伸びた。
「いえ、メルヴィル様も、あんまり気にしないで……結局、魔力の影響を受けないってことは、飴も魔法も効果はなかった、ってことでしょう。じゃあ、何にもなかったのと同じです」
「ですが、マコト様。飴を食べて、普段と違った感じはしたと、おっしゃいました」
「それは、そうなんですけど……プラシーボ効果っていうのもありますし」
「「プラシーボ効果」」
「いや、気にしないでください、すみません。思い込みみたいなことです」
二人とも自分の言動に過敏になっていないだろうか。声をそろえて同時にこちらを見てくるのは少々怖い。
「それがマコト、あの種は少し特殊なんだ。君にも、影響があったかもしれない」
「ええ?……」
「動くなよ」
「え、なに」
メルヴィルがまことを制すると、おもむろに手を伸ばしてくる。思わず後ずさるが、どしりとしたソファがそれを阻んでくる。先ほど伸ばした背中がふたたび深くめり込んだ。横に居たジャックも思わず立ち上がってマコトに手を伸ばすが間に合わなかった。
メルヴィルの爪先が緑色に輝くと、ナイフのように光がまことへと飛んでくる。顔をそむけたまことの首筋の傍を風が切り裂き、ソファから焦げ臭い臭いが漂う。パサ、と耳元で乾いた音がした。
「メルヴィル様何を! マコト様、お怪我は」
「へ、いや、どこも痛くは……」
下りてきてしまったらしい髪の毛を手櫛で触ると、指に何か絡みついた。引き抜いて指を見ると、そこには借していただいた髪紐が焦げて千切れ、絡まっていた。
「これ、お借りしたものなんですけど」
「紐は新しいものを用意する。ほどけた髪をまとめていろ」
メルヴィルが立ち上がり、ツカツカと近寄ってくる。表情は全く普段どおりだからついまことも一瞬前のことなど忘れて言う通り髪を持ち上げた。目の前にストン、と座るとメルヴィルが再び手を伸ばしてくる。
「ぐぇっ」
ぐい、と顎をつかんでジャックと逆の方を向かされた。ちょうど息を吸っていた気道が捩れてつぶれた声が出た。さすがに怒っていいかと思ったが、口を挟む隙はなく
「見ろ、ジャック」
「メルヴィル様! 先ほどからご無礼にも程がございます!!」
「見ろ」
かんかんに怒っていたジャックが、しぶしぶまことの首筋を見た。
「……メルヴィル様? さすがの私もお客様に傷をつけたとあっては黙っていませんよ」
空気が寒い。人の首の近くでやりあわないでほしい。
「黙っていろ」
「ひぇ!」
ぴた、と手が添えられた。滑らかな感触の中に骨ばった筋がある薄いその手はメルヴィルのものだ。冷えた指先がまことの心臓を驚かした。直後、首筋がじんわりと暖かくなる。横目でちらりと見ると、メルヴィルが、真剣な顔つきでまことの首筋を見つめている。
「……ふう。これで文句はあるまい」
「そういうことではありません。今度特製の飴を朝一でお口に放り込みますからね」
「あのー、お二人とも、ちょっと離れてください。あとメルヴィル様、首が痛いです」
先ほど捩られた首を、そのまま押さえられていて動かせないマコトが痺れを切らして言うと、メルヴィルは悪びれる様子もなく手を離した。首を軽く回して一息つく。
「しかし、これでわかったろう。やはりマコトには、【少しだけ】魔法が効くようになっている」
「わざわざ傷をつけておいて言うことですか? そんなことおっしゃるのはこのお口でしょうか」
「……ジャックさん、ありがとうございます。でも、もういいですから」
急に断り無く攻撃?してきて、無言で首をひねられたことに関して怒りはあるが、メルヴィルに悪気がないのもわかるし、言葉が足りないのも14歳なら仕方が無い、とまことは自分を納得させた。
「マコト、君はソファを見ろ」
「わかりましたよ……うわあ、高そうなソファが」
先ほどから臭いはしていたが、実際見るとひどい。上質な分厚い布が、斜めに裂け目を作っている。見えてしまっている中材は焦げて、もろもろと落ちている。修復は難しそうだ。
「メルヴィル様、いくら自分のお家のものだからってこれはちょっと」
「いくらでも魔法で直せる。ところで君、さっき痛かったか?」
「首はひねられて痛かったですけど」
「それは申し訳ない。そうではなくて先ほどボクが触れた場所、痛みを感じたか?」
「いいえ。触られてしばらくしたら、温かい感じはしました」
「実は、軽い擦り傷のようなものがついていたんだ。もちろん、もう治したから跡形もない」
何が言いたいのか正直わからない。先ほどから固まった笑顔でメルヴィルを見つめているジャックに視線を送ってみたが、返事はない。自分よりよっぽど怒っているみたいだ。
「そのソファと、君の首、同じものが当たったはずだが」
「……」
冷たいものを感じて自分の首筋をサッと両手で押さえる。こんな裂けて焼け焦げを作っているソファと、自分の首が同じことになっていたら、自分は今頃……
「メルヴィル様、なぜそのようなマネをなさったか、このジャックにゆっくりとご説明ください?」
ジャックの怒りにも油を注いでいるようだ。握った拳からミシミシと嫌な音がしている。
「だが、ボクでもすぐ治せるかすり傷だったのは、ジャックも見ただろう。それに、髪紐は切れたが髪は切れていない」
「【私】だけ、被害が軽いってことですか」
「やっとわかったか。先ほど君に向けたのは、単純なボクの魔力だ。ナイフや風ではないから、魔力を削ることしかできない」
「つまり?」
「君は、もともとは全く魔力の器がなかった。だが、今は薄っすら膜のように魔力を帯びているということだ」
満足顔で語るメルヴィルには正直溜息を吐きたくなったが、わかったこともある。
「……あの飴、というか、結晶花の種ですか」
「ボクはそう踏んでいた。やはり正解だったようだな」
(あれ、それじゃあ)
「メルヴィル様!!!!」
話を聞いていたジャックが、噴火した。
「マコト様が軽症で済むという仮説で何てことを! もし万が一マコト様に魔力が多く宿っていたらどうなさるおつもりで!?」
「ボクがそんなヘマをするか。確信があったことを君たちに説明するためにやったまでだ」
しれっと言い放つメルヴィルと、握った拳を震わせて叱り飛ばすジャック。まことはもはやメルヴィルに味方する気は一切無くなっていた。
「メルヴィル様」
「うん? 何だマコト」
「良くお考えいただいたみたいで、ありがとうございます。では私はコレで失礼します」
言い終わるかどうかのうちに軽く一礼をして、くるりと踵を返して、扉を素早くくぐった。その一連の動きに呆気に取られていた二人は、たっぷり3秒固まった後、お互いの顔を見合わせた。
「……マコトはどうしたんだ」
「いい加減にしやがってくださいませ! お怒りで出て行ってしまわれたんですよ!」
「怒る?」
「もう結構!! バツとしてメルヴィル様はティーセットを厨房にお戻しください、私はマコト様のところへ行きます」
「あ、ああ」
静かだったまこととは対照的に、怒った肩を大きく揺らして出て行ったジャックは、それでも扉だけは丁寧に閉めて出て行った。残されたメルヴィルはそのまま突っ立って、テーブルの上のティーセットと扉を交互に見た。